『Googleの「心内検索」トレーニング』というコラムで紹介したチャディー・メン・タン氏の著作が『サーチ!』という題で和訳されていました。(1) 件の講演を聞いた時にはとても興奮し、追いかけようと思っていましたので、待望の出版!と言いたいところなのですが、実際には原書の出版にも、訳書の出版にも気づかず、Amazonもおススメしてくれず(あるいはおススメを見過ごし)、SNSでも誰かがメンションしていたかもしれませんが気づかず、ひまつぶしに立ち寄った本屋でいきなり訳書を見つけて驚いたという次第。
さっそく読破しました。読みながら、ここ数年の個人的な研究テーマが間違っていなかったかも、という嬉しさや、僭越ながら何十歩も先を越されたような悔しさや、いろいろな気持ちを味わいながら読みました。
『サーチ!』はマインドフルネスを取り入れた企業研修の事例紹介なのですが、今回はその本題というよりは、やや周辺の話題です。
●会話の中の3つのやりとり
タンは「やっかいな会話」という節で、どんな会話にも3つのやりとりがあるという説を紹介しています。すなわち内容、気持ち、アイデンティティのやりとりです。(2)
まず、内容のやりとりがあります。これは当たり前ですね。気持ちのやりとりも、たしかにあります。注目すべきは3つめの、アイデンティティに関するやりとりです。(1)
アイデンティティに関する会話には、次に挙げる三つの疑問のうちのどれかひとつが、かならずと言っていいほどかかわっている。
- 私は有能か?
- 私は善良な人間か?
- 私は愛される価値があるか?
つまり、誰しも会話をしながら、その奥底で「私は有能か?善良か?愛されているか?」と問い続けている、というのです。
いちいちそんなことを確かめながら会話しているとは思いたくありませんが、よくよく内省してみると、認めざるを得ないのではないでしょうか。
自分の「有能さ」がおびやかされるのは、たとえばバカにされるのではないかという不安を感じる状況でしょう。「善良さ」がおびやかされるのは、たとえば自分の誠意が疑われてしまう状況。そして「愛される価値」がおびやかされるのは、たとえば敬遠されているかもしれないと感じる状況です。そんなときには、ネガティブな情動が頻発する(あるいは感度が上がる)ように思います。
●感情の奥にあるもの
以前、人の話には、観察可能な順に内容(何を)、感情(どうやって)、意図・欲求(なぜ)という階層構造があるという「コミュニケーションの玉ねぎモデル」を紹介しました。感情の奥に感情を生ぜしめる何かがあるというモデルは、さまざまな分野で繰り返し表れます。ある分野ではそれをスキーマといい、ある分野では信念あるいは思考といいます。その他、思い出せる例を2つ挙げてみます。
日本では「ハーバード流交渉術」(原著は”GETTING TO YES”)という名で知られる書籍の続編は、交渉の技術的な側面でなく感情的な側面に焦点を当てています。彼らの主張の核心は、感情でなく感情を生じさせている5つの欲求を考えろというもの。
- 価値理解(Appreciation) ― 自分の考え方、思い、行動によい点があると認められること
- つながり(Affiliation) ― 仲間として扱われること
- 自律性(Autonomy) ― 相手が自分の意思決定の自由を尊重してくれること
- ステータス(Status) ― 自分の置かれた位置が、それにふさわしいものとして認められること
- 役割(Role) ― 自分の役割とその活動内容が、満足できるものとして定義されていること
交渉時に意識すべき5つの核心的欲求 – *ListFreak
また人間関係の心理学である選択理論では、理論の核となる原理を十個にまとめています。その一つに欲求についての項目があります。
私たちは、遺伝子に組み込まれた五つの欲求、すなわち、生存、愛と所属、力、自由、そして楽しみの欲求によって駆り立てられている。
(選択理論の十の原理 – *ListFreak)
●情動の源を断つよりも、起きた情動を鎮めることに注力する
というわけで見慣れた構造だったにもかかわらず、冒頭の「会話の中の3つのやりとり」にハッとさせられたのは、アイデンティティという言葉のせいだと思います。欲求というと、字面のせいか、自ら欲して求めるものであり、我慢すれば抑えられるかのような印象を持ってしまいます。しかしアイデンティティは自らを構成している属性のようなもので、それが脅かされた場合には、反応を律するのが難しいように感じました。
自分自身のことを振り返ると、たとえば講師役を務める前に確認するリストには「相手の知識や経験を尊重する」という項目があります。これは相手の「有能さ」というアイデンティティをおびやかさない工夫だと解釈してよいでしょう。以前に比べれば、これはできてきたという自覚があります。より難しいのは、自分の「有能さ」がおびやかされたとき。特有の情動でそれと感じられるわけですが、素早くそれを鎮められるかというと、まだまだ難しいケースも多いです。
この情動を自分の欲求がもたらすものとすると、欲求自体を抑制できるような気がしますが、アイデンティティがもたらすものと考えると、それを変えるよりは、立ち上がった情動を鎮めるほうに注力したほうがよさそうに思います。実際本書でも、著者が瞑想の達人にインタビューをした結果、鍛錬を積んだ人は情動そのものを感じなくなるというよりは、そのマネジメントに長けているのだという記述がありました。
(1) わたしが読んだのは『サーチ! 富と幸福を高める自己探索メソッド』(宝島社、2012年)でしたが、その後英治出版から『 サーチ・インサイド・ユアセルフ ― 仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法 』というタイトルで出版し直されているので、この記事ではそちらにリンクしています。
(2) 「3つのやりとり」は、引用元では「三つの会話」と訳されています。またこの考え方は、ダグラス・ストーン他 『言いにくいことをうまく伝える会話術』(草思社、1999年)からの引用としています。