投稿者: Koji Horiuchi

  • 013 MBR – Management By Rumor(噂によるマネジメント)

    ●噂は悪者か、貴重なシグナルか

    人間は自分の能力を高く評価しがちですが、経営者や起業家は特にその傾向が顕著だそうです。こう書いても、驚く人は少ないでしょう。ノーベル経済学賞受賞者でもあるプリンストン大学のダニエル・カーネマン教授らは『経営者はまた、自分が何もかもコントロールできるという錯覚を抱きがちである。実際、計画がうまくいった場合、その成果における運の部分をあからさまに否定する傾向がある(*1)』と述べています。つまり成果が出続ければ出続けるほど、「計画信者」になってしまうわけですね。

    しかし、計画の過信による失敗が多いのも事実です。ミシガン大学ビジネススクールで組織行動学および組織心理学を教えるカール・ワイク教授は、計画についてこう言っています。『計画は、不測の事態をなおざりにしてしまうという落とし穴に我々を誘い込みます。その意味で、計画は噂の対極に位置するものです(*2)』

    この、最後の一文にピンと来るものがありました。噂は、ああなりそうだこうなりそうだという不測の事態の候補をまき散らすという意味で、計画の対極に位置するものです。噂は、リスク要因を草の根レベルから掘り起こす可能性を秘めています。ワイク教授はこうも語っています。『どのような組織でも、最も影響力の大きいストーリーは噂を通じて生み出され、広まっていきます。実際、噂とストーリーテリングとの間に基本的な違いはないと思います(*3)』

    たとえば、創業者がクレームを手がかりに大口顧客の信頼を獲得した話は「ストーリー」だが、確執のすえに共同創業者を追い出した話は「噂」。ストーリーと噂の違いは、それが経営者にとって都合がいいかどうかの違いなのかもしれません。

    「噂なんかに任せず、悪い見通しであっても部下に率直に報告させればいいじゃないか」と思ったとしたら、それもまた「コントロール過信症候群」かもしれません。そのように率直にものを言ってくれる存在は貴重品と呼べるくらい少ないのが実際のところのようです。INSEADのマンフレッド・ケッツ・ド・ブリース教授は、その存在を「道化師」と呼んでいます。『いかなる組織においても、リーダーに遠慮会釈なく物を言い、本当の現実についてリーダーに告げることをいとわない存在が必要なのです。これはまさしく道化師の役割です(*4)』

    ●噂によるマネジメントの可能性

    ここまでをまとめてみましょう。

    • 経営者は自信過剰である
    • 計画の過信は不測の事態をなおざりにしまう
    • 噂は不測の事態を掘り起こしてくれるという意味で、計画の対極的な存在である
    • 噂は組織がストーリーを共有する強力な手段である
    • リーダーに率直に現実を告げられる人間(道化師)はまれである

    これらを眺めていると「噂を道化師役にして、不測の事態に備える」ことはできないかというアイディアが浮かんできます。われわれは噂を好ましくないものと見なしがちです。噂はコントロールできないし、組織の結束力を弱めるリスクがあります。しかし噂を抑圧せず(抑圧すればするほど広まるのが噂なわけですが)、振り回されず、うまく付き合って意志決定の材料とすることはできないでしょうか。

    ここで性急に「匿名の社内掲示板はどうだろうか」等と打ち手の話を始めてしまうと議論が小さくなってしまうので我慢しておきます(導入事例はあるようですね)が、覚えている事例を一つ紹介します(出所を失念してしまいました。わたしの実経験ではなく書籍で読みました)。

    あるプロジェクトではマネジャーが噂を耳にするとそれを紙に書いて壁に貼りだしていたそうです。そのうえで、皆の関心の高そうな噂にはマネジャー自身の見解を書き入れていたとのこと。根も葉もない噂によるプロジェクトの動揺を食い止めつつ、マネジャーが見逃している「不測の事態」を見いだせるかもしれません。うまく機能すれば、ある種のコミュニケーションチャネルになるかもしれませんね。

    (引用文献)

