● 意志を表明する弊害
この本のなかに、本コラムのテーマ「マネジャーの意志決定」に関わる文章があります。
意志という言葉は非常によく聞こえるけれども、何ごとについても明白な意志を発表する者は、神経質かあるいは小心な厄介者である。毎日三度食べるご飯でさえ、硬い軟らかいがある。この世を渡るとき、ご飯の炊き方についてあまりにも明白な意志を持っている者は、おそらく生涯の三分の二は、食事のために不満足を唱えて暮らさなければならないだろう。
「世の中に譲っても差し支えないことが多いものだ」という見出しの下にある文章です。
たしかに、マネジャーが袖をまくって現場に介入しなくても、そしてそのせいでベストな結果が出なかったとしても、実はあまり問題がないということはありますね。
仕事に直接介入しないまでも、マイクロマネジメント(部下の行動を必要以上に細かく管理すること)が好きなマネジャーもいます。よい悪いの基準をはっきり持つことは悪いことではありません。しかし、それが些事にまで及び、部下の行動をもその基準で評価するようになると、部下がみずから判断して行動する機会を奪ってしまいます。
問題は、それを快適に感じる部下もいることです。日常生活で ご飯の炊き方に明白な意志を持ち、それを表明し続ければ、周囲から疎んじられること必定です。しかし、自分で考えるのが面倒な部下は、細かいところまで上司に方向指示をしてもらい、Do-er(仕事を「する」だけの人)に徹するほうが楽と思うかもしれません。それが好ましくないのであれば、マネジャーはわざと意志を表明しないなどして、積極的に譲っていかなければなりません。
● 「譲れない一線」を引き、あとは譲る
もちろん、なんでもかんでも譲ろうということではありません。続く見出しは「譲れないところは、あくまで固守せよ」。一転して、断固として譲るべきでない局面について述べています。
マネジャーとして何を譲らないか、一度時間をかけてリストを作ってみてはどうでしょうか。「それ以外は譲ってもいい」というリストを持つことで気が楽になりますし、決断も早くなると思います。
そのリストは、使いながら鍛えられていくものです。たとえば「部の目標を守る」ことだけは譲らないが、ほかのこと(各人のワークスタイルや経費精算のポリシーなど)にはあえて無頓着でいようと決めると、楽になることが多いと思います。しかし、「譲れない一線」のリストは一行ではないでしょう。たとえば二行目に「部下のメンタルヘルスを健全に保つ」とあった場合、一行目と矛盾が生じ得ます。
目標を達成しようと思うと、部下には休日出勤を含めてかなりがんばってもらわないとならないようなケースでは、譲れないはずの一線を譲らざるを得ないかもしれません。あるいは「どちらも譲らない」と考え抜くことで、第三の解(たとえば、他部署からの増援を頼む)を思いつくかもしれません。そういった経験をへて、リストが真に自分の判断基準になっていくのだと思います。