投稿者: Koji Horiuchi

  • 129 互恵と信頼

    ●社長の選択

    社長になったつもりで次のシーンを読み、何ができるかを考えてみてください。これは、ヘンリー・クラウド『リーダーの人間力』で紹介されていたエピソードを編集し、クイズに仕立てたものです。

    《シーン1》 従業員満足度調査を実施したところ、福利厚生サービスに対する不満が明らかになった。しかし自社はかねてから従業員に最善のサービスを約束しており、事実、福利厚生サービスには同業他社よりもコストをかけている。どうするか?

    • A1. 従業員に事実を説明し、現状に感謝し満足すべきだと訴える
    • B1. その他「 」

    A1も悪くない打ち手ですが、十分とはいえません。サービスの良し悪しは、会社がかけたコストではなく従業員のメリットによって測られるべきでしょう。ですからB1として「費用対効果の観点から同業他社と比較し、さらに良いサービスを探す」という選択が思いつけます。社長もそのようにしました。

    《シーン2》 調べてみると、コストに見合ったメリットを提供できていないこと、市場にはもっと有利な条件の福利厚生サービスがあることがわかった。このサービスは内容が手厚いだけでなく、コストも低い。どうするか?

    • A2. 新サービスの導入を発表し、自分が従業員の声に耳を傾けたこと、約束どおりに市場で最善のものを提供すること、会社のコスト削減にもつながることを説明する
    • B2. その他「 」

    A2は妥当な行動に思えます。従業員はもちろん喜ぶでしょう。妥当どころか、これ以上やるべきことはちょっと思いつけないという感じです。しかし、社長が選んだのはB2でした。何ができるか、先に進む前にすこし考えてみてください。

    ● いつも Win-Win が最善ではない

    《シーン3》 社長は、浮いた資金を信託に回して従業員の退職手当を手厚くすることに充てようと考えた。

    なるほど。A2には「一回の取引ごとにWin-Winを確定したい」という考えがあるように思えますが、B2(シーン3での社長の選択)はもっと長期的な視点に立っています。福利厚生サービスの不満が解消される上に、リクエストしてもしない手当がつくわけです。従業員の満足は労働意欲に反映され、めぐりめぐって会社に利益をもたらしてくれるでしょう。このように、今すぐの見返りを期待しない利他的な行動をお互いにし合う関係は、互恵的利他主義と呼ばれます。

    もう1シーン、続きを読んでください(これは引用ではなくわたしが追加しています)。

    《シーン4》 しかし、コンサルタントはこのように進言した。
    「退職手当を増やすと従業員満足度が高まるというデータはない。金銭的な処遇は衛生要因、つまり『それが低いと不満を持つが、高くなるほど満足度が高まるわけではない』ので、従業員の満足度が大きく高まるとはいえない。そもそも、従業員が満足したから利益が向上するというのも、世間で言われているほど確かなものではない。コスト削減によって利益が得られたのなら、株主など短期的かつ金銭的なメリットに価値を置く他のステークホルダーに還元すべきだ」。どうするか?

    つまり、見返りはないかもしれないよ、ということです。たとえば株主配当に回せば、株主の満足は確実に高まるわけですから、そちらのほうが会社にとってはよい選択かもしれません。

    ● 互恵はなくても信頼はある

    想像ですが、この社長はそれでも従業員の退職手当を手厚くするほうを選ぶと思います。そう思える理由を説明するために、シーン3の選択にいたる部分を丸ごと引用します。

    彼は考えた。「待てよ。会社としては福利厚生の予算はすでに取り分けてある。コストは計上済みであり、それを負担することには何の問題もない。そもそもこの資金は従業員に振り向けてあるものだ。今回、検討の結果、福利厚生費が当初予算より少なくて済むことになった。この際、浮いた資金は信託に回して従業員の退職手当を手厚くすることにあてよう。この資金はすでに従業員のために取り分けてあるものだ。浮いた分の恩恵は従業員に回そう」

    源泉が商品の売り上げであれ福利厚生予算の圧縮であれ、利益は利益です。社長のようにお金に色をつけてしまうのは心の会計(メンタル・アカウンティング)といって合理的でない行為とされています。

    しかしおそらく、そんなことは社長もご存じでしょう。それでも上記のように考えたとすれば、行為を選ぶ基準が「見返りがあるか、儲けを最大化できるか」ではなく「従業員への約束を果たせるか、信頼を示せるか」というところにあったのだと思います。

    本書では『信頼し信頼されるということについて、人間性のあり方は三つに大別できる』とあります。

    • 【被害妄想】相手を警戒し、報復の準備をしながら関係を保つ
    • 【互恵取引】相手がくれるかぎり、こちらも与える
    • 【真の信頼】ただ、相手に最上を望み、相手のために最善を尽くす

    信頼関係の3つのあり方*ListFreak

    相手のために最善を尽くすし、相手も自分のために最善を尽くしてくれると期待する。しかも見返りの有無とは関係なく、無条件に。

    この最後の項目は、伴侶や親子の間柄であっても難しいと思います。雇用関係にある経営者と従業員の間でこのような信頼関係を築くのはさらに困難な挑戦です。業績のためにそこまでの信頼関係が必要かどうかもわかりません。経営者と従業員は【真の信頼】で結ばれるべきだとか、困難であってもそのレベルに挑戦しようとか、そう主張したいわけでもありません。

    ただ、自分はA2で満足してしまいました。社長の行動を読んで驚きましたし、実行するしないは別にしても、そのような選択肢を創造できるようになりたいと感じました。そこでこのようにステップを踏んで社長の考えを追ってきました。そしてわかったことは、社長が「信頼」という状態に対するイメージをはっきり持っていたであろうこと、そのイメージから目をそらさずに考え続けたであろうということです。

  • 128 念・忘・解

    【忘れるほど考え抜く】

    ロボット工学の第一人者で「ロボットコンテスト」の提唱者としても知られる森政弘氏は、創造的なアイデアが浮かぶまでには念忘解というプロセスがあると述べています(『矛盾を活かす超発想』)。(1)

