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153 弱いけれど善意に満ちた罪人

【弱いけれど善意に満ちた罪人】

神経学者のアントニオ・ダマシオは、近著『自己が心にやってくる』で無意識を「遺伝的無意識」と「認知的無意識」に大別しています。

遺伝的無意識とは『深く生物学的に根ざした古代からの偏り、欲求、欲望により深く設定された』
無意識。大まかに言えば、本能や衝動という言葉が示す部分です。
認知的無意識とは『意識的に得た発想、欲望、計画などに従うよう、意識的な思索の監督下で訓練を受けた』無意識。典型的な例は、スポーツ選手の体の動きの大部分です。わたしは海外赴任の最初の数ヶ月間、外国人に握手をしながら頭を下げる習慣がなかなか抜けませんでした。これも、日本文化がわたしの認知的無意識に施した訓練の成果といえるでしょう。

ダマシオは、人はどちらの無意識にどれくらいの頻度で導かれているのだろうと自問し、次のように述べています。

おそらくほとんどの人は、弱いながら善意の罪人たちとして、どちらの無意識にも支配されていて、どちらが強いかは状況と一日の時間にもよるのだろう。

この「弱いながら善意の罪人」(原著では "weak but well-meaning sinners")という言葉が目に飛び込んできました。

人は「善い」意図に満ちているが「弱い」ので、ときとして「悪い」行動をしてしまう存在。組織にルールを敷く場合に、性善説に立つか性悪説に立つか。いや性弱説にたつべきだという主張を思い出しました。ダマシオの言葉も短い句に「善・悪・弱」が詰まっていてインパクトがあります。

ではわれわれは、遺伝的ないし認知的無意識に支配される、弱いだけの存在なのか。ここでは、マネジャーとして即断を迫られるとき、つまり「その場力」が要求される局面に絞って考えてみます。

即断を迫られるときには、意識的な熟慮の能力はあまり役に立ちません。思考し、返答を差し出してくるのは認知的無意識です。その意味では「弱い」と言わざるを得ません。

しかし、意識はその返答を保留し、口をつぐむことができます。さらに意識は、認知的無意識そのものを教育することが可能です。この2つの意味合いでは、意識にも「強い」面があります。先述のあいさつの例でいえば、海外に赴任している間に握手しながら頭を下げる行動はなくなりました。認知的無意識が再教育されたわけです。

ダマシオは、次のように述べています。

意識的な熟慮というのは、その場の行動をコントロールできる能力とはあまり関係なく、どんな行動を自分が取りたいか/取りたくないかを事前に計画して決めておく能力がほぼすべてだ。

【態度の準備】

わたしは自分の経験から、この文章に強く共感しました。講師やファシリテーターというのは「その場の行動」が仕事の主なパートです。よい仕事をするということは、その場の行動を改善していくことにほかなりません。

では、そのために何ができるか。事実上、その場に臨んでしまうとできることはほとんどなく、準備がすべてです。

準備には内容の準備と態度の準備があります。内容の準備は今回は割愛します。ダマシオがいう「どんな行動を自分が取りたいか/取りたくないかを事前に計画して決めておく」のがまさに態度の準備です。

具体的には、「その場」で保つべき態度についての3~5か条程度のリストを作っておき、場に入る前に眺めています。リストといっても、キーワード集程度のごく短いもので、平時であれば眺めるまでもなく思い出せます。しかし「その場」では、やはり話の内容に浸り込んでしまってなかなか思い出すことができません。したがって直前に唱えたり目で見直したりする作業は欠かせません。

おかげで、握手しながら頭を下げることがなくなったように、後で悔やむような態度を取ってしまうことは減りました。まだまだなくなりませんが……。

マネジャーにも、会議の場で合意を形成する、目の前の部下に対して、今ここで叱るかどうかを決めるなど、「その場・そのとき」の行動が重要な仕事が数多くあります。ときどきは時間を取り、これまでの経験を振り返り、自分のポリシーを「持論」として自分の言葉でまとめておく。これが結果的には「その場・そのとき」の行動を改善することにつながります。

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