●歴史の法廷に立つ覚悟
「将来、歴史の法廷に立つ覚悟ができているのか問いたい」。
ご存じの方も多いと思います。2009年11月に行われた、政府(行政刷新会議)による「事業仕分け」の結果に対して、ノーベル化学賞受賞者の野依(のより)良治氏が放った批判の言葉です。
「歴史の法廷」とは大仰な言葉ですが、くだそうとしている意志決定を批判的に検討するときの言葉として使えるのではないかと思いました。
マネジャーは、覚悟のあるなしに関わらず、自分の意志決定について他者から問われる立場にあります。特に倫理的に難しい決断にあたっては、「歴史の法廷」に立ってみることで、視座を高く保つことができそうです。
「歴史の法廷」は複数あります。そこで存在を認められたいと願う集団の数プラス1だけあります。以下にその例を挙げてみます。
●組織の、家族の、自分の歴史という法廷
たとえば「組織の歴史」という法廷に立つということは、「自分のこの決断を、将来自分の職務を引き継ぐ人はどう見るだろうか」と考えてみることです。
あなたの決断は、何らかの形で将来の後継者に影響を及ぼします。仮にあなたの決断が好ましくない結果を引き起こしていた場合、将来の後継者はどう見るでしょうか。「あまりにも刹那的な、あるいは身勝手な決断だった」ではなく、「あの時点では最善の決断だった」と思ってもらうためには、どうしたらよいでしょうか。
あなたが子供を持つ親であれば、自分を「家族の歴史」という法廷に立たせることもできます。つまり「自分のこの決断を、将来自分の子どもが知ったとき、どう見るだろうか」と考えてみるということです。
親や親しい友人などでもかまいません。家族というのは、尊敬を失いたくない(かつ仕事と関わりのない)存在の象徴です。あなたの決断は、それが仕事上のものであっても、あなたの人格を反映しています。その決断を「仕事だから」という文脈を共有しない人にさらすシミュレーションをすることで、「仕事だから」という口実に逃げ込んで、ほんとうは納得していない決断をしていないかどうかをチェックできるのではないでしょうか。
それらの最後に、「自分の歴史」という法廷に自分自身を立たせることができます。『クリエイティブ・チョイス』では、ジェフ・ベゾスがAmazon.comを創立するにあたって自らに発した、次の問いかけを紹介しました(1)。
「八十歳になった自分が過去を振り返ったとき、数億円のボーナスを蹴って自分の会社を立ち上げようとしたことを、後悔するだろうか?」
誰もが立たなければならない法廷があるとすれば、この法廷でしょう。そして自らこの法廷に立つことによって、人は本当に納得できる決断を引き出せるのではないでしょうか。
(1) 堀内 浩二 『必ず最善の答えが見つかる クリエイティブ・チョイス』(日本実業出版社、2009年)