    • 【念】問題をかかえ込んで、いつまでもそのことが念頭を離れないほど考え抜く
    • 【忘】とことん考え抜くと自然に忘れてしまう(忘れようと思ってはだめ)
    • 【解】意識のうえに答えがひらめき出る

    創造的な解にいたる「念・忘・解」*ListFreak

    こういう発想のプロセスには、かならずといっていいほど「忘」のステップが入っています。有名な「アイデアが生まれる5つの段階」(『アイデアのつくり方』)にも、まん中に「孵化段階」があります。(2) 『意識の外で何かが自分で組み合わせの仕事をやるのにまかせる』ステップだと述べられています。

    森氏の「忘」は、孵化段階への入り方に特徴があります。忘れようと思うと、そう思うことが対象を意識の上にとどめてしまう。逆に考え抜くと自然に「忘」に入る。そう言っています。どのくらい考え抜くのか、迫力に満ちた文章を引用します。

    人為的に忘れるのではなく、徹底的にその問題を解こうと考え抜くのである。くたくたになってしまうまで考えて、考えて、考え抜くのだ。われを忘れて、考えることに全力投球するのである。  ものごとは、とことん徹底すると逆の地点に到達するものだ。(略)ずーっと起きていれば、ひとりでに眠くなるように、とことん考え抜くと自然に忘れてしまうのである。これがいちばん上等の「忘」への入り方である。

    森氏のような深さではないとしても、経験的にはうなずけます。うなずける方は多いのではないでしょうか。

    念忘解のプロセスは、実験によって確かめるのが難しいテーマです。「解」の創造性を測るなら、「念」じるテーマは揃えたほうがよいでしょう。自分が少額の報酬で集められた被験者の一人だとして想像します。テーマが与えられ、これについて「忘」れるまで「念」じ抜いてくださいと指示されても、とても意欲が続きそうにありません。

    人が何かを考え抜こうとする意欲の源は何か。汲めども尽きぬ興味、つまり好奇心以外には思い当たりません。そして好奇心は「報酬ももらえることだし、ちょっと持ってみるか」という感じで持てるたぐいのものではありません。

    【創造性←好奇心←個別性】

    多くの組織が社員に求めているのが、まさに創造的な解です。しかしそのためには念→忘というステップが必要で、個人がこのステップを踏むためには、対象に好奇心を持てなければなりません。

    では、個人に好奇心を持たせるにはどうすればよいのでしょうか。 イギリスの教育者サー・ケン・ロビンソンは、「教育の『死の谷』から脱出するには」というスピーチの中で、『人の生が輝くための原則が3つある』と述べています。奇しくも、ここまで述べてきた2つの要素が入っています。(3) (4)

    • 【個別性】人間は、一人ひとり違う。(Individuality)
    • 【好奇心】人間は、好奇心によって学ぶ。(Curiosity)
    • 【創造性】人間は、生まれつき創造的である。(Creativity)

    教育者が心すべき、人間の3原則*ListFreak

    創造性は、人それぞれ(個別性)の好奇心を追求していった先に生まれるものである、と理解できます。もしそうならば、「(組織の都合に合わせて)個人に好奇心を持たせるには?」という問い自体が無効であることになります。逆に、個人が個別に抱く好奇心に、どうやって「組織の都合」を合わせていくかという視点が必要になります。

    実際、人々の好奇心が重なるところを見いだすのは難しいので、もとから好奇心の重なりが大きい人たちで組織を作るほうが楽です。組織のスタートアップの時に、あるいは改革の直後に「誰をバスに乗せるか」については慎重であるべきといわれるゆえんでしょう。


    (1) 森 政弘 『矛盾を活かす超発想』(講談社、1989年)

    (2) ジェームス・W・ヤング 『アイデアのつくり方』(阪急コミュニケーションズ、1988年)

    (3) “Ken Robinson: How to escape education’s death valley” – TED.com

    (4) 本筋とは関係ないのですが、念忘解の作者である森氏は、死の谷ならぬ「不気味の谷現象」(Wikipedia) の発見者としても知られています。思わぬ「谷」つながりを、メモしておきたくなりました。

  • 127 解凍・変化・冷凍

    ● システムを変えようとしてみないかぎりは、そのシステムを理解することはできない

    『心理学大図鑑』という本の表紙には、古今の心理学者の名言が散らばっています。何の気なしに眺めていたら、一つの文章が目に飛び込んできました。

    “You cannot understand a system until you try to change it”(システムを変えようとしてみないかぎりは、そのシステムを理解することはできない)。

    「システム」とは、自分が気づかずに受け入れている信念の体系だろうと思いました。病気になって初めて健康(という精神と肉体の維持システム)のありがたみが分かります。これは自発的に変えようとする例ではないですが、自らがその一部になっているシステムのを理解する方法は、良くも悪くも「変化」しかない、という明快な主張にハッとさせられました。

    個人でも組織でも、学習や成長というテーマを考えるとき、その主体が持っている思い込みに気づくにはどうしたらよいかということが話題になります。何しろ自分では気づけないから「思い込み」と呼ぶのであって、ひとたび気づけたらそれは「思い」として扱えるようになります。

    さっそく本文を探してみると、「場の理論」の創設者として知られる心理学者のクルト・レヴィンの言葉でした。レヴィンは、個人や組織の信念が変化する過程を次のように整理しています。

    • 【解凍】:その変化が不可欠であることを認識して、旧来の信念や実践を取りのぞいて変化のための準備を整える過程
    • 【変化】:変化が生じる過程。以前のものの見方やシステムが不要になることで惹きおこされる混乱や苦しみがともなうことがある
    • 【冷凍】:新たなものの見方が結晶する過程。新しい枠組みのなかでの快適さと恒常性の感覚がふたたびあらわれてくる

    レヴィンの変化モデル*ListFreak

    ● 【解凍】なしに【変化】を提案すれば、相手の地雷を踏むことになる

    解凍、変化、冷凍。こうモデル化されてしまうと「当たり前」にも思えます。しかし著者が付け加えた『この過程が困難なのは、そこには苦痛に満ちた学習解除や難解な再学習、さらには思想や感情、態度や知覚の再構成が求められるからだ』という言葉を読んで、以前の失敗を思い出しました。

