投稿者: Koji Horiuchi

  • 058 「決断のストーリー」に必要なもの

    ●リーダーのストーリーに含まれるべき3つの視点

    マネジャーには、期初、プロジェクトのキックオフ、あるいは重大な軌道修正の際などに、短いスピーチをする機会があります。
    そのときに、どのようなストーリーを語るか。リーダーシップの研究科であるノール・M・ティシーとウォレン・ベニスは、
    「実力のあるリーダーのストーリーはとくに次にあげる三つの視点からの問いかけに答えを用意している」と言います(1)

    1. われわれは今どこにいるか。
    2. われわれはどこに向かっているのか。
    3. どうすればわれわれは到達点にたどりつけるのか。

    リーダーのストーリーに含まれるべき3つの視点*ListFreak

    現在地点と、到達点と、そこへの道のり。当然すぎるとも感じられる内容です。しかしこの三つをこの順番で語れば用が足りるというわけではありません。

    1. われわれは○期連続の赤字である。
    2. われわれは利益を出さなければならない。
    3. 売上向上が期待できないなか、われわれはコスト削減をするしかない。

    と語ってみても、告知以上の意味はありません。もう少し先を見据えて

    1. われわれは○期連続の赤字である。
    2. われわれは利益体質にならなければならない。
    3. 売上が見込めないので一時的にコスト削減策を打つが、併せて成長のための投資も行う。

    と前向きに締めたとしても、それは計画の説明でしかありません。

    以前に聞いたことのある、ある組織を縮小するにあたってのリーダーのスピーチは後者でした。論理に欠けているところはないと思う一方、どこか「これでは社員はますますイライラするかもしれない」と感じるものがありました。あらためて振り返ってみると「われわれはどこに向かっているのか」という視点が欠けていたのは明らかです。あえていえば「黒字に向かおう」という方向性を示したとはいえます。しかし社員は、意味のある仕事をした結果として黒字を確保したいとは思っても、組織がただ黒字であるために仕事をしたいとは思えないでしょう。 

    ●「われわれはどこに向かっているのか」を映像化する

    ティシーとベニスは「われわれはどこに向かっているのか」という問いに答えるためには『何を達成しようとしているのか。成功を測る基準は何か。到達点にたどりついたとき、ものごとはどのような姿に見え、どのように感じられるのか』(太字は引用者)についてのストーリーを語れと言います。

    そしてキング牧師による「私には夢がある」という有名な演説を例に挙げていました。彼は「われわれはどこに向かっているのか」という問いに対し、単に「独立宣言でうたわれた平等」とは答えませんでした。彼は『自分の子どもが「いつの日か、肌の色によってではなく、その人の人間性によって評価されるような国に暮らせるようになる」』という夢を語ったというのです。

    「われわれはどこに向かっているのか」というポイントに絞って、わたしが実際に耳にした、優れたストーリーの例をいくつか挙げてみようと思ったのですが、キング牧師のような例を取り出すことは難しいことが分かりました。というのは、何がその場にいる人の心に響くかは、状況や語り手に強く依存するからです。

    たとえば「(このプロジェクトをやり遂げて)うまい酒を飲もう」と言ったプロジェクトマネジャーがいました。仕事の到達点ではないものの、プロジェクトを完遂したときの達成感や高揚感を思い出させてくれる言葉です。でも言葉自体は陳腐ですし、語り手や状況によっては場が白けそうな言葉でもあります。言葉の力だけではなく、語り手の人柄やそれまでの文脈とうまくマッチしたので、仲間を団結させる言葉となったのです。

    ●言葉が人を集めることもある

    一方で、語るべきリーダーがいなくても、場が「われわれはどこに向かっているのか」を示す言葉を共有していくという経験もしました。 ある企業の管理職研修で、企業の長期的な方向性を自由にディスカッションする時間帯がありました。悲観的な見通しから多角化戦略についての持論まで意見が百出する中で、ファシリテーター役の講師(社外の人間)が「企業理念」を持ち出しました。

    当初、その言葉はとても「冷遇」されました。「それは社長がIR上必要だから作っただけで、現場では誰も使っていませんよ」という声が、会場の隅でオブザーバーを務めていたわたしにも聞こえてきました。 しかし彼が辛抱強く「でも御社には○○という企業理念がありますよね」と繰り返していくうちに、いつしか場の雰囲気も変わってきました。実は理念について以前から深く考えていた(が言えなかった)参加者もいることが分かり、議論は「うち□□を売る会社だ」から「うちは○○(←理念)を実現する会社だ」という方向へと流れ、まとまりを見せはじめたのです。