    いずれも DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー編集部 『組織行動論の実学―心理学で経営課題を解明する』(ダイヤモンド社 2007年)所収。今回は、この論文集で何か一本書いてみようという挑戦でした。 「噂によるマネジメント」の実現可能性については他にも考慮すべきポイントがたくさんあります。思考実験としてお読みいただければ幸いです。

    1. ダン・ロバロ、ダニエル・カールマン 『楽観主義が意思決定を歪める』
    2. カール E. ワイク 『「不測の事態」の心理学』
    3. 同上
    4. マンフレッド F.R. ケッツ・ド・ブリース 『リーダーシップの不条理』
  • 012 合理的な意志決定のために必要なのは「感謝」

    ●我々の判断をゆがませるもの

    我々は自分の判断には過剰な自信を持ちがちです。問題の原因が構造的なものであっても人(しかも往々にして他人)に帰着させたがります。目立つ事象を過剰に重視した判断をくだしてしまいます。起きてしまったことについては、もともと何も考えていなかったくせに「やっぱりな」「そんな気がしていた」と思ってしまいます。このように、人間の記憶や感じ方、そして考え方には、非合理的な傾向があります。自分はそんなことない?それはもしかしたら一番目の傾向の表れかもしれません。

    上で挙げたような傾向は人間に一般的なもので、「認知バイアス」として知られています。認知バイアスの一部は、限られた時間や情報の中で選択をしていくための無意識的な簡便法(ヒューリスティクス)がもたらす副作用として理解されています。人間が生まれつき持っている思考のクセのようなものですね。この「クセ」から生じる判断の誤りをなくそうと、我々は時間をかけて考えたり、論理的思考を学んだり、複数の人間で検証を行ったりします。

    逆にこの「クセ」を増幅してしまうのは、いわゆるストレスです(ストレスにもいろいろありますが、ここでは判断のゆがみを助長するような心理的な圧迫を指しています)。マネジャーとしては、できるだけストレスを排除して意志決定に臨みたいもの。皆さんも「ストレス・マネジメント」とか「ストレス・コーピング」という研修を受けたことがあるかもしれません。

    ●判断のゆがみを最小化する鍵

    今回ご紹介したいのは「感謝の気持ちこそストレスに対抗できる想念である」という文章。

     1970年代、私は幸運にも、ストレスという概念の発見者である生理学者ハンス・セリエ博士が晩年におこなった講演会に参加することができた。

     セリエ博士は、ストレスに対抗できる唯一の想念は、感謝の気持ちであると説いた。

    (略)

     その後、脳内化学物質に関する研究が進んだ結果、セリエ博士の教えは時代を先取りした主張であることが明らかになった。感謝の気持ちを感じると脳内でセロトニンが放出され、このセロトニンがストレス物質の連鎖反応を抑制することが判明したのだ。

    ルーシー・ジョー・パラディーノ 『最強の集中術』 エクスナレッジ 2008年

    上を引用したブログのエントリを読んだ方が、メールで「感謝に勝るものはありませんね」と共感を送ってくれました。わたしは「へー、感謝がストレスに効くのか」くらいにしか受け止めていなかったので、「感謝に勝るものはない」という言葉には刺激を受けました。

    もし感謝が心を静める最強の想念ならば、いつでもどんなときでも頼れる「無条件に感謝できる存在」を用意しておけば、万能の抗ストレス剤になるはず。無条件に感謝できる存在……と考えて、無宗教のわたしは「神様」というアイディア(?)の素晴らしさに今更ながら気がつきました。神を信じるとは、神に無条件に感謝することと言い換えられますね。

    無条件に感謝する。過去に起きたことだけでなく、これから起きるすべてのことに対しても、感謝する用意ができている。そんな対象があれば、どんなときでも心を静められるでしょう。

    神でも天でも自然でも、「無条件に感謝できる存在」を探しておくのも良いでしょう。加えて、積極的に感謝の対象を探すクセをつければ、心を静める手がかりになるでしょう。「いつでも何かに感謝できること」はよい決断のためのスキルと言ってもいいかもしれません。