    Aさんというお客様への提案が好評だったので、追加提案をしました。しかしどうも、それが疎んじられてしまったようなのです。たまたまAさんを知る友人に相談したところ「それは地雷を踏んだんだよ」とのコメント。まじめで丁寧なAさんは一方で変化を嫌う側面があるので、あまりあれこれ盛り込まない方がよいとの解説でした。

    たしかに振り返ってみると、本提案はAさんには影響がありませんが、追加提案はAさん自身の仕事にも変化を要求する内容でした。追加提案だから本質的な(つまり大きな)問題を採りあげてみよう、ダメなら却下してもらえばよいのだから、くらいに考えていたわたしは、Aさんのパーソナリティを見誤っていたことにようやく気づいたという次第です。レヴィンの変化モデルに照らして考えれば、【解凍】なしにいきなり【変化】を提案したということになります。

    【解凍】について、著者はレヴィン自身の興味深い経験を紹介しています。レヴィンは第二次世界大戦のとき、動物の内臓肉(以下、分かりやすくモツとします)を食べるようアメリカの家庭、具体的には主婦に働きかけるプロジェクトに参画しました。歴史的に、モツは低所得層の食べるものであったので、多くの主婦は自分たちの食物としてはふさわしくないという信念(常識)を持っていたのです。

    さまざまな実験を経て、レヴィンは『参加の度合いが高まるほど、態度や行動を変えようとする傾向も高まる』と結論づけます。モツを食べる必要性やメリットを他者から説明されるより、自ら討論に参加して検討した人たちの方が、信念の【解凍】度合いが高かったのです。

    ● 小さな学びの中にも、解凍−変化−冷凍を意識する

    学びも成長も「変化」です。よく練られたトレーニングの多くは、次のような3ステップを構成単位としています。

    • 開幕(発散):心と可能性を開く。エネルギーとアイディアを放出する。
    • 探索(創発):予想外のもの、驚くべきもの、嬉しいものが現れるような状態を作り出す。
    • 閉幕(収束):アイディアを評価し、決定や行動へと向かう。

    ゲーム(演習やワークショップ)の3ステップ*ListFreak

    開幕―探索―閉幕の構成は、変化という視点から見れば、それぞれ小さな解凍―変化―冷凍といえるでしょう。

    • 解凍:日頃の仕事ぶりを振り返り、成長のための課題を見いだす
    • 変化:新しい知識・スキルを学ぶ
    • 冷凍:実務で試してみて、自分なりの感覚をつかむ(実際にはできないので、職場に戻って試す行動を計画する)

    【解凍】段階を考慮しなければ変化を押しつけるだけに終わりますし、【冷凍】段階を考慮しなければ変化は定着しません。そして何より、【変化】は本人の参加によってこそ促されるということを、忘れてはなりません。

  • 126 いまや全社会人のためのカッツ・モデル

    ●管理職に必要な3つのスキル(カッツ・モデル)

    学びは現場7割」で述べたように、現場での経験が学びの大部分を占めます。そして一つ一つの経験は複数の技能(スキル)を伸ばす機会になり得ます。どんな技能を学んだのかを振り返る適切な枠組みを持てば、学びをより速く深く身につける助けになるでしょう。

    業界・職務・職位を問わず、しかも一生使えるような技能の枠組みを考案するのは難しい作業です。次に紹介する3か条は貴重品といっていいでしょう。

    1. テクニカル・スキル(作業をこなす技能)
    2. ヒューマン・スキル(人間関係を築く技能)
    3. コンセプチュアル・スキル(全体観を持ち、将来像を描く技能)

    管理職に必要な3つのスキル(カッツ・モデル)*ListFreak

    1955年、ロバート・カッツは「管理者の成果は(あらかじめ備わった)資質よりも(訓練で習得できる)技能によるところが大きい」という主旨の論文を発表しました。そこで定義された技能のセットが〈管理者に必要な3つのスキル〉です。

    彼は、職位に応じて求められるスキルの割合が変わっていくと洞察しています。テクニカル/ヒューマン/コンセプチュアル・スキルの比でいえば、管理者になりたてのときは4/5/1であったものが、やがて3/5/2に、経営層に近づくにつれて1/5/4へと遷移していくイメージです(数字はイメージをつかんでいただくための工夫です。定量的な議論は論文にはありません)。

    ●カッツ・モデルはいまや全社会人の技能モデルに

    この論文では、管理者とは「他の人々の活動を束ね、目標達成の責任を負う」存在と定義されています。裏を返せば、明記されてはいないものの、管理者でなければテクニカル・スキルだけで十分というニュアンスを感じます。

    実際、それが当時(のアメリカ)の空気だったようです。ロンドン・ビジネス・スクールのゲイリー・ハメルは、2007年に出版した『経営の未来』で『五〇年前にはほとんどのCEOが、「普通の」社員には、品質や効率のような複雑な業務問題に取り組む能力はないと思っていた』と述べています。ちょうどカッツが論文を発表した時代の描写であり、「品質や効率のような複雑な業務問題」とはコンセプチュアル・スキルによる解決が求められる問題です。

    しかし現代(の日本)では、サービス産業の比重が増し、総じてヒューマン・スキルが求められています。仕事の内容も、機械やソフトウエアで代替しづらい、人間らしいものへとシフトしています。組織の意思決定者も、上意下達式から現場参加型へと広がっています。管理者でなくても、自ら企画を立て、スポンサーや仲間を集めてプロジェクトを起こす「プロデューサー」としてのふるまいが可能であり、それが求められてもいます。管理職であってもなくても「他の人々の活動を束ね、目標達成の責任を負う」機会があるのです。

    あらゆる仕事は〈管理者に必要な3つのスキル〉を学ぶ機会であり、発揮する機会でもあります。そう考えると、この3か条は、いまや〈社会人に必要な3つのスキル〉と呼ばれてしかるべきでしょう。これまでの経験を振り返って身についたスキルを整理するだけでなく、これから身につけたいスキルを考えるときにも、適切な視野を与えてくれます。