    ディスカッション後、その辛抱強いふるまいについて誉めたところ、意外な返事が返ってきました。彼自身は理念経営の信奉者だったので、まさか参加者が理念をそこまで軽視しているとは思わず、その時点で頭が真っ白になってしまったそうです。場にどう介入していいか分からなくなってしまった中で「でも御社には○○という企業理念が……」と繰り返していたら、みんなが自発的にまとまってきたというのです。


    (1) ノール・M・ティシー、ウォレン・ベニス 『JUDGMENT 決断力の構造―優れたリーダーの思考と行動』 (ダイヤモンド社、2009年)

  • 057 リーダーシップを自己評価する

     ●リーダーシップのセルフチェック

    知人の紹介で、おもしろい記事を読みました(1)。すこし翻案してご紹介します。

    リーダーシップに関するセルフチェックです。次のリーダーの3条件に当てはまる度合いを、5点満点で自己評価してみてください。
    「自信を持ってそう思う」が5点、「まあそう思う」が3点、「そうは思わない」を1点とします。

    • 自分には先見の明がある
    • 自分は雄弁である
    • 自分は創造性が豊かである

    いかがでしたでしょうか。

    実はこれらは「消耗型リーダー」(組織の知力や可能性を枯渇させてしまう人)の条件として紹介されていたリストです。記事は

    「よかれと思ってしたことが、チームを萎縮させていないだろうか。自分が他者に抑圧的な影響を与えていることに気づいていないリーダーは多い」

    と始まり、消耗型リーダーの兆候として上の三つを挙げていました。

    記事の本来の趣旨を踏まえてセルフチェックを作り直すと、次のようになります。再度試してみてください。
    「その通りといわざるを得ない」が5点、「そうかもしれない」が3点、「まったくそうは思わない」が1点です。

    • 「自分には先見の明がある」と信じるリーダーは、自信を持って道を示す。それが部下の自発的なチャレンジや、失敗から学ぶ機会を奪っているかもしれない。
    • 「自分は雄弁である」と信じるリーダーは、情熱を傾けて語る。それが部下を圧倒し、醒めさせて(あるいは萎えさせて)いるかもしれない。
    • 「自分は創造性が豊かである」と信じるリーダーは、次々にアイディアを打ち出す。それが部下を振り回し、疲弊させているかもしれない。

    いかがでしたでしょうか。セルフチェック1の点数>セルフチェック2の点数となった方は、さらに次のセルフチェックに取り組んでみてください。

    1. この結果から、自分が望ましいリーダーシップを発揮していることが分かった。
    2. 自分に甘いのかもしれない。

    1を選んだ方。その通りかもしれませんが、もしかしたら重症な「消耗型リーダー・無意識タイプ」の可能性もあります。他者評価を含めた組織風土の診断を検討してみてはいかがでしょうか。

    ●リーダーの能力は組織の能力で測られる

    内省のためであれば、セルフチェック1での自己評価をそのままセルフチェック2の評価として読むべきでしょうね。自己評価が高い項目ほど、消耗型リーダーとしてふるまっているリスクも高いものと考えられます。

    冒頭のリストにハッとさせられるのは、それが良いリーダーの条件でもあると思えるからです。先見の明・雄弁さ・創造性はどれも、意志を定めて合意を形成していくマネジャーにとって望ましい能力でしょう。しかしそれらを発揮すればするほど、部下の先見の明・雄弁さ・創造性を損ねていくリスクをはらんでいることを、上のセルフチェックは分かりやすいかたちで気づかせてくれます。

    セルフチェックの落とし穴は「自分には」という言葉にありました。望ましい能力を「自分の」能力ではなく「組織の」能力として発揮していけるような工夫が、マネジャーには求められているのです。


    (1) リズ・ワイズマン他、『組織の知力を引き出すリーダーの条件』、DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー 2010年12月号

  • 056 本に私淑する

    ●『もしドラ』は私淑本

    ベストセラーになった『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(以下『もしドラ』)では、甲子園出場という高い目標を掲げた主人公の高校生がドラッカーの名著『マネジメント』を繰り返しひもとき、示唆を得て、次の一歩を見出していきます。

