●心の理論
心を動かされることと、共感することは違う。その分かりやすい事例に出合いました。(1)
一度、大学の授業に障害者をゲストとして迎え、体験談を語ってもらったことがありました。学生たちはぼろぼろ泣いて「大変でしたね。感動しました」と言いましたが、次の週の授業で、「じゃあ、皆さんがああいう障害を背負ったらどうしますか」と質問したら、多くの学生が「私はあの人じゃないから、あの人の気持ちはわかりません」と言うのです。びっくりしました。想像力を働かせることがいできないのです。
「あんな若いのに車椅子でかわいそう」と泣くけれど、インパクトに感動するだけで、それ以上の理性的な思考は進まず、思考停止しているんです。(太字は原文のまま)
「あなたならどうするか」という問いに「あの人の気持ちは分からない」という答えでは問答として噛み合っていません。なにかミスコミュニケーションがあったのかもしれませんが、ここでは答えに注目したいと思います。
「私はあの人じゃないから、あの人の気持ちはわかりません」には、たしかにびっくりさせられます。というのは「私はあの人ではないけれど、それでも気持ちは分かる」という能力こそ、いわゆる「心の理論」と呼ばれ、人間だけが持つとされている能力だからです。(2)
「心の理論」の簡単なテストを紹介します。(3)
- サリーとアンが、部屋で一緒に遊んでいました。
- サリーは、ボールを籠の中に入れて部屋を出ていきました。
- サリーがいない間に、アンがボールを別の箱の中に移しました。
- サリーが部屋に戻ってきました。
- 「サリーはボールを取り出そうとして、最初にどこを探すでしょう?」
正解は「籠」です。幼児や 発達障害の人など心の理論が発達していない人は、この問題に「別の箱」と答えるそうです。
●共感力を伸ばす
ほとんどの方は「サリーとアン課題」は問題なく解けたことと思います。しかし共感も能力の一つですので、大きな個人差があります。リチャード・ボヤツィスは、エレンという優秀なマネジャーの事例を紹介しています。エレンは、部下から思いがけず「部下にかまわず自分の成果ばかり追っている」といった厳しい評価をもらってショックを受け、共感力を高めるべく努力することを決意します。(4)
あるときコーチは、次の顧客との会議に出席するまえに、出席者の会議中の気持ちはどんなだろうかとエレンにたずねた。その後の数週間、エレンは会議前にかならずこの訓練をした。最初は面倒で、予定を邪魔するように感じたが、メンバーのやる気を起こすにはみんなの気持ちに波長を合わせなければ、と何度も自分に言い聞かせ、訓練をつづけた。
そしてエレンはロールプレイをすることで、会議の顧客メンバーの考えと気持ちを思い描いた。まもなく彼女は、自分のこころのなかにつくった顧客像に対して新しい洞察とテクニックを使ってみようという自信が出てきた。(太字は引用者による)
「自分のこころのなかにつくった顧客像」というところに注目してください。共感とは自分の心の中に他人の像をつくることと言い換えてみてもよいでしょう。「何が組織にとっての最善か?」を問いながら意志決定を行うマネジャーにとっては、豊かで正確な「部下像」をこころのなかに育んでおく必要があります。部下の人間性を観察せず「彼は○○な人だから」というステレオタイプな理解で満足してしまえば、貧弱な「部下像」しか持ちえません。
同僚のマネジャーがいたら「○○さんはどんな人?」「〜と○○さんに言ったらどんな反応をすると思う?」と聞いてみれば、おおよその共感力は推し量れるでしょう。共感力の高いマネジャーはどのように「部下像」をつくっているか、その答えから学べるはずです。
(1) 香山リカ “「強い心」を手に入れる” ― 『考える力をつくるノート』(講談社、2010年)所収
(2) 正確には、霊長類も同じ能力を持っているのではないかという議論が続いています。
(3) 熊野 宏昭 『二十一世紀の自分探しプロジェクト―キャラの檻から出て、街に出かけよう』(サンガ、2009年)
(4) リチャード・ボヤツィス、アニー・マッキー 『実践EQ 人と組織を活かす鉄則―「共鳴」で高業績チームをつくる』(日本経済新聞社、2006年)