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014 無記(善くも悪くもない)

●善悪の基準

A部長のところにいたXさん、あまりにも反抗的だというのでB部長が面倒をみることになりました。ところが、B部長の目にはXさんが独立心旺盛で貴重な人財に映ります。XさんはB部で大いに活躍し、B部を支える中核人財に成長しました。

……といった話を、よく聞きます。Xさんが変わったわけではありませんでした。Xさんの「自分で考えて、考えたことを率直に発言する」という性質が、A部長からは「反抗的」、B部長からは「独立心旺盛」と評価されたのです。

我々は、ものを見るときに自動的に善悪のラベルを貼りがちです。しかも無意識に。利益に資すると思えるものは善、そうでないものは悪。高効率そうに見えるものは善、そうでないものは悪。部下のYさんが話がうまいのは善、時間にルーズなのは悪。こういう判断基準が固まってくればくるほど、仕事が上手にさばけるようになってきます。マネジャーの場合は、意志決定のスピードが上がってきます。

しかしこのような考え方に慣れてしまうと、創造的に考えたい場面で力を発揮できません。たとえばYさんが「時間にルーズ」というのは、矯正するしかない「悪」なのでしょうか。もし余人に代え難い強みに転じるとすれば、それはどのように見出せばよいのでしょうか。

●三性の理(さんしょうのことわり)

森 政弘氏は『矛盾を活かす超発想』という本で、善と悪に「無記」を加えた「三性の理(さんしょうのことわり)」という考え方を紹介しています。「無記」とは、善でも悪でもないということ。冒頭のXさんの例で考えれば、「自分で考えて、考えたことを率直に発言する」という評価は無記です。それ自体は善でも悪でもない。受け取る側が、それを決めているということです。

森氏は、いくつか楽しい例を挙げています。空き巣は悪です。しかし「家屋のセキュリティに詳しい」というスキル自体は無記です。そこで、空き巣が心を改めれば、そのスキルは「防犯アドバイザー」のような善たる仕事に生かせます(実際に、コンピュータ犯罪などで実例があったと記憶しています)。

Yさんが「時間にルーズ」なのは、ふつうは悪です。これを敢えて無記にとらえることはできるでしょうか?たとえば以下のような感じです。もちろんどのように生かせるかはケースバイケースでしょうから、あくまでも一例としてお読みください。

「時間を区切って行動する意識が弱い」(無記)
→「好きなテーマであれば昼夜を問わず考え続けられる人財では?」(善)
「目の前のことに集中していて、約束の時間に遅れる」(無記)
→「時間を忘れるほどの集中力を生かせる仕事やテーマはないか?」(善)

悪と思っていることを書いてみて、それを「無記化」してみる。つまり善い悪いの判断を交えずに書き直してみる。そこに何かを加えることで、「善化」できないかどうかを考えてみる。「善と悪との間に無記がある」という発想は、われわれの意志決定の幅を広げてくれそうですね。