    実は先日仕事で強いストレスを受けたことがあり、偶然にも感謝の力を試す機会に恵まれました。仕事の中で悪役を演じる必要があり、結果が当方への手厳しい批判となって返ってきたのです。意図通りとはいえ、どうしても穏やかな気持ちではいられません。憂鬱な数日を過ごした後で心を静めることができたのは、背景を知る方々からの温かい言葉のおかげです。

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    株式会社購買戦略研究所は企業の調達プロセスを最適化するためのコンサルティングや調達業務のコーディネーションを行うベンチャー企業です。前職の仲間である古市 勝久社長から声を掛けていただき、非常勤の取締役として立ち上げを応援しました。

    (2007~8年)

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    (2005年~2008年)

  • 011 ならぬことはならぬ

    「江戸時代、(人材育成で高い水準にあった)会津藩の藩校『日新館』では『ならぬことはならぬものです』と教えた。今は学校でも家庭でもそうした教えができていない。子どもたちには理屈ぬきでダメなものはダメと教えなくてはならない」と強調する。

    「心に太陽を唇に歌を」、藤原正彦氏――理屈抜きで戒め教える(あとがきのあと)、日本経済新聞 2007/04/29

    「ならぬことはならぬ」とは、いかにも頭ごなしで非論理的な気がします。しかし、困難な意志決定を迫られたときに我々がよりどころにする判断の基準は、実のところそういった「理屈抜きに信じている何か」でしかありません。

    困難な意志決定とは、多くが「ともに正しい選択肢」からの選択です。例えば、それぞれが違う持ち味を発揮しており、評価も甲乙付けがたい部下のどちらを昇進させるか。どちらも昇進させたいところだが、枠は一つしか用意されていない。そんなケースです。

    評価する以上その理由を問われるでしょうから、客観的に見て妥当といえそうな理由をできるだけ探すべきです。例えば、社内の基準に照らして評価を比較する。周りの人間に意見を求める。短期だけでなく長期を考え、当人だけでなく組織にとっての善を考える。そういったことです。

    しかしそういった理由付けを経ても、明らかにこちらだという選択肢を見い出せない場合があります。簡単に決められない選択は組織の上に持ち上げられていきますから、読者の職位が高ければ高いほど、そういったケースが多くなるでしょう。

    理屈が付けられないとなれば、「理屈抜き」で決めるしかありません。結局のところ、とても属人的で、しかもそのメカニズムもよく分かっていない、直観というものに頼らなくてはならないのです。

    脳科学者の茂木健一郎は、人間の脳は生き延びるための臓器であり、その能力は直観による創造力にこそあるという見方を示しています。

    そのような人間の判断する能力の中核に、直観を支える脳のシステムがある。ルールに従って決断していれば常に「正解」に到達できるのであれば、そんなに楽なことはない。しかしそのような「論理の楽園」は、フィクションの中にしか存在しない。たとえ参照すべき軍の規定などがあったとしても、最後の最後に頼りになるのは、「こうした方がよさそうだ」という自分自身の直観なのである。(引用者注:この前段に軍事判断の事例があるので「軍の規定」という言葉が使われています)

    『脳と創造性』

    直観に従うしかないといっても、でたらめでいいということにはなりません。信頼されるマネジャーは直観のシステムに一貫性があります。それが「あの人の意見を聞いてみよう」というフォロワーを増やし、リーダーシップを形成します。

    「ならぬことはならぬ」と言うしかない状況、「なぜ、ならぬのか」と聞かれても言葉では答えられない状況はあります。しかし言葉にならないにせよ、自分の直観がどのような基準で働いているのか、知る方法はないのでしょうか。

    ヒントは、感情にありそうです。茂木は同じ本で「感情は、無意識と意識の間のインターフェイスである」と言っています。決断に臨むとき、自分の胸に去来する、ある感情があります。これが無意識から意識へのシグナルだということでしょう。