    『マネジメント』の解説本を物語に仕立てようと思ったら、普通は「もしそば屋のバイトが〜」とか「もしインターンの学生が〜」とか、やはりビジネスを舞台にするのではないでしょうか。しかし舞台は野球部。野球部にとっての顧客とは誰か、野球部にとってのイノベーションとは何か。『マネジメント』を読んでない人にはもちろん、読んだ人であっても興味をそそられます。

    それはともかくとして、読みながら「久しぶりに“私淑”の楽しさを教えてくれる本を読んでいる」と感じました。私淑とは、直接教えを受けていない人を師とすることです。直接の対話はなくとも、その人の言動から学んでいくことはできます。私淑の対象は特定の「人」であることが一般的でしょうが、『もしドラ』の主人公のように一冊の「本」に私淑することもできます。

    ●私淑する本をどのように選ぶか

    多くの場合、本は「個人」の生産物です。したがって著者の世界観が著書を貫いています。そのような一貫性があるからこそ、いわゆる「著者との対話」が可能になるわけです。世界観の見えない本には私淑もできません。年鑑や事典の類を意志決定の縁(よすが)とするマネジャーはいないでしょう(何にでも例外はあります。ポリシーのはっきりした人の編んだ事典なら私淑の対象になるでしょうが、今はおいておきます)。

    つまり、世界観が見え、その世界観に共感できる本が「私淑本」の最低条件になるでしょう。万人にお勧めの本はないでしょうが、ドラッカーを繰り返し読むという知人は少なくありません。わたしも私淑とまではいかないにせよ、「これについてドラッカーは何と書いていたか」という疑問を携えて著作を読み返すことがよくあります。訳者の上田惇生氏の文章も締まっていて読みやすく感じます。

    わたしが今年見つけた「私淑本」はエドワード・デシとリチャード・フラストの『人を伸ばす力』です。共著ではありますが、そこは都合よくすべてをデシ先生の言葉として読んでいます。またそう読めるだけの一貫性があります。

    この本のテーマは自発性です。たまたま今年関わった人材開発プログラムの多くに「自発性」がテーマとして含まれており、参考書として読みました。著者の思慮深さと語り口の穏やかさ・丁寧さ(これは訳者の貢献も大きいと思います)に引かれ、一気に「私淑本」となりました。

    ●私淑本は常にそこにいて、変わらぬメッセージを発してくれる

    私淑に「正しいやり方」があるとも思えないので、ふたつの事例を挙げることにします。

    ひとつめは『もしドラ』方式です。主人公は当初勘違いして『マネジメント』を手に取ります。しかし本に書かれていることをひとつひとつ自分の問題に引き寄せて理解し、実践していくうちに信頼を深めて「この本に絶対答えが書いてある」という思いで本を読み返すようになります。

    ふたつめとして、わたしの今年の経験を振り返ってみます。『人を伸ばす力』を読み、そこから学んだことを研修プログラムなどに反映させました。しかし当然ながらわたしにはわたしの考えがあります。様々な人から影響も受けます。現場では思うように事が運びません。結果として、自発性についての考えも変わっていきます。

    いっぽう、著者のメッセージは変わりません。なにしろ活字として刻まれてしまっているのですから当然です。その変わらぬメッセージを、すこし間を空けて受け取り直す、つまり読み返すことで、自分の考えの変わり具合に気づけます。理解の浅さに気づくこともあれば、進歩に自信を持てることもあります。

    今年のうちにも「デシ先生は何といっているか」という思いでページを繰るかもしれません。しかしそれよりも、今の案件が一段落する来春くらいに再通読する機会を楽しみにしています。それまで自分が学んできたことについての発見が、よきにつけ悪しきにつけ、必ずあると思っています。

    そしていつか来るであろう、「ここで先生ならばこう言うはずだが、私はあえてこちらを行こう」などと本と語り合える日を、楽しみにしています。

  • 055 感情と思考とは同時に働かない

    ●感情と思考とは同時に働かない

    感情と思考とは同時に働かないことを示唆する文章に出合いました(1)

    脳は非常に効率のよい働き方をしており、めいっぱい頭を使っているようでも、脳の全体をフル回転させることはありません。脳は、その内部で機能分担がなされていて、必要な部位だけを使い、その際必要のない部位の活動を落とすのです。特に、認知的な活動をしている部分と情動(2)的な活動をしている部分は、逆方向の変化を示します。このふたつの領域が相互抑制的に動くのです。働いている脳部位では血流が上昇し、それ以外は血流を落とします。(太字は引用者による)
    『ストレスに負けない生活―心・身体・脳のセルフケア』

