安岡正篤は、太平洋戦争における終戦の詔、いわゆる玉音放送の原稿作成に関わり、また平成という元号の発案者として知られる思想家です。先日、著書『百朝集』を読みました。よいリストの宝庫なのですが、なかでも「八休」(はっきゅう)にはハッとさせられる項目が並んでいました。これは金 蘭生『格言聯壁』という書籍からの引用だそうです。
- 消し難(がた)きの味は食するを休(や)めよ
- 得難きの物は蓄ふるを休めよ
- 酬(むく)い難きの恩は受くるを休めよ
- 久しくし難きの友は交はるを休めよ
- 守り難きの財は積むを休めよ
- 雪(そそ)ぎ難きの謗(そしり)は弁ずるを休めよ
- 釈(と)き難きの怒は較(あらそ)ふを休めよ
- 再びし難きの時は失ふを休めよ
八休 – *ListFreak
しかし浅学の悲しさよ、言葉の調子が良いので分かった気にはなっても、なかなか腹に落ちてきません。そこで一つひとつ意味を考え、現代語訳を作ってみることにしました。他の著作に解説があるかもしれませんが、自分の学びのためですので自己流でいきます。
1. 消し難(がた)きの味は食するを休(や)めよ
→やめられそうにない愉しみからは、距離を置く。
「消化の悪いものは食べるな」という意味のようにも思えます。しかし「消し難きの味」ですから、消す対象は食物ではなく味です。とすると
「忘れられない(=記憶から消せない)ほど美味しいものは、食べるのをやめる」(なぜならその美味に淫してしまうから)
と解釈するほうが妥当なように思います。さらに「味を消す」という言葉を「味をしめる」の反対の意味だと捉えると、解釈をさらに一般化することができます。つまり口だけでなく五感で、妄想の類いも数えるならば六感で感じる「味」について、淫するな、中毒になるなという教えだと捉えてみたいと思います。
なお、食するを「休めよ」ということは、現在そういうものを食べていることが前提にあります。しかし、この項目に限らず、「○○をやめる」ではなくシンプルに「○○しない」と訳しました。こちらのほうが予防的な調子にもなってよいかと。
2. 得難きの物は蓄ふるを休めよ
→手に入れるのが難しいものは、集めない。
コレクションに執着してしまうことへの戒めと理解しました。
3. 酬(むく)いが難きの恩は受くるを休めよ
→お返しできそうにない恩は、受けない。
お返しできそうにない恩を受け続けるのは心苦しいですね。ただ、そういうのんびりした解釈よりは「一方的に恩を着せられると、将来それを理由に従属させられるリスクがあるぞ」というメッセージのほうが強いのかな、とも思います。どちらの理由にせよ、お返しできそうにない恩はそもそも受けないのが無難。とはいえ、すでにお返しできないほどの恩をいろんな方から受けてきています。
4. 久しくし難きの友は交はるを休めよ
→長い友情を育めそうにない友人とは、つきあわない。
「お久しゅうございます」といえば「久しぶりに会いましたね」という意味です。すると「お久しゅう、と言えそうにない友とは交わるのをやめよ」、つまりダラダラつるむだけの交友関係を整理しなさいという意味……かと最初は思いました。実際、真の友人は長い間会わなくても通じ合えるものですからね。
しかし、この用法は挨拶語であり、「久しくし難きの友」を「お久しゅう、と言えそうにない友」と訳すのには無理を感じます。ダラダラつるむだけの友と言いたければ「久しく離れ難きの友」とすればよい話です。
「久しい」の本来の意味は「時が長く経過している。また、行く末が長い」(広辞苑 第四版)です。友として久しくするということは、友としての「時が長く経過している。また、行く末が長い」という意味。すると「久しくし難きの友」は「長い友情を育めそうにない友人」と解釈するのがよいと考えました。この定義のもとでは、ダラダラつるむだけの友も「長い友情を育めそうにない友人」に含まれますし。
5. 守り難きの財は積むを休めよ
→守れそうにない財産は、蓄えない。
この項目、実はピンと来ていません。「守り難きの財は」積むなということは、守り易きの財は積んでもよいのでしょうか。仮に十二分な財産があり、立派な倉を建てて財産を守れそうであれば、蓄えてもよい……と言っているとは思えません。
財は守れてもせいぜい死ぬまでで、子孫に残したって守ってくれるとも限らない。財はすべからく守り難いものとみなして、必要以上に貯め込むなという意味だと解釈しています。
6. 雪(そそ)ぎ難きの謗(そしり)は弁ずるを休めよ
→誤解を解けそうにない誹謗中傷には、答えない。
頭韻が踏まれているせいか印象に残ります。特にネットでは、一方的に非難を浴びることがあります。論理を尽くしても感情に訴えても自分の意が通じないならば、黙るのも知恵かもしれません。雪ぎ難いと判断するタイミングが難しいわけですが。
7. 釈(と)き難きの怒は較(あらそ)ふを休めよ
→怒りが収まりそうになければ、それ以上争わない。
怒っているのが自分でも相手でも、同じでしょう。怒りが怒りを呼ぶような状態になってしまったら、いったん頭を冷やすこと。
8. 再びし難きの時は失ふを休めよ
→二度と訪れそうにない機会なら、あきらめない。
ここまで中道を行くリストだったのに、最後にこういう熱血項目(?)が出てくるとは。「得難きの物は蓄えるを休めよ」の精神でいくと、二度とない機会だと思い込むと判断を誤るから、見逃してしまえという教えでもおかしくない気がします。もしかしたら原典では違う意味だったのかも、と思わなくもありません。でも最後にこの項目が置かれているおかげでリストの印象がぐっと強くなるのもたしかです。
あらためて、まとめます。
- やめられそうにない愉しみからは、距離を置く。
- 手に入れるのが難しいものは、集めない。
- お返しできそうにない恩は、受けない。
- 長い友情を育めそうにない友人とは、つきあわない。
- 守れそうにない財産は、蓄えない。
- 誤解を解けそうにない誹謗中傷には、答えない。
- 怒りが収まりそうになければ、それ以上争わない。
- 二度と訪れそうにない機会なら、あきらめない。
八休(私家版) – *ListFreak