  • 125 経験のダークサイド

    ●イノベーターと抵抗勢力の分岐点

    経営コンサルタントを経て独立した細谷功は、新著『会社の老化は止められない』で、個人および組織がどのように自己再生を図りうるかを考察しています(1)。 その中で、「常識」をキーワードにした分かりやすく面白い議論がありました。簡単に紹介します。

    仕事を始めたばかりの知識も経験も少ない状態は「未常識」。やがて知識を蓄え経験を積んで、時代や業界の「常識」を身につけます。細谷は『ここで大きく路線が二つに分かれる。一度身につけた常識で一生やっていこうとする人と、それを活用しながら再構成してリセットできる人である』と述べ、前者を「過常識」、後者を「超常識」と命名しています。

    イノベーションを生み出せるのは「未常識人」(の一部)と「超常識人」です。どちらも「非常識」に見えるという面白い指摘をしているのですが、このノートでは割愛します。一方、「過常識人」は「抵抗勢力=アンチイノベーター」と化していきます。イノベーションとは変化であり、変化は「過常識人」が寄りかかっている思考の土台を崩すからです。右図はここまでの話の図解です。

    読みながら「経験のダークサイド」という言葉が浮かんできてしまいました。ダークサイドに落ちない、図でいえばV字に成長するためには、どうすればよいのでしょうか。

    細谷は「上位概念」に行くことが重要と述べています。これはわたしの理解では、自分の常識をより大きな目的の手段とみなして知識を再構成することを意味しています。

    ●経験のダークサイドに落ちないために

    わたしも自分なりに、経験のダークサイドに落ちないためのステップを考えてみます。

    まず、自分が「過常識」状態であるかどうかに気づくこと。 ここが最初にして最難関のステップのように思います。なにしろ常識とは空気のようなものですから。わたしに思いつけるのは、怒りやいらだちといった情動を観察することです。「非常識」な言動に出合うと、人は怒りやいらだちを感じます。それは自分の「常識」とのズレが発するシグナルですから、「非常識」な言動を鏡として自分の「常識」に気づくことができるはずです。

    次に、その情動の由来を考察すること。イノベーションとは変化、つまり何らかの「非常識」であることを、われわれは頭では理解しています。ですから、たとえば「このままこの非常識なアイデアを受け入れたら何が起こるか?」といった問いを立て、自分の「常識」を棚に上げて考えてみる努力をしなければなりません。「非常識」の一部である「未常識」の持ち主、つまり知識や経験の浅い人(部下など)の発想にも学ぶべきでしょう。

    思考スキルとしては細谷の言う「上位概念に行く」ことが必要ですし、感情スキルとしてはオープンネスを高める必要があります。とても難しいチャレンジです。

    ●未過超(みかちょう)のフレームワーク

    常識の話からは離れますが、この「未常識・過常識・超常識」というトリオに惹かれるものを感じました。任意のテーマに「未・過・超」を付けて考えの幅を広げるといった使い方はできないでしょうか。たとえば:

    • 交渉スキルの未交渉 → 交渉 → 過交渉とは、そして超交渉とは何か。
    • セールスにおいて未セールス→セールス→過セールスとは、そして超セールスとは何か。

    ポイントは、「超」は一見すると「未」に似ているというところです。どれだけ似ているか、細谷の挙げる例を引用します:

    • 「未常識」と「超常識」は規則を守らない
    • 「未常識」と「超常識」は無知を恥じない
    • 「未常識」と「超常識」は空気を読まずに正論を吐く
    • 「未常識」と「超常識」は「ヒマ」である(「常識人」は「忙しい」が口癖)

    きっと「超交渉人」は交渉スキルを使っていないように見えるし、「超セールス人」は売っていないように見えるでしょう。進化を果たすと古いものが戻ってきたように見えるという点は、田坂広志のいう「事物の螺旋的発展の法則」の事例の一つのようにも思えます(2)


    (1) 細谷 功『会社の老化は止められない――未来を開くための組織不可逆論』(亜紀書房、2013年)
    (2) たとえば田坂 広志『使える 弁証法』(東洋経済新報社、2005年)

  • 124 integrity とは何か

    ● 人を雇うときにみるべき資質

    人を雇うときは、3つの資質を求めるべきだ。すなわち、高潔さ、知性、活力である。高潔さに欠ける人を雇うと、他の2つの資質が組織に大損害をもたらす。
    ウォーレン・バフェット

    『一流の人に学ぶ自分の磨き方』からの引用です。
    白状すると、この本自身はちょっとわたしには合わずに読み通せませんでした。
    せめて*ListFreakに収集できるリストはないかな……と思ってパラパラとめくっていたら、上記の文章が飛び込んできました。

    #ちなみに「目に飛び込んでくる」というのはけっこう使える(あてにしていい)ツールですよね。たとえばわたしの場合は「3つの」という言葉や「○○、○○、○○」というリズムのある塊は、パラパラとめくっていてもわりと感度よく見つけられるように思います。

    人を雇うとなると、とかくその人の技能や知識に注意が向かいがちです。この「高潔さ、知性、活力」は視点を引き上げてくれそうでよいですね。本書には引用元が記されていなかったので、検索したところ、”Warren Buffett MBA Talk – Part 1“(YouTube)というスピーチの中で喋っていました。同じことをどこかに文章として書いているのかもしれませんが、突き止められず。

    その内容は次の通りです。冒頭の引用文に続けて、高潔さがなければ知性は愚かさに、活力は怠惰に、それぞれ反転してしまうと、高潔さの重要性を強調しています。

    “Somebody once said that in looking for people to hire, you look for three qualities: integrity, intelligence, and energy. And if you don’t have the first, the other two will kill you. You think about it; it’s true. If you hire somebody without [integrity], you really want them to be dumb and lazy.”
    ― Warren Buffett
    Quote by Warren Buffett“(goodreads)

    ● integrity とは何なのか

    「高潔さ」と訳されている “integrity” という言葉を好んで使っていたのが、ピーター・ドラッカーです。ドラッカーの訳書を多く手がけた上田惇生はこの語を「真摯さ」と訳し、それは『もしドラ』にも引き継がれました。

    integrity の語源は「完全な」を意味するラテン語の integer だそうです。現代英語では integer(整数)や integration(統合)が同じ語源を持っていますし、integrity も、たとえば system integrity はシステムの完全性と訳されます。ですから「完全な状態」という意味であれば、理解しやすい。