    実験によれば、計算問題を解いている(=認知的な活動をしている)間は腹側前帯状回の血流が落ちました。ここは情動が喚起されているときに活動が強まる部位です。対照的に、目の手術ビデオを見る(=強い情動が起きる)と前頭前野背外側部の血流が落ちたそうです。この部位は認知的な活動によって活性化します。

    この文章を読み、いままで抱えていた疑問に一つのヒントが与えられたように感じました。

    EQ理論(EI理論)は、情動を思考(認知)と統合する知能に関する理論です。この理論を学んでいて今ひとつ腑に落ちなかったのは、ひらたくいえば「情動知能を高めるとは、“感じつつ考える力”を高めることなのか?」という点です。EQ理論では、情動知能は情動の識別・利用・理解・調整といった能力に分解され、それぞれの能力を高めることが可能です。しかし情動を識別しつつ同時に調整していけるのか、それとも(どんなに速いプロセスであっても)識別し、それから調整するというステップを踏むのか、よく理解できていませんでした。

    冒頭の引用部分から学べるのは、情動が起きているあいだは考えづらいし、考えているあいだは情動が起きづらくなっているらしいということです。

    ●思考と感情のフィードバックループを作る

    ここまでの知見を意志決定にどう活かせるか。たとえば大きな決断のプロセスを考えてみます。しっかり考え、紙に書いて決断のロジックを作ったものの、しばらくしてからそれを眺めると、すこし違和感を感じることがありますよね。なぜ作りながらおかしいと感じなかったのかといえば、懸命に考えているあいだは情動シグナルの発生が抑制されているからだと解釈できます。自然なことなのです。

    ですのでその違和感(識別した情動シグナル)を無視せずに、認知的活動にフィードバックする(=そう感じた理由をよく考える)というループを意識することで、よりよい意志決定ができるのではないでしょうか。

    わたしのふだんの仕事に当てはめて考えてみると、企業研修のプログラム作成などでもそんな経験はあります。自分なりには完結した論理で組み上げたはずのコンテンツなのに、時間を置いてパラパラめくってみると、どうも「イマイチ」という感じが拭えない。それはただの「感じ」なのですが、すこし粘って考えてみると、参加者目線で考えていなかったことに気がついた、といったことがあります。

    またこのことは、即断即決が必ずしも最善の意志決定を導くわけではないことを示唆しています。決断事項にせよ新しいアイディアにせよ、「考えきったら、一度寝かせてみろ」などとよくいわれます。寝かせているあいだに「この決断(アイディア)をどう感じるか?」と自分に問いかけ、情動シグナルがどう答えるかに耳を傾けてみてはどうでしょうか。


    (1) 熊野 宏昭 『ストレスに負けない生活―心・身体・脳のセルフケア』(筑摩書房、2007年)

    (2) 心理学用語としての情動は、(わたしの理解では)注意を向けるべき対象を知らせるための、意識への割り込み信号のようなものです。ヘビを見たら恐怖という情動が発動します。ただし情動は外からの刺激だけでなく、内側からの刺激でも起きます。以前の失敗を思い出して心臓が縮むような気持ちになるとき、やはり情動が起きています。

  • 「効果的なプレゼンテーション」(医療NPO法人)

    「効果的なプレゼンテーション」(医療NPO法人)

    医療従事者がつくるNPO法人に対して「効果的なプレゼンテーション」というテーマで関わる機会をいただきました。

    セミナーは1泊2日。初日に90分ほどの講演を行い、2日めの皆さんの発表をオブザーブして講評を差し上げるという役回りです。

    初日の講演では、「聞き手にとって、プレゼンテーションとは話し手に伴われたガイドである」というアイディアの周りに実践的なコツをまとめて、皆さんが翌日のプレゼンテーションでお役立ていただけるよう努めました。