    何を感じながら決めたか。その結果、どうなったか。そのフィードバックサイクルを回していくことで、自分の直観のはたらきを理解していけそうです。

  • 010 「高望みしておけば、望みがかなったのに」

    ●新人Aさんの工夫

    ある企業の新人研修では、最初の3日間でビジネスマナーを教え、次の2日間で飛び込み営業の実地訓練をしています。自社の商圏に隣接している街に新人を連れて行き、中小企業向けの商材の販売に取り組ませます。1日目は先輩社員と組んで回り、2日目は自分だけでがんばってもらいます。

    2日目に関しては肝試しのようなもので、具体的な成果を期待しているわけではありません。とはいえ新人諸君には「社長と名刺交換をしてこい」とハッパをかけます。

    たまには、実際に社長の名刺や具体的な提案依頼を持ち帰ってくる新人もいます。Aさんもそんな新人のひとりでした。Aさんはどう考えたか。

    Aさんは、初日に受付に置いてある社員名簿をよく観察していました。社員名簿を置かない会社もあれば、置く会社もあります。社長の名前を名簿に載せない会社もあれば、役職を抜いて全員の名前を載せる会社もあります。社長を直接呼び出せるような名簿を置く会社も、中にはあります。

    Aさんも他の新人同様に一社一社回りましたが、社長を呼び出せない会社はどんどん飛ばしていきました。社長を呼び出せる会社を見つけたら、直接面会を申し込みました。断られたり社長が不在であった場合には、購買担当の方に面会を申込みました。

    初日に先輩がやったように、一社ずつ回って購買担当の方に面会を申し込む方法をなぜ採らなかったかと聞かれたAさんは、このように答えました。

    「一日限りの仕事なので、一日で成果を出したいと思いました」
    「『中小企業では、社長に会えれば話は早いんだ』と教わりました」
    「受付の名簿に名前があるということは、社長であっても『呼んでいいよ』ということだと思いました」

    たしかに、敢えて社長として名簿に名前を載せている経営者には、それなりの理由があって飛び込み営業を受け付けている方もいるでしょう。初期評価と最終承認が自分の仕事だと考えている方もいれば、社長に飛び込み営業をかけてくるような元気なセールスパーソンが好きだ(場合によってはリクルートしてしまおう)と思っている方もいると思います。

    ほかの新人は、どうハッパをかけられようと、会社の期待値を見切っていたかもしれません。がんばったところを見せて「厳しさを思い知りました」と報告すれば、新人研修のオチとしては十分であることを察知していたかもしれません。

    Aさんは本気でした。たった一日で完結しなければならないという制約を本気で考えて、ユニークな発想に至りました。

    ●目的からストレートに考え下ろす

    我々はしばしば、目的からストレートに考え下ろすということを忘れてしまいます。

    例えば、うまくやり遂げることに注意を集中しすぎているとき。上のケースで言えば、ともすると「何社のドアを叩いたか」「何枚の名刺をもらったか」ということが目的になってしまいます(新人研修ですとそれが目的のこともありますが)。

    あるいは、「誰もやっていない」「これまでやったことがない」という理由で、他の手段を無意識に排除してしまうとき。上のケースで言えば、社長に直接面会を申し込むというのは、先輩にとっては想定外でした。実際、日々の仕事では、頭越しに話を通すのでなくて担当者とよい関係を築いていくことが重要かもしれません。会社もそういった通常の営業活動の練習をするという前提で、研修を設計したのでしょう。それは当たり前の前提なので、敢えて伝えられることがなかった。しかし新人のAさんが理解したのは、これは「自社の商圏に隣接している街」での「1日限りのプロジェクト」ということでした。そして目的からストレートに考え下ろしていって、最善と思う手段を発想したのです。

    ●「高望みしておけば、望みがかなったのに」

    例えば遠慮がちな部下が回りくどい提案をしてくるとか、リスクを恐れるあまり余計な仕事に時間をかけ過ぎてしまうとか、似たような話は皆さんの周りにもたくさんあるのではないでしょうか。傍から見ていて、「すこし高望みしておけば、簡単に望みがかなったのに」という逆説を感じることもあると思います。

    こういうことは、他人を観察していると分かりやすいのですが、自分の意志決定となるとなかなか難しいもの。我々がマネジャーとして意志決定をしていく際にも、こういった「暗黙の前提」と戦っていく必要があります。

