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カテゴリー: 大事なことの決め方・伝え方

  • 007 しょせん人間の作ったもの

     「インテリジェント・デザイン」とは、『知性ある設計者によって生命や宇宙の精妙なシステムが設計されたとする説(Wikipedia)』のこと。個人的にはこの考え方に与するものではありません。しかし創造の過程はどうあれ、進化の結果としていま目の前にいる小さな昆虫などを見ていると「知性ある設計者」の存在を想像したくなる気持ちは分かります。自然や生命の仕組みはそれほどまでに巧みに思えます。

     一方、組織は人間が作るものです。何万人の大企業であろうと、誰かが意図を持って仕組みを作り、運営しています。完璧ではありません。それにも関わらず、我々は組織が課してくるデザイン上の制約を、あたかも「知性ある設計者」が作りあげたもののように受けとめ、変えられないものであるかのように不満を言ったりしています。その仮想の制約に基づいて意志決定をしたりしています。例えば:

    • 処遇に不満があるのに社内の誰にも相談せず、転職する。
    • 「前例がない」からと、提案をあきらめる。
    • 「そういうものだ」と、部下の不満を押し込める。

     そういった制約の多くは、実際には社員よって支えられている幻想であることが少なくありません。

     幻想とはいえ、強固なものです。ある企業の研修で、現場の制約をまったく外した「理想のプロジェクト」を定義してみたことがあります。結果は奇妙なものになりました。チームによっては、メンバーの希望を容れない人材配置や残業を前提にしたスケジュールなど、「現状の縮図」としか言えないようなプロジェクトになってしまうのです。

     プロジェクトマネジャーは「期限内に終わらせるためにはどうしてもこのやり方が必要だ」と主張して譲りません。「それが本当に『理想』なのか」「全員の満足を最大にするにはどうすべきか」「自分が一メンバーであったらどうか」など、様々な角度から自問を重ねてもらうことで、ようやく「メンバーの希望を聞いて、制約とすり合わせる」といった新しいやり方を試そうという気持ちになります。

     幻想に囚われていることは、他人事として見ている分には指摘しやすいものです。上で引用した企業に向かって、その「新しいやり方」は他の企業では既に「なじみのやり方」ですよ、と言うことは容易です。かもしれません。しかし自分自身の幻想、または自分がその一部となっている組織(家族・企業・社会など)の幻想を見極めることは、とても難しいものです。

     よい意志決定の障害となるこの幻想を取り除くためには、少なくとも以下の2点が必要です。

    (1) 判断基準となる「ありたい姿」を現状から離れて明確にすること
    (2) 自分の思考や組織が「インテリジェント・デザイン」ではないことを肝に銘じること

    このコラムでは(2)を強調したいと思います。組織も、しょせん人間の作ったもの。ゲイリー・ハメルは『経営の未来』の中でこう述べています。

     近代経営管理は多くのものをもたらしてきたが、それと引き換えに多くのものを奪ってきた。そろそろこの取引について考え直してもよいころだろう。我々は。わずらわしい監督者の階層を築かずに何千人もの人びとの活動を調整する方法を学ばなくてはいけない。人間の想像力を抑圧せずにコストを厳しく管理する方法を学ばなくてはいけない。規律と自由が互いに排斥し合う関係ではない組織を築く方法を学ばなければならない。この新しい世紀には、近代経営管理の不幸な遺産である一見避けられないかに見えるトレードオフを超越することを目指さなければならないのである。(p9)

  • 006 伝道者は「布教」せず、教育者は「教育」せず、セールスは「販売」しない

    ●伝道者は「布教」しない

     30カ国10万人のグローバル企業デンソーに企業理念を「浸透」させるプロジェクトに携わっていたコンサルタントと、キリスト教系大学の神学部長との会話です。

    「カトリックの布教のプロセスにヒントを求めたいのですが」
    神学部長は答えた。

    「高津さん、<布教>という時代は終わりました」

    『感じるマネジメント』 p114

     我々が「布教」という言葉からイメージするのは、『伝道者が上に立ち、下にいる人々に教えを授ける』(同書p114)という行為ですが、そういうやり方はもとより永続的ではなかったとのこと。

     では、どうすればよいのか?

    神学部長は続けた。
    「教えるのではなく、共に学ぶのです」

    同上