  • 054 納得を引き出す

    ●人は、自分の言葉で言い直して理解していく

    リーダー育成の取り組みや研修の実施に関わることが多いので、自然と「人が何かを理解する」というプロセスに興味を持つようになりました。

    われわれは、新しい概念を理解できるという点ではとても柔軟ですが、それを既に持っている知識や経験と関連づけてしか理解できないという点ではとても頑固です。

    たとえば先日、製造業のマネジャーの皆さんとともに交渉・合意形成の方法を考えるプログラムを設計・実施しました。

    まず最初に、交渉を進めるための簡潔な枠組みを提示します。その一つには、たとえば「共通の目的を発見する」という言葉があります。

    次に、ケーススタディとして二者択一的な判断が求められる状況が示されます。たとえば、ある事業を始めるか見送るかといった状況です。参加者は賛成・反対の二チームに分かれ、それぞれの主張を支えるロジックを構築します。そのうえでお互いの主張を検証し合い、「第三の解」を導こうと努力します。

    最後に、一連の演習を振り返ります。たとえば「共通の目的を発見する」とはどういうことかを、それぞれが話していきます。

    同じ枠組みのもと、同じ議論に参加した仲間ではありますが、それぞれの言葉は驚くほど多様です。それぞれが、いま学んだことを過去の知識や経験に関連づけて理解していくのですから、同じ言葉になろうはずがありません。

    一方、よく納得していないのに、他の参加者や研修の進行などへの配慮か、理解したふりをしてしまう方もいらっしゃいます。そういう方は、典型的には「共通の目的を発見することの大事さを学んだ」といったお題目どおりの理解を述べられるので、それと察せられます。皆さんも、日々の業務の中でそういったご経験をお持ちではないでしょうか。

    こういった経験から、マネジャーが部下に自分の意志決定を共有していく際のヒントを引き出すことができます。

    ●「自発的な再発見」を促す

    「納得」とは「自発的な再発見」のプロセスです。「自発的な」というのは、本人の納得を他人が強いることはできないという意味です。納得は本人が「する」ものであって他人が「させる」ものではありません。「再発見」というのは、人は自分がすでに知っている概念に関連づけてしか理解しないという意味です。

    この前提に立つと、コミュニケーション上の工夫を凝らす余地が見えてきます。たとえば難しいミッションを依頼するとき、仕事の目標や目的を部下自身の言葉で表現してもらうのは、両方のポイントを満たし得る方法でしょう。

    当たり前のようですが、実際に時間を取って部下の理解を確認する手間をかけているマネジャーは、実は多くありません。「分かった?」というYes/Noで答えられる質問をしても、復唱させても、十分ではありません。

    部下に何をどこまで話してもらえるかは、マネジャーが何をどこまで聞くかにも依存しています。これはこれで大きなテーマですので、次回に譲りたいと思います。

  • 053 「問いへの答え」に応える

    ●もらった答えに「応える」ところまでが質問者の責任

    質問と回答、Q&Aとよく言うように、問いと答えはセットです。しかし実務上は(生活上もそうなのですが)、問いと答えだけでは完結しません。質問者が答えに応えるまでがセットなのです。

    たとえば、キャリアに悩んだ部下が「自分はどうすればよいのか」と質問に来たので、あなたは自分なりにアドバイスをしてあげました。ところが、部下からはその後何の報告もない。こういうとき、不満に思いますよね。あなたにとっては、自分の回答(アドバイス)がどのように汲み取られたかを知って初めて、この相談にオチが付くわけです。実際、若手向けのビジネス書には、相談をした先輩には後で経過報告をしよう、なんて書いてあります。

    これは、立場が逆でも同じです。たとえば、あなたがこの半期の業績の総括をすべく、不振だった商品Aの担当者に問いかけました。

    「原因について、何か思うことがあればなんでも挙げてくれないか?」

    こういうとき、質問者が想定もしていなかった答えが返ってくることがあります。たとえば部下が

    「…やはり、部のビジョンがはっきりしないせいではないでしょうか」

    と答え、これはあなたの期待からはかけ離れた答えだったとしましょう。あなたはどう反応するでしょうか。

    「バカ、商品Aの売り上げの話をしているんだよ」とか
    「なるほど、それも遠因かもしれないな。その問題は別に扱おう。商品Aの売上についてはどうかな?」とか、あるいは
    「……」と絶句してしまうかもしれません。

    あなたが何を言ったにせよ、あるいは何も言わなかったにせよ、その応答こそ、答えた部下が気にするところです。「○○について聞かれた」ことよりも、「○○について答えたら喜ばれた/無視された」ことのほうが記憶に残ります。そういった問答の積み重ねの中で、我々は相手がどれくらい自分を認めてくれているかを推し測ろうとしています。