    ところが、integrity が人間の特性を表す語として使われると、ちょうどよい日本語がないせいもあり、意味を把握するのが少し難しく感じます。「完全なる人間」と「高潔さ」「真摯さ」はイコールで結びきれないように感じてしまうのです。そこで一語で対応させるのをあきらめて、いくつかの言葉の組み合わせで考えてみたいと思います。

    Wikipediaには「倫理学では、integrity は honesty と truthfulness である」とあります。『組織行動のマネジメント』にも同じ記述があり、これらは「正直さ」と「誠実さ」と訳されています(「職場における相互信頼の5要素」)。ひとつずつ見ていきましょう。

    正直さ(honesty)とは、思いと言動が一致していることと言えます。これだけで十分立派です。しかしその思いが、たとえば他人に信じ込まされた虚偽の情報を丸呑みして形成されたものであれば、 integrity があるといえるでしょうか。

    そこで truthfulness の出番です。「誠実」もよい訳語です。ただ「正直」と意味が重なりすぎているので、ここは直訳で「真実性」としたほうが考えやすいように思います。自分が重きをおく「思い」が真実に基づいたものであるかどうかを健全に疑い、たしかめる姿勢があってこそ、正直さも報われるというものでしょう。
    #「真実」とは何かという、また深い議論がありますが、ここでは素通りします。

    では、真実に基づいた正直さがあれば、その人には integrity があるか?まだ足りない要素があるように思います。たとえば「人間には個体差がある」と「人類は成長をめざすべき」は、ともに真実とします。そこから「ある種の人間は間引かれるべきだ」という思いを形成し、その思いに対して正直さを発揮するのは integrity がある人の行動でしょうか。

    「いや、それはめざす『成長』が違っているのでは」と思いますよね。そう考えると、truthfulnessに「真実性」でなく「誠実」という語を当てた訳者の思いに共感できる気がします。「真実性」になくて「誠実」にある意味合いを込めたかったのだと思います。

    それは何か。われわれが integrity に「高潔さ」「真摯さ」「正直で誠実」という言葉を当てるときには、その人の抱く思いの「善さ」「気高さ」のようなものを想定しているはずです。善悪を決める絶対基準はないものの、その人が社会の共通善に寄与しようといった善き意図を持って思いを形成していることを、期待しているはずです。

    ここまでをまとめて、”integrity チェック”のリストにします。

    1. 「思い」と言動は「一致」しているか?
    2. その「思い」は、真実に基づいているか?
    3. その「思い」は、善き意図に基づいているか?

    integrity のチェックリスト*ListFreak

    ばらして理解したところで、最後にもう一度、integrityの訳語を考えてみます。あえて一語をあてるなら、わたしなら「誠実さ」を選びます。誠実という言葉はhonest and truthfulness、つまり正直さと真実性を共に含むように感じるからです。2番めは「高潔さ」です。やや特定の価値観を想定させ、近寄りがたい気がしなくもないですが、「完全な人」は近寄りがたいかもしれません。「真摯さ」は「ひたむきさ」のような前向きな行動へと促す成分が入っているように感じます。だからこそドラッカーの文脈にはよく当てはまるのかもしれません。

    ちなみに、よく「一貫性」が重要と言われます。もしこのチェックにYesと答え続けられるならば、そこにはおのずと「一貫性」が表れるはずです。ただし、行動の一貫性は結果であって目的ではありません。人は学習し、成長します。真実のとらえ方が変われば思いが変わり、行動が変わります。そのように変化し続けるという観点において一貫性があるのであり、行動だけの一貫性を保とうとすれば、いつしか思いとの分離を招くか、あらゆる変化を拒むか、どちらかになってしまいます。 

  • 123 言葉のパンチを繰り出す前に

    ● ノックアウト交渉術

    交渉の専門家であるスチュアート・ダイアモンドは、生徒の一人だったニールのエピソードを自著で紹介しています。ニールは一流大学のロースクールを出て、大手不動産会社の法律顧問を務めています(1)

    ニールは友人を連れてレストランに行った。ビールを注文したが、運ばれてきたのは食事が来てから30分後。ニールは反射的に尋ねた。
    「ドリンクは夕食前に出すのが決まりだよね?」
    ウェイトレスはしきりに詫びて、こう弁解した。
    「すみません、他のテーブルとごっちゃになってしまいました」
    「それは僕のせい?」
    「とんでもないです」
    「ビールはもういらないよ」
    「それはできません。ビンも空けてしまったし、端末に料金も入力してしまいました」
    「自分の間違いの尻ぬぐいを客にさせるのが、このレストランの方針なのかい?」
    「もちろん、そんなことはありません」
    「これまで、料金を勘定から引いた前例はないの?」
    ウェイトレスは料金を引いた。

    ……いかがでしょうか。レストランの「決まり」や「方針」といった、相手の規範を根拠にして自分の正しさを主張したり、前例をとっかかりに風穴を開けたり、交渉術のお手本のような交渉ぶりです。しかし、この事例には続きがあります。

    ウェイトレスが行ってしまうと、友人が、ウェイトレスが料金を引いたのには驚いたと打ち明けた。
    「このチェーンを知ってるけど、あの料金は、ウェイトレスの薄給から引かれるに違いないよ」
    ウェイトレスは人前で馬鹿にされたくないばかりに、もしかしたら家族の食費を削ったのかもしれない。

    ニールに非はありません。食前に来るべきビールが食事の30分も後に来たならば、キャンセルして当然です。そしてニールにしてみれば、ウェイトレスをやりこめることなど簡単でしょう。しかし、どこかアンフェアな印象を受けます。プロボクサーが一般人とケンカして拳を振るうような感じに近いでしょうか。

    ● 言葉のパンチを繰り出す前に

    ニールはどこで歯止めをかけるべきだったか。こういう状況にあって、「その場」で思い出せるほど短いリストを使うとしたら、どんなものが使えるだろうか。そう考えたとき、2つのリストが浮かんできました。1つめは「ソフト・パワー」の提唱者として知られるジョセフ・ナイ教授の著書からメモした「道徳的な判断に必要な3つの義務感」です。

