●論理という刀を振り回し、相手も自分も傷つける
よく「ロジカル・シンキングには限界がある」という言葉を聞きます。一番よく聞くのは、ほかでもないロジカル・シンキングのトレーニングの現場です。だいたいは、新しい思考スキルを身につける面倒さに耐えかねての発言だったりするので、その場では「それを確かめるためにも、まずは限界まで考えてみましょう^^」とかなんとか言って納めてしまいます。
もちろん、時間的・人的・経済的な制約の中で考えられることには限界があります。現実の世界で起きている問題の複雑さをよく描写している、お気に入りのリストを紹介します。
- 物理的な複雑性(dynamic complexity):問題の原因と結果が空間的、時間的に遠く離れている
- 生成的な複雑性(generative complexity):問題がこれまでにない、予期できない形で展開し続ける
- 社会的な複雑性(social complexity):かかわり合う人々が問題に対してそれぞれまったく異なる捉え方をする
解決困難な問題がもつ三つの複雑性 – *ListFreak
これはアダム・カヘン『手ごわい問題は、対話で解決する』からの引用です(1)。カヘンが事例として挙げていたのは、たとえば民族間の紛争などの大きな問題です。しかし小さな組織の中の小さな問題にも、これらの複雑さは存在します。とりわけ、問題がモノでなくヒトがらみのとき、複雑さが一気に増すように思います。
論理的に考えることは、現実の問題に対処していくための必要条件であっても十分条件ではないとするならば、さらにどんな能力が必要なのか。それは、ロジカル・シンキングの力だけが突出した状態の人の失敗談から学ぶことができそうです。つまり、ロジカル・シンキングを学び、ロジカル・シンキング万能モードになって職場に戻った人がどんな失敗をしたか、その経験を集めて考えてみるということです。
クラスの卒業生、卒業生の上司の声、そして何より自分の経験を振り返ってみると、こんなところでしょうか。
- 考えが論理的かどうかを優先しすぎ、他者の気持ちへの配慮が足りなかった。
- 論理的に解決するために、話を簡単にしすぎた。
- 問題の解決を急ぎすぎた。その場で○×をつけるより、「時が解決してくれる」効果にゆだねるべき問題もあった。
- 自分が問題を解決しすぎた。当事者の問題を勝手に解いて、これが最善の策だと押しつけてしまった。
- 解決を重視しすぎた。解決に至るプロセスを共有しなかったため、合意や共感が得られなかった。
- 論理的に考え尽くせない問題(曖昧な問題、大きな問題、感情の問題など)を避けてしまった。
- 見出しに掲げたとおり、「論理という刀を振り回し、相手も自分も傷つける」か「論理という刀で切れない問題からは逃げてしまう」失敗が多かったと思います。
一方、こういった失敗をうまく回避できる人もいます。一言で言えば……オトナな人、あるいは思慮深い人、と言ったらよいでしょうか。
●思慮深さの定義
最近になって読み返した雑誌に、この問題意識に応える研究が紹介されていました。
人の論理的な思考力は10歳代の前半でほぼ成熟する到達するようです。とはいえ、それは文字通りの意味での論理的思考力でしかありません。知識を蓄え、経験を積むにつれて発達する知能があると考える研究者もいます。彼らはそれを「ポストフォーマル思考」と呼び、次のように定義しているそうです:
- 相対主義的思考 ― “唯一絶対”を追わない
- 弁証法的思考 ― 相反矛盾を“止揚”する
- 体系的思考 ― “関係・過程”に意義がある
「成熟した思考力」3つの特徴 – *ListFreak
とても短い定義ではありますが、先に挙げた「ロジカル・シンキングだけに頼った失敗」を救ってくれそうな能力ばかりです。
この種の知能(発達性知能)の働きを紹介している”The Mature Mind”(成熟した精神。邦題は『いくつになっても脳は若返る』)によれば、これらの知能は加齢とともに衰えるのではなく、高まっていく性質があるとのこと(2)。
自分を振り返るというと、できていないところにばかり目が向きがちです。しかし「以前はできなかったのにできるようになってきたこと」に意識を向けてみると、上記の「思慮深さ」が備わってきたことが実感できるかもしれません。
また、ベテランならではの付加価値をどこに求めていくべきかを考える、よい材料になりそうです。
(1) アダム・カヘン 『手ごわい問題は、対話で解決する』(ヒューマンバリュー、2008年)
(2) ジーン・コーエン 『いくつになっても脳は若返る』(ダイヤモンド社、2006年)