    そこで、そもそもの目的を思い出すために、手段を選択する前に一度「高望み」をしてみてはどうでしょうか。目的を果たすための意外な近道が見えてくるかもしれません。

  • 009 コロンブスの一割引き

    ●コロンブスの一割引き

     『ひらめきはどこから来るのか』という本に、コロンブスのアメリカ大陸発見にまつわる愉快な記述があります。

     エラトステネス(紀元前二七六〜一九四)は驚くべき正確さをもって、地球の大きさを算出した。ところが、プトレマイオスはこの説をとらず、旅行経験の豊富なストラボンの見解にしたがって、地球の大きさをかなり小さく見積もってしまった。やがて――とはいっても約一四〇〇年の歳月を経て――プトレマイオスの『地理学』はラテン語に翻訳されてヨーロッパに普及したが、その地図の上ではインドは実際の位置よりもはるかにヨーロッパ寄りに描かれていた。しかもコロンブスは、そこからさらに一〇パーセント割り引いて計算したらしい。こうした二割、三割は当たり前式の能天気な見通しがなく、仮に本当の距離が知られていたとしたら、たとえコロンブスといえども未知の大洋へと船を出す勇気は持ち得なかったのではないか、とブアスティンはいう。

    吉永 良正 『ひらめきはどこから来るのか』 草思社 2004年

     命がけの航海。頼りは1400年前の地図。それなのに『コロンブスは、そこからさらに一〇パーセント割り引いて計算した』らしい。リスクにはプレミアムを乗せるのが普通の考えですから、一割引きでなく二割増しくらいで見積もりたいところです。本当に能天気だったのか、なにか計算があったのか、考えてしまいました。

     考えてみると「わざと簡単そうに見積もる」ことはよくあります。幼稚園のころ自転車の補助輪を外すときには「すぐに出来るようになるよ!」などと言われました。子どもにとっての「すぐ」は数分ですが、数分で二輪車に乗れるようになるわけもありません。「もうすぐもうすぐ」と言われつつ、結局は数日かかって、とにかく最後にはできるようになりました。

     そしていま、自分が子どもに同じことを言っています。子どもは最初は恐いだの痛いだのカッコ悪いだのと理由をつけてチャレンジを嫌がりますが、ノッてくれば変わります。

     やると決めてもなかなか動き出せないときには、この「コロンブスの一割引き」で弾みをつけるのもいいですね。

    ●弾み車を押し始めるのは、早いほうがよい

     弾みをつけるといえば、経営判断を「占いに頼ることもありだと思う」とおっしゃる経営者の方がいらっしゃいました。いつもはとても論理的な方なのでびっくりしたのですが、話をよくうかがってみて腑に落ちました。こういう話だったと記憶しています。

     『2つの選択肢があって、考え抜いて考え抜いて、それでもどちらが良いか分からない場合には、「どちらでも同じだ」と思うことにしている。迷って行動を遅らせるよりは、占いでもいいから早く決めて行動に移す方が、どちらの道を行くにせよ成功の確率は高まるはずだ。なぜなら早く始めた方がそれだけ試行錯誤の機会もあるし、改善のサイクルも多く回せるのだから。』

     では何割引くらいで見積もるのがよいのか。これは事業にもよるでしょうし、ご本人の性格にもよるでしょう。ただし、「能天気な」コロンブスをして一割「しか」割り引かなかったということは意識しておくべきと思います。一割引いても難しそうに感じるのであれば、まだ挑戦の時期ではないのかもしれません。

  • 008 原因と結果の間にあるもの

    ● 原因と結果の間にあるもの

     例えば、Aという商品がヒットした。原因を分析したところ、決め手は卓越したキャッチコピーだったとします。

     その原因(よいコピー)がなければ、この結果(ヒット)はなかった。しかし、その原因があれば必ず同じ結果になるかというと、そうではありません。

     それではヒットという結果につながる原因をたくさん用意してやれ、ということで、いわゆる4P(価格/性能/流通/販売促進)を考えたりするわけです。こうやって網羅的に考えることで、よい結果を期待できる確率は高まりますが、それでもなお、結果が保証されるわけではありません。