    ●意志決定を促すために、質問者が注意すべきこと

    したがって、部下の意志決定力を高めたいと願うマネジャーは「問い」そのものだけでなく、問いの「答えへの応えかた」を練っておく必要があります。

    先日、部への参画意識を高めようと、ある部長が部下から事業アイディアを募ったという話を聞きました。幸いにも予想を越える数のアイディアが寄せられたのですが、内容を読んで失望を禁じえなかったとのこと。彼の期待水準からすると、検討に耐えるようなアイディアはごく少数だったそうです。

    彼はマネジャーとして問いかけ、部下は答えました。勝負はここから。部下の答えへの応えかたこそが、部下の参画意識を左右します。

    直近のいくつかの経験を思い出して、問いを立てる時点で注意すべきことをまとめてみます。

    1.答えへの応えが問われていることを意識する

    そもそも、このQ&A&R(RはRespond、応答の意)とでも呼ぶべきセットを意識するだけでも、変わります。質問者は、答えへの応答によって自らの姿勢を相手にさらけ出しているという事実を自覚すると「思いつきで聞いてみて、自分の期待と違ったらバッサリ」といったパターンの会話は減ると思います。

    2. 答えを予測する

    研修などで練習しているとしばしばあるのが、凝った問いを投げかけて、相手が「……」と沈黙してしまい、そこから慌ててしまうケース。セールスパーソンはよく想定問答を練習しますが、相手の反応を予測して二の矢・三の矢を用意するエクササイズは有効だと思います。

    3. 責任を持って応えられる問いを投げかける

    考えさせたくて大きな問いを投げておきながら、いざ答えが返ってくると「それは社長に言ってくれ」と、どこかちぐはぐなケースもあります。GEのリーダーシップ育成手法であるワークアウトでは、チームに課題を与える役の上司は入念に課題を練るそうです。なぜかといえば、チームからの提案に対して、その場でYes/No/条件付きYesで、応えなければならないから。

  • 052 コンフリクトの所在を明らかにし、観察する

    部下の意見がいつも対立する。せっかく企画を立案しても、内容の吟味よりも利権の調整めいたプロセスに時間が取られてしまう。マネジャーの持ち時間の多くは、何らかのコンフリクト(葛藤・対立)の解消に費やされます。あるマネジャーは、自分の仕事を「組織の水道屋」と呼んでいました。そのこころはもちろん、組織の上下・左右の「流れを良くすること」が仕事だから。

    コンフリクトに対処するための、さまざまな方法論が提唱されています。今回は対処の前段の部分、コンフリクトの所在を明らかにすることについて考えてみます。

    ●「どこで」「どんな」コンフリクトが起きているのか

    まず、組織におけるコンフリクトのレベルを切り口に考えることができます。意思決定のすぐれた総説である『意思決定論―基礎とアプローチ』で、著者の宮川 公男はコンフリクトの古典的な分析アプローチを紹介しています(1)

    たとえばマーチおよびサイモンは、コンフリクトを(1)個人的コンフリクト、すなわち個人の意思決定におけるコンフリクト、(2)組織内コンフリクト、すなわち組織における個人間およびグループ間コンフリクト、(3)組織間コンフリクトの三つに分類し、そのうちの(2)を中心的な考察対象としている。

    これは、言ってみれば「どこで」コンフリクトが起きているのかを考えることです。「どこで」とくれば、次に知るべきは「どんな」コンフリクトが起きているのかでしょう。これにもいくつかのアプローチがありますが、ハーバード・ビジネススクールのマイケル・A・ロベルト教授は、感情−認知という切り口を分析の起点に据えています。

    具体的には、感情的コンフリクトの高−低を縦軸に、認知的コンフリクトの高−低を横軸にしたクワドラント(2×2のマトリクス)を描き、今起きている対立がどの象限に入るかを評価します。そのうえで、感情を排除するのではなく効果的にマネジメントすることを意識しつつ、コンフリクト解消のプロセスを設計していきます(2)。このような分析によって「一拍置く」こと自体に意味があります。「6秒間で思慮深さを取り戻す」という回で紹介したように、感情を言葉にするなど自分の感情を認知する活動そのものが、興奮を鎮める効果を持っているからです。分析の基本は「分ける」ことですから、コンフリクトを感じたら、まずは淡々と「どこで」「どんな」コンフリクトが起きているのかを分けて観察してみるのがよいのではないでしょうか。

