先日、内部告発を行った元社員の方へのインタビューを見ました。転職した食品会社で不正が行われていることを知り、何年も悶々と過ごし、とうとう勇気をふるって告発に踏み切ったとのこと。
こういう事件に接すると「法律違反と知りながら、なぜ告発までにこんなに時間がかかったのか」と素朴に思ってしまいます。しかし当事者の視点から見ると、状況はそう簡単ではないようです。
街の有力企業がつぶれてしまったら、自分はもちろん同僚やその家族はどうなるか。不正もそのうち鎮まるかもしれない。どこかから監査が入って正してくれるかもしれない……。実際、告発を行ったその方は、地域どころか家族からも疎んじられ、いまは別の街で独居しています。もう70歳を超えておられます。こうおっしゃっていました。
「告発が自分にとって良かったのか悪かったのか、分からない」
この方のように明らかな違法を告発するケースでさえ、正しいと信じる決断をするのは難しく、しかも必ず報われるとは限りません。
われわれも、日常生活や仕事の中で大小さまざまな決断を迫られますが、なかでも難しいのは倫理的な基準に照らして決めなければならないときだと思います。そんなときに、考えるべき視点をコンパクトにまとめたリストがあると考え漏れがなくなっていいですよね。次に引用するのは、国際政治学者ジョセフ・ナイの『リーダー・パワー』で見つけたリストです(1)。
- 【良心】個人や宗教に根拠を置くもので、完璧な道徳性をめざして人々を導くもの
- 【一般的な道徳律】すべての人間が社会生活で持つべき義務として取り扱われる、一般的な道徳のルール
- 【専門的基準】職業的な倫理、つまり、人の果たす役割に伴う義務と見なされる伝統的な期待
道徳的な判断に必要な3つの義務感 – *ListFreak
もちろん、たとえば「一般的な道徳律」といっても、どこからどこまでが一般的なのかという基準が明示されているわけではありません。このリストは、判断にあたって使うべきものさしの種類を教えてくれているだけであり、ものさしに目盛りを振るのは個々人の仕事です。
個人的な良心。社会的な道徳。職業的な倫理。ナイ氏は、それぞれについて目標・手段・結果を吟味することを勧めています。
この3つが互いに矛盾するとき、われわれは悩みます。たとえば、個人的な良心を貫くために、職業倫理に違反する必要があるかもしれません。しかし、この3つが健全に対立(3つですから鼎立ですね)していなければ、道徳的な判断ができないかもしれません。冒頭の例で言えば、良心の鈍った食品会社の社長にとっては、職業的な倫理に従うことはもはや義務(法律上の拘束という意味ではなく、個人としてなすべきことという意味で)ではありませんでした。
(1) ジョセフ・ナイ 『リーダー・パワー』 (日本経済新聞出版社、2008年)