     原因と結果の間には、いったい何があるのか。

     「縁」である、という文章を仏教の解説書のなかに見つけました。まだ十分に理解していませんが、とても分かりやすい解釈でハッとしたので、簡単にまとめてみます。

     因縁という言葉の「因」は、いままで述べてきた原因にあたります。分析で特定できるような、直接的な原因です。それ以外に「縁」という間接的な原因があって、ある結果は因と縁がセットになって初めて生じます。

     となると今度は、望ましい結果を得るために「縁」というものをどうやって用意するか、ということに興味が向かいます。しかしこれは定義矛盾になってしまいます。人為的に用意できない原因があるからこそ、「縁」という概念があるわけです。

     「縁」はある種の偶然ですから、いつ降りてくるか分かりません。しかも間接的な原因ですから、縁があっても因がなければ、結果には結びつきません。

     よい結果を出すために、できるだけの原因を揃えておいて「ご縁」を待つ。「人事を尽くして天命を待つ」というのは、そういうことなのでしょう。

    偶然(縁)が結果を左右している事実を直視する

     『自滅する企業 エクセレント・カンパニーを蝕む7つの習慣病』という本は、成功した企業が変化に適応できず滅んでいくメカニズムを追っている本です。個人における生活習慣病のごとく、自滅に至る企業が罹りがちな7つの習慣病が挙げられています。

     その第一は「現実否認症」。トレンドの変化など観察可能な事実から目を背けてしまう病気で、それは成功の原因をすべて自分に帰するところから始まるようです。

     私が調査した多くの企業では、底辺から出発したことを忘れ去り、自らの偉大さを神話化するようになると、現実否認が進行しはじめるようだ。偶然成功した企 業がどれほど多いことか、また、尊敬されている企業の中にも、幸運にもタイミングよく成功する場所にいた企業がどれほど多いことか。そう考えると、現実否認に陥る傾向は非常に印象的(そして滑稽)である。

     売れない俳優やミュージシャンと同じで、そういう会社は幸運にも「発掘された」のだ――タレントスカウトにではなく、たった一人の重要な顧客によって。実際、たいていの場合、企業を成功に導くのは一部の顧客であり、しかも顧客のほうがその会社を見つけ出すことが多い。(p48)

     山田真哉氏は、ミリオンセラー『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』を謙虚にも「偶然の産物」と述べています。もちろん売れるだけの内容と仕掛けを込めた(「原因」を揃えた)という自負はお持ちでしょうが、ミリオンセラーという「結果」については、社会的背景という「偶然(縁)」の助けがあったことを指摘しています。

    『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』についても、その発売がもう1年早くても、あと1年遅くても、ミリオンセラーという同じ結果にはなっていないと思います。

     なぜなら、『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』のヒットの裏には、発売された2005年当時、ライブドアのニッポン放送買収騒動など、会計が関係する経済 ニュースが巷にあふれていたという社会的背景があったからです。もちろん、本の出版時期は計算されたものではないので、まさに偶然の産物です。(p221)

    『 「食い逃げされてもバイトは雇うな」なんて大間違い』

     今の自分をここまで運んでくれた数々の「偶然」を忘れてはいけません。ある結果には必ず偶然(縁)が作用していると考えるならば、一度成功した仕事でも2回目には失敗するかもしれません。

    ●偶然は必ず起きる。偶然に備え、訪れた偶然を活かす

     ちょっと逆説的ですが、偶然は必ず起きます。偶然とは「いつ・誰に・どんなものが・どれくらい起きるかは分からないが、統計学的には必ず起きるイベント」です(絶対に起きないと分かっているのであれば、それは「起きないという必然」になるわけです!)。

     さらに「ある結果には必ず偶然(縁)が作用している」ならば、偶然は常に誰にでも大量に起きています。ただ、ふだん我々はそれをいちいち吟味していません。偶然を待ちかまえる、つまり「この偶然はうまく活かそう」「この偶然はやり過ごそう」というつもりで日々の出来事を観察するならば、自分を望ましい方向に転がしてくれる偶然は意外に頻繁に起きているかもしれません。