    ●大きな目的に立ち戻って、コンフリクトを評価し直す

    そのようにして掘り下げていくと、大きなコンフリクトの原因に「個人的な」かつ「感情的な」コンフリクトが横たわっていることが少なくありません。わたしが遭遇した忘れがたいケースを紹介します。

    講師を務めたある教育プログラムの参加者の中に、とても熱心に論理的思考を学ばれているAさんがいました。講義の最中はもちろん、講義後にも講壇までやってきて質問をしてくれます。思考法を学ぶ人の中には、しばしば「お勉強」そのものが好きで、実務への応用には熱心でない人もいますが、Aさんはそうではありません。非常に具体的なシーンを想定しておられることがうかがえました。

    Aさんの興味はつねに「組織的な」かつ「認知的な」コンフリクトの解消にあるように思っていたのですが、実はそればかりではなかったのです。親しく話をするようになって、Aさんの学習の動機が社内の特定の人物(以下Bさん)への敵愾心にあることに気づきました。AさんとBさんは職種が違うので、いまの職位では出世競争の相手というわけではありません。しかし利害が衝突しがちな部署にいて、ともに頭の良さを武器にしていることがうかがわれます。ほかに個人的な事情もおありだったかもしれませんが、なんとかしてBを論破してやりたいという思いの強さは、聞いていて驚くほどでした。

    Aさんには「自部署対他部署(Bさんの部署)」という構図だけに注目せず、つねに社外のエンティティ(顧客・競合企業・大手輸入元など)を視野に入れたうえで部署間のコンフリクトを考えるようにアドバイスさせていただきました。当たり前のようですが、Bさん憎しの気持ちが強かったAさんは、新しい商品をひとつ出すのにも、まずBさんの部署をどう説き伏せるかという点に考えが向かってしまっていたのです。


    (1) 宮川 公男  『意思決定論―基礎とアプローチ』 (中央経済社、2010年)

    (2) マイケル・A・ロベルト 『決断の本質 プロセス志向の意思決定マネジメント』 (英治出版、2006年)

  • 051 自発性の源

    ●A社の自主活動の秘密

    ある大企業(以下A社とします)で、有志が集まって全社的な問題について話し合いを重ねたそうです。ここだけ聞くとよくある社内勉強会のように思えますが、ただの勉強会ではありません。

    「部署・職位・社歴の違いを越えた有志が」「会社の休日に」「全国から」「旅費自己負担で」「毎月」集まる、純粋に自発的な集まりだったというのです。

    これは、実際にA社の有志として活動されていた方から直接聞いた話です。実はここ数年来、A社には定期的に研修をしています。よくいえば紳士的、ややもすると受動的な方が多い社風だと思っていただけに、びっくりしました。加えて、今年わが社は偶然にも「自発性」をテーマに据えた人材開発プログラムを何本か手がけています(A社向けではありませんが)。いきおい、強い興味を持って話の続きを聞きました。

    その活動のきっかけは、不景気をしのぐための会社の措置にありました。毎月特定の日を、無給の休日としたのです。「会社の休日」に集まったと書きましたが、それは無給休暇の日だったのです(正しい用語があるのかもしれませんが、以下便宜的に無給休暇と書きます)。本来ならば出勤して給料をもらえるはずの日に、全国から自己負担で集まり、会社をよくするために何ができるかを話し合ったのです。その日はオフィスも閉鎖されますから、場所も自分たちで確保しなければならなかったとのことでした。

    A社の業績は突然悪化したのではありません。数年前から赤字決算を発表していました。研修で接する社員の人々も、何とかしなければという意識がなかったとは思いません。しかし、会社が無給休暇という措置に踏み切ったのを受けて初めて、問題の深刻さを実感したのだと思います。危機感が、社員の自発的な活動を引き出すきっかけになるのだと実感するストーリーでした。

    ●自発性の三つの条件

    かといって、自発性を高めることを目的にして部下に危機感を与えてみようか、と考えるのは単純に過ぎます。A社が危機感だけをあおれば、社員が休日に行うのはボランティアでの問題解決ではなく、転職活動になるでしょう。まして「危機意識を持って、無給休暇の日には自発的に集まって打開策を考えてほしい」なんて指示を出したら、それがどれほど自発性を下げてしまうかは火を見るより明らかです。