    • 【良心】個人や宗教に根拠を置くもので、完璧な道徳性をめざして人々を導くもの
    • 【一般的な道徳律】すべての人間が社会生活で持つべき義務として取り扱われる、一般的な道徳のルール
    • 【専門的基準】職業的な倫理、つまり、人の果たす役割に伴う義務と見なされる伝統的な期待

    道徳的な判断に必要な3つの義務感*ListFreak

    良心・道徳・倫理は意味的な重なりが大きく、辞書を引き比べても違いがわかりづらい言葉です。ナイ教授の「個人的な良心、社会的な道徳、職業的な倫理」という整理は、わたしに実務上の判断をくだす際の視点を与えてくれました。ニールがこのリストを使ったら、ウェイトレスを交渉術でやりこめることに対して、プロの法律家としての職業倫理が警報を鳴らしたかもしれません。

    2つめは愛用している「3つの門」です。

    1. これらのことばは真実か?
    2. これらのことばは必要か?
    3. これらのことばに思いやりはあるか?

    カッと来た時、口を開く前に思い出すべき「三つの門」*ListFreak

    ニールは「反射的に」交渉をはじめたとあります。もしこのリストを使っていれば、料金を引くことが何を意味するか、考えをめぐらせる余裕が生まれたかもしれません。

    ニールはどうしたか。彼の話を聞きましょう。

    「自分のビール代が彼女の薄給から出ているかもしれないと知って、ぼくはショックを受けた」
    「結局ぼくはビール代を払い、対人関係のいい教訓になったよとウェイトレスに礼を言った」
    「あれをきっかけに、交渉術の力を本当の意味で意識するようになった。これほどの力を秘めているからには、賢明に使わなければ、と」
    「この教訓は、自分のキャリアに大きな影響を与えるだろう」


    (1) スチュアート・ダイアモンド『ウォートン流 人生のすべてにおいてもっとトクをする新しい交渉術』(集英社、2012年)より。本文を編集のうえ引用しています。

  • 122 動揺を切り抜けるためのSOS

    ●心理的恐喝(ブラックメール)

    心理的恐喝(ブラックメール)とは、『身近な人物が、直接的・間接的に、自分の思い通りにさせてくれなければあなたを罰すると脅すことで、わたしたちの心を操ろうとするときに使う、強力な手段のことである』。

    セラピストのスーザン・フォワードは、心理的恐喝をそのように定義したうえで、恐喝者が突いてくるポイントを3つ挙げています。

    • 恐怖心 (Fear)
    • 義務感 (Obligation)
    • 罪悪感 (Guilt)

    心理的恐喝の3つの武器(FOG)*ListFreak

    著者は恐喝される側をブラックメールの「受信者」と呼び、一貫して受信者の味方として本書を書いています。しかし、送信者にならないように気をつけることも大事です。なぜなら、受信者がまた送信者にもなり得るからです。そう考える理由は2つあります。

    1つめは、心理的恐喝は無意識的に行われ得るものであること。恐喝かどうかは、主に受信者の感じ方に依存します。受信者が、恐怖心・義務感・罪悪感をあおられて送信者の要求に屈したと感じたならば、送信者に悪意がなくても心理的恐喝が行われたことになります。

    2つめは、コミュニケーションのやり方そのものが無意識的に再生産され得ること。人は、受信者として学習したコミュニケーションのやり方を、違う相手には発信者として利用します。子どもや部下が親や上司の論法を身につけてしまうように、コミュニケーションのスタイルは再生産されるのです。

    ●動揺を切り抜けるためのSOS

    本書には心理的恐喝をしてくる相手への対処方法がたくさん載っています。なかでも、シンプルな”SOS”というリストが印象に残りました。

    • Stop(止まる)】すぐに反応しない。時間を稼ぐ。距離を置く。
    • Observe(観察する)】状況を視覚化する。相手の要求、それに対する自分の思考と感情を観察する。
    • Strategize(戦略を練る)】自己防衛的にならない、相手を味方に変える、取引をする、ユーモアを使う。

    厳しい要求に対応するための”SOS”*ListFreak

    心理的恐喝とまではいかなくても、交渉や商談など感情のマネジメントが必要なコミュニケーションは日常的にあります。たとえば相手に返答をせっつかれるなど心理的に圧迫を受けたときには、このコラムで繰り返し述べているように、とにかく「一拍置く」ことが、われわれに備わったEQを発揮して最善の行動を選択するうえでとても重要です。

    SOSは覚えやすくてよいのですが、2つめのSがStrategize(戦略を練る)ではやや覚えづらいので、行動を「選ぶ」という意味でSelectに置き換えたうえで、私家版のSOSを作ってみます。 解説部分には「EQ4つの感情能力」、つまり気持ちを感じる/つくる/考える/活かす を組み込みました。

    • Stop(止まる)】一拍置いて情動をやり過ごす。感情にまかせて反応しない
    • Observe(観察する)】状況・自他の感情を観察し、隠れた意図や要求を考える
    • Select(選択する)】目的を考慮し、最善の行動を選ぶ

    動揺を切り抜けるための”SOS”*ListFreak

    講師の仕事をしていると、リアルタイムで返答をしなければならない状況がよく発生します。そこで、このSOSのリストを作ってしばらくの間実務で試してみました。

    このように効果的に一拍置くリストを持たないとどうなるかというと、思考がいきなりSelectに飛んでしまいます。しかも、相手の言葉を表面的に捉えた反応になりがちです。たとえば、何回かの連続講義の冒頭で、ある参加者が手を挙げてかなり些末な質問をしてきました。反射的に驚きや困惑、お恥ずかしいことには若干の怒りも浮かんできます。「は?そんなことどうでもいいよね?」という感じです。もし反射的にそんな行動をSelectしてしまったら、もはや挽回不可能です。

    いったんS(止まる)、そしてO(観察)して、気づくことがありました。質問の内容が重要なのではなく、カジュアルに手を挙げて質問することで参加意識を表明すると同時に、場の雰囲気を活発にしようとしてくれているのではないか、と思い至ったのです。

    そこで質問への感謝を述べ、他の参加者からの意見も募ったうえで、ていねいに回答するというアプローチをS(選択)しました。それだけが原因かどうかはわかりませんが、少なくともそれがきっかけで、その方は活発な発言でグループやクラスの議論に貢献してくださいました。

    「止まる」そして「観察」するという、何も考えずに踏めるステップが前段にあるのがよいところです。これがSを「考え」、次にOを「考え」、最後にSを「考え」て行動する……といったステップだったら、 会話の中で使うというわけにはいかなかったでしょう。

  • 121 「先延ばし」にひそむかすかな恐怖

     ● micro-fear(微恐怖)

    同窓会の招待状に返事を書くのを、つい先延ばしにしてしまう。
    医者の予約を、つい後回しにしてしまう。
    評価を上司に聞くのを、つい躊躇してしまう。

    実際に着手すれば1分もかからないのに、「つい」先延ばし、後回し、躊躇、してしまう。ある記事に載っていたこれらの事例を目にして「あるある」とうなずいてしまいました。読んでいたのは、意訳すると「我々を動かす(たった)5つの恐怖」(Psychology Today) というタイトルの記事です。[1] これらは、micro-fear(微細な恐怖)が起こさせた行動の事例として挙げられていました(少々編集しています)。micro-fearには定まった訳語がないようなので、微恐怖としておきます。感情研究のひとつであるmicro-expression(ごく短い時間に表れる微かな表情の変化)が微表情と訳されることが多いので、あながち的外れでもないでしょう。

    さて「同窓会の招待状に返事を書くのを、つい先延ばしにしてしまう」という文を例に取って、微恐怖のはたらきについてのわたしの理解を書いてみます。

    わたしが返事を先延ばしにしてしまうのは、返事を書かなければと思うたびに「面倒」な気持ちになるからです。しかし先述のとおり、実際には1分もかからない単純作業です。そこで、なぜ面倒な気持ちになるのかを掘り下げてみると、意識に上らないくらい弱く、したがって言葉にもならなかったけれど、小さな「不安」を感じていたことに気づきます。不安は弱い「恐怖」であり、人間は恐怖から離れたいものですから、反射的にその行動から離れるのも無理はありません。

    ※すべての先延ばしの原因が微恐怖だと言いたいわけではありません。微恐怖が原因で先延ばしが生じ得ることだけを説明しています。

    微恐怖はあまりにも速く、そして弱いので、当人が恐怖と気づくことすらありません。上記の例では「面倒」というラベルを貼って見過ごしていました。

    加えて、これはクモを見て後ずさるといった実体のあるものに対する恐怖ではないので、恐怖の対象が分かりづらくなっています。

    実際、何が微恐怖を生じさせ得るかと考えてみると、過去に同種の集まりで感じたいたたまれなさ、恥ずかしさ、悔しさ、むなしさといったネガティブな感情の記憶であろうことが分かります。微恐怖は、ほんものの恐怖の先触れとしてはたらいているといえるでしょう。「このまま行くと恐怖を味わうことになるかも……」というシグナルを送っているということです。

    ● 微恐怖とのつきあい方

    せっかくのシグナルを「なかったこと」にして、つまり抑圧あるいは無視して行動すると、また同じ目に遭うかもしれません。しかしシグナルの言いなりになっても、よい結果が得られるとは限りません。ごくシンプルにいえば、微恐怖を含む情動の多くは、その人が、あるいは人類が、似たような状況で経験した感情を、ある種の身体信号として再生したものといえます。重要な情報ではありますが、知性の代わりに総合的な判断をくだしてくれるというわけでもありません。

    ここから先はEI理論で定義されている「EQ4つの感情能力」にのっとって微恐怖とのつきあい方を考えてみます。

    • 【気持ちを感じる】 自分がいま何に対してどのような微恐怖を感じているかを感じ取る
    • 【気持ちをつくる】 微恐怖を感じ、考えるにふさわしい気持ちをつくる
    • 【気持ちを考える】 その微恐怖がどこから来ているか、何を意味するかを考える
    • 【気持ちを活かす】 微恐怖という情報から得られたメッセージを思考に組み入れ、行動を選ぶ

    ところで、記事のメインテーマは微恐怖ではなく、(ほんものの)恐怖にはたった5種類しかないということです。これは【気持ちを考える】材料になります。つまり、恐怖の種類を知れば、その先触れたる微恐怖が何を知らせようとしているのかを考えやすくなるはずです。私訳をお目にかけます。

    • 【消滅】 絶滅や死など、存在が無に帰すことへの恐怖。
    • 【離断】 体の一部が失われたり侵されることへの恐怖。不気味な動物への恐怖など。
    • 【自由の喪失】 物理的あるいは社会的に、自由が失われたり制限されることへの恐怖。
    • 【分離】 無視や放置により、人として扱われないことへの恐怖。
    • 【自我の死】 自分は価値ある人間だという感覚が崩壊することへの恐怖。屈辱や恥など。

    基本的な5つの恐怖*ListFreak

     同窓会の例に戻って考えてみます。感じた微恐怖がこの5種の恐怖のどの先触れなのかを考えてみると、ありそうなのは【自我の死】、たとえば自分が期待したほどには周囲がチヤホヤしてくれず、当時も今も重要人物でないことを確認する結果になるのではないかという恐怖です。

    原因が明らかになれば、対策も考えやすくなります。自分の期待は妄想なので期待値を下げて参加しようという人もいるでしょうし、当時あるいは現在の自分の活躍を示す何かを持参して、自我の無駄死にを防ごうとする人もいるかもしれません。同窓会に参加して得られそうな期待と【自我の死】とを勘案して、参加しないという判断もあるでしょう。

    自分の能力や価値が否定されたら……とまでは思わない、つまり【自我の死】という恐怖は感じないものの、話し相手がいなかったら嫌だなと思うかもしれません。同窓会といっても親しかった人ばかりが集うわけでもないですからね。これは「5つの恐怖」でいえば【分離】でしょう。もし微恐怖の中を覗き込んで、そこに【分離】の恐怖を見つけたならば、話し相手になってくれる友人を誘って参加するのが対策になります。
    ※ そう考えると、自分のことを「こいつは当時もすごかったし今もすごい」と皆に言ってくれるような友人は、【分離】からも【自我の死】からも救ってくれる貴重な存在です。ぜひとも連れていかねば、ですね。