     そのためには「うまく活かそう」「やり過ごそう」という判断のスピードを上げる必要があります。判断のスピードを上げるためには、判断の基準を明らかにする必要があります。

     不確実性を減らすのもマネジャーの仕事だが、減らし切れない不確実性は常に存在する。それを受け止めたうえで、すこし時間を取って「組織としてのあるべき姿」「個人としてのありたい自分」を考えてみることで、逆に判断のスピードが高まるのではないでしょうか。

  • 007 しょせん人間の作ったもの

     「インテリジェント・デザイン」とは、『知性ある設計者によって生命や宇宙の精妙なシステムが設計されたとする説(Wikipedia)』のこと。個人的にはこの考え方に与するものではありません。しかし創造の過程はどうあれ、進化の結果としていま目の前にいる小さな昆虫などを見ていると「知性ある設計者」の存在を想像したくなる気持ちは分かります。自然や生命の仕組みはそれほどまでに巧みに思えます。

     一方、組織は人間が作るものです。何万人の大企業であろうと、誰かが意図を持って仕組みを作り、運営しています。完璧ではありません。それにも関わらず、我々は組織が課してくるデザイン上の制約を、あたかも「知性ある設計者」が作りあげたもののように受けとめ、変えられないものであるかのように不満を言ったりしています。その仮想の制約に基づいて意志決定をしたりしています。例えば:

    • 処遇に不満があるのに社内の誰にも相談せず、転職する。
    • 「前例がない」からと、提案をあきらめる。
    • 「そういうものだ」と、部下の不満を押し込める。

     そういった制約の多くは、実際には社員よって支えられている幻想であることが少なくありません。

     幻想とはいえ、強固なものです。ある企業の研修で、現場の制約をまったく外した「理想のプロジェクト」を定義してみたことがあります。結果は奇妙なものになりました。チームによっては、メンバーの希望を容れない人材配置や残業を前提にしたスケジュールなど、「現状の縮図」としか言えないようなプロジェクトになってしまうのです。

     プロジェクトマネジャーは「期限内に終わらせるためにはどうしてもこのやり方が必要だ」と主張して譲りません。「それが本当に『理想』なのか」「全員の満足を最大にするにはどうすべきか」「自分が一メンバーであったらどうか」など、様々な角度から自問を重ねてもらうことで、ようやく「メンバーの希望を聞いて、制約とすり合わせる」といった新しいやり方を試そうという気持ちになります。

     幻想に囚われていることは、他人事として見ている分には指摘しやすいものです。上で引用した企業に向かって、その「新しいやり方」は他の企業では既に「なじみのやり方」ですよ、と言うことは容易です。かもしれません。しかし自分自身の幻想、または自分がその一部となっている組織(家族・企業・社会など)の幻想を見極めることは、とても難しいものです。

     よい意志決定の障害となるこの幻想を取り除くためには、少なくとも以下の2点が必要です。

    (1) 判断基準となる「ありたい姿」を現状から離れて明確にすること
    (2) 自分の思考や組織が「インテリジェント・デザイン」ではないことを肝に銘じること

    このコラムでは(2)を強調したいと思います。組織も、しょせん人間の作ったもの。ゲイリー・ハメルは『経営の未来』の中でこう述べています。

     近代経営管理は多くのものをもたらしてきたが、それと引き換えに多くのものを奪ってきた。そろそろこの取引について考え直してもよいころだろう。我々は。わずらわしい監督者の階層を築かずに何千人もの人びとの活動を調整する方法を学ばなくてはいけない。人間の想像力を抑圧せずにコストを厳しく管理する方法を学ばなくてはいけない。規律と自由が互いに排斥し合う関係ではない組織を築く方法を学ばなければならない。この新しい世紀には、近代経営管理の不幸な遺産である一見避けられないかに見えるトレードオフを超越することを目指さなければならないのである。(p9)