【課題解決なのに、地域の「創生」】
「地方創生」という言葉は、2014年6月までは事実上存在しませんでした(参考:Google トレンド)。
「創生」とは『作り出すこと』(大辞林)です。「新品種の創生」という用例が挙がっていました。地方を作り出すとは、どういう意味なのか。2014年9月3日に閣議決定された『まち・ひと・しごと創生本部の設置について』という文書から引用します。
1 人口急減・超高齢化という我が国が直面する大きな課題に対し政府一体となって取り組み、各地域がそれぞれの特徴を活かした自律的で持続的な社会を創生できるよう、内閣に、まち・ひと・しごと創生本部(以下「本部」という。)を設置する。
なんとなく地域が主人公のように感じられる文章ですが、もし「地域がそれぞれの社会を作れるよう、国は本部を置いて支援する」と言うだけなら、最初の読点までは不要です。ということは主人公はやはり政府で、「国全体の課題に政府一体となって取り組み、地域社会を作り直す。そのために内閣に本部を置く」と読むべきでしょう。その発想の枠内で地域に主体性を持たせるニュアンスを滲ませるために「各地域が~社会を創生できるよう、」という節があるように思えます。
地域社会の課題解決を「創生」と呼ぶのは、字義に照らせば誇張表現です。ただ、地域活性化では新味がないので、「ゼロから考える」「思い切った手を打つ」という意味を込められる言葉を探したのでしょう。創生の「創」はゼロからの創造を、「生」は生活や人生を、それぞれ想起させる「よい字」です。
ゼロベースでの課題解決に「創生」という字をあてる。このような転用は、感情をゆさぶられる格好よさに「やばい」という言葉をあてるのと同じような発想です(「ヤバイ地域活性化」プロジェクトの提案があったら、ちょっと聞いてみたくなりますね)。
【私企業なのに、社会の「公器」】
地方創生のような造語めいた言葉の転用・拡張は、その「いかにも」なマーケティング臭が鼻につくときもあります。しかし一方で、言葉を吟味し、自分の価値観やビジョンの表現として用い、自らの羅針盤にする人もいます。
いわゆる座右の銘がそれです。古典や尊敬する人の言葉に自分なりの意味づけが浸透していって座右の銘となることが多いと思いますが、自分なりの言葉を探したり作り出したりする人もいます。
たとえば、松下幸之助氏。
パナソニックの創業者 松下幸之助は、事業哲学として、「社会の公器」「お客様第一」「日に新た」を掲げ、「経営は人なり」の理念に基き、エレクトロニクス事業を通じて社会の発展に貢献することを目指した経営を実践してまいりました。
「創業者 松下幸之助」(パナソニック)
いまでこそ企業を社会の公器と呼ぶ人は少なくありませんが、公器も元々は『公共の役に立つもの。公共の機関。』(大辞林)という意味で、企業は含まれていなかったはずです。もし含まれていれば、松下氏もあらためてこの言葉を用いることはなかったでしょう。氏の「水道哲学」(参考:Wikipedia)がこの選択を思いつかせたのではないでしょうか。
企業の長として自分がこれから下す判断は、企業を公器と言い換えても通用するか。氏はそのようにしてこの言葉を経営判断に生かしたのではないでしょうか。そのような言葉を多く持つことで、多面的であると同時に一貫性のある意思決定ができるように思います。
【公器たる事業なのに、情報の「革命」】
もう一つ、好例だと思うのがソフトバンクの「情報革命」です。「革命」も、一企業が掲げるには大それた言葉です。同社は新興企業のときからこの言葉を理念に含めており、当時は若々しさの象徴のように感じていました。そのソフトバンクも、いまや電気通信事業者としてパナソニック以上に「公器」的な事業を手がけてます。それでも一貫して「革命」の旗を降り続けようとするところに、孫正義社長の哲学を感じます。孫氏もやはり「企業の長として自分がこれから下す判断は、情報革命といえるか」と問い続けてうているのではないでしょうか。