    この架空の事例を考えたあと、つい最近、娘の学校のPTA活動に参加しないかというアンケートを求められ、期限日まで回答を留保していたことを思い出しました。「早く考えはじめ、いったん寝かせ、期限の近くでよく考える」という、自称M字型決定がわたしのポリシーなので、そのこと自体は自分の意志なのですが、じっくり考えるのを先延ばししていたのも認めなければなりません。いま振り返ってみると【自由の喪失】6割、【自我の死】3割、【分離】1割の恐怖からくる不安(微恐怖)が先延ばしをさせていたのかな、と思います。

    かねてから1年間は学校の活動に参加したい(せねば)という思いがあったので、すでに参加を決めました。でも、あいかわらず面倒だとも思っているので、その面倒な気持ちを5つの恐怖に分解すれば、今からでも役に立ちそうです。たとえば上述のように、先延ばしから【自由の喪失】という恐怖を取り出せました。時間が食われる事実は動かしがたいので、活動する以上は「自由時間を奪われた」ではなく「発揮と貢献の機会を与えられた」と見なしたいと思います。きれい事のようですが、書きながらすこし気分が軽くなったのも事実です。


    [1] Karl Albrecht, “The (Only) 5 Fears We All Share“, Psychology Today,(最終閲覧日:2020-03-04)

  • 120 二つは一つ(二分法的思考から抜け出す)

     ● 思考か感情か、ではなく、思考の単純形として感情を位置づける

    著名な科学者であるマービン・ミンスキーは、著書『エモーション・マシーン』についてのインタビューの中で、思考と感情という二分法自体に問題があると指摘し、さらに次のように敷衍しています。(1) (2)

    ちなみに私に言わせれば、何にせよ世界や物事を二つに分けようとする試みは、大きな間違いです。そうすると、全てを「これ」か「あれ」であると言わなければならず、両者の間に位置するものに対して、橋をかけられない。

    思考対感情ではなく、思考という複雑な営みの中の比較的原始的なメカニズムが感情なのだと理解する方が正しい。短いインタビュー記事をさらに意訳したので『エモーション・マシーン』のメッセージとは違っているかもしれませんが、そのように理解しました。

    二つに分けることの功罪を考える肴として、リーダーとフォロワー(リードする人とされる人)という二分法を考えてみます。よく職場で生じる次のような問題は、そもそもリーダーとフォロワーという概念があるから発生してくるのではないでしょうか。

    • コミュニケーションに偏りが生じる。フォロワーは報連相(リーダーへの報告・連絡・相談)を徹底させられる。日報のように頻度や形式まで指定されることがある。一方リーダーは「ビジョンを語る」「方向性を示す」といった抽象的・一方な伝達でよしとされがちである。
    • 相手の仕事はしなくてよいと考える一方で、相手に過剰な期待を持つようになる。
      フォロワーはビジョンを語ることをリーダーに任せてDoer(作業をこなすだけの人)に徹する一方で、リーダーには超人的なリーダーシップを求める。期待が過剰だったことに気づくのは、自分がリーダーになってみてからのことである。
      リーダーは現場で生じている細かい問題から目を背ける一方で、フォロワーには思考力や問題解決力が足りないと嘆く。自分がフォロワーだったときにどうだったかは忘れている。

    ● 「二つに一つ」ではなく、「二つは一つ」と考えてみる

    ここで「世界や物事を二つに分けようとする試みは、大きな間違い」というミンスキーの言葉を借りて、二分法を疑うためのテンプレートを作ってみます。

    「○○をAとBの二つに分けるのは間違い」

    冒頭の例で言えば

    「物事を理解するやり方を思考と感情の二つに分けるのは間違い」

    ということです。

    このテンプレートをリーダー対フォロワーに当てはめてみます。

    「組織の構成員をリーダーとフォロワーの二つに分けるのは間違い」

    両者とも同じ組織の構成員であり、したがって同じ目的を共有している仲間です。もし組織を二分することで問題が発生しているのであれば、その境をなくしてみたらどうなるでしょうか。リーダーとフォロワーが別れていない組織を想像してみます。

    • リーダーに固有の仕事を解体し、全員に等しく割り振る
    • したがって全員がビジョンを語る
    • 全員が互いに同じ報連相のスタイル(頻度や内容)を持つ
    • 相対取引による仕事の交換を可能にする(適材適所が自発的に起きるための工夫)
    • 「この仕事はまとまってやった方がいい」という判断を同じくする人は集まってグループを作る。必要であれば、その中からリーダーを選出する
    • 人を集めて仕事をしたいと願う人は、人を集める。実際に集まってくれる人がいれば、集めた人は自動的にリーダーである

    かなりアグレッシブな組織のように思えますが、書きながらゴアテックスで有名なゴアという組織の事例が頭に浮かんできました。『経営の未来』から引用します。この組織には職位も肩書きもありませんが、社員の約10パーセントは「リーダー」を名乗っています。(3)

    「我々は足で投票するんだ」と、ゴアの(略)リッチ・バッキンガムは語る。「あなたが会議を招集したとして、人びとが底に集まってきたら、あなたはリーダーということになる」グループの責任者を務めてくれと繰り返し頼まれている人は、名刺に自由に「リーダー」という呼称を記すことができる。

    われわれは思考と感情、リーダーとフォロワーという二分法にあまりにも深くなじんでいるので、そもそも何を分類した結果だったのかも忘れてしまうことがあります。「○○をAとBの二つに分けるのは間違い」テンプレートを埋めることで、分けようとしていた全体は何だったのか、そもそも分ける必要はあるのかといったことに考えを向けられそうです。


    (1) 『エモーション・マシーン』は、『ミンスキー博士の脳の探検 ―常識・感情・自己とは―』(共立出版、2009年)という題で訳出されている。

    (2) ミンスキーのインタビューは『知の逆転』(NHK出版、2012年)からの引用です。

    (3) ゲイリー・ハメル 『経営の未来』(日本経済新聞出版社、2008年)