    米ロチェスター大学のエドワード・デシ教授は内発的動機付け、つまり自発性のみなもとについて、自律性・有能感・関係性への欲求をあげています。

    • 自律性への欲求(the need for autonomy) ― 自分自身の選択で行動していると感じたい
    • 有能さへの欲求(the need for competence) ― 環境と効果的にかかわり、有能感を感じたい
    • 関係性への欲求(the need for relatedness) ― 他者とつながりをもち、かかわりあっていきたい

    自発性(内発的動機づけ)のみなもと*ListFreak

    A社のケースも、会社の危機はたしかに大きなきっかけですが、危機感がつねに自発的な行動をもたらすわけではありません。

    たとえば会社からの統制がなかった(意図的に統制しなかったのではなく、単に無為無策だったのかもしれませんが)から、「自分たちでできることを探そう」という自律性への欲求が生まれた。

    たとえばA社の社員だという自尊心から、「自分たちならこの状況を変えるために何かができるはず」という有能さへの欲求が生まれた。

    たとえば組織への愛着から、「この会社で今の仲間と一緒にやっていきたい」という関係性への欲求が生まれた。

    そのような背景があったのだと思います。

    マネジャーの意志決定は、多くの場合「指示」というかたちで部下の行動を統制します。組織という統制的な環境下にあって、個人の自発性をどのように支えられるかはすべてのマネジャーにとって大きなテーマですので、引き続き考えて続けていきたいと思います。

    ちなみに、A社の無給休暇は1年ほど続き、めでたく取りやめになりました。しかしその後も、有志は自発的に集まり続けたそうです。平日の夜などに時間を決めて集まり、経営層への提言をまとめるまで活動は続いたそうです。会社の会議室などが使えるようになったので、だいぶ楽になったと笑っていました。

  • 050 判断と選択の違い

    ●真偽を判断し、善悪を選択する

    実務的な意思決定については、その名も『すぐれた意思決定』という、すぐれた本があります。副題の「判断と選択の心理学」が示すように、意思決定は判断と選択という2つのステップに大別されています。「はじめに」で、その違いが分かりやすく説明されています(1)

    『朝起きて曇り空をみれば、天気予報の結果とあわせて、雨が降りそうかどうか考え(判断)、傘を持って行くか否か(選択)を決めている。』

    紀元前4世紀の哲学者アリストテレスの『ニコマコス倫理学』にも、判断と選択の違いについて印象的な一文がありました(2)

    『判断は偽と真によって区分され、悪と善によっては区分されない。だが、選択は、むしろ、悪と善によって区分される。』

    われわれは、ともすると「真であると判断できるものが善なのだから、それを選択すればいいに決まっている」と短絡的に考えがちです。しかし、マネジャーが直面するのは、そうシンプルなケースばかりではありません。

    たとえば、真偽が判断しづらいケースがあります。ある事業を始めるべきか否か、明確に判断できるケースは少ないでしょう。始めるのもやめておくのも同じくらい真だと判断されるとき、どのようにして選択すればよいのでしょうか。

    どちらが、より「善」かを考えなくてはなりません。どちらが自分にとって、自分が率いる組織にとって、そして自分が属する組織にとって「善」といえる選択なのか。これを突き詰めていくと、組織の価値観に突き当たります。「よい判断」をするためのスキルは、マネジャー個々人の努力で高めることができます。しかし「よい選択」をするために必要な組織の価値観は、組織として定義されるべきものです。それを理解し、共感できて初めて、現場で「よい選択」に挑む準備ができたといえるでしょう。

    ●判断は思考、選択は行動

    判断と選択の違いについて、アリストテレスはこうも書いています(2)

    『選択するのはそのようなもの〔善、または、悪〕のうちのどれかを「取るか、避けるか」についてであるが、判断するのは、そのようなものが「何であるのか」「誰のために役に立つのか」「どのようにして役に立つのか」についてなのである。』

    やや踏み込んで定義すれば、判断は思考の産物ですが、選択は行動によって表現されます。意思決定者としてのマネジャーの責任の重みは、明らかに選択にあるでしょう。仕事を抱え込みがちだと自覚しているマネジャーは「判断に関わる作業は部下にゆずり、よい選択をするための準備に焦点を当てる」という観点で仕事の仕分けをしてみてはどうでしょうか。


    (1) 印南 一路 『すぐれた意思決定―判断と選択の心理学』(中央公論社、1997年)

    (2) アリストテレス (著)、加藤 信朗 (翻訳) 『アリストテレス全集13 ニコマコス倫理学』(岩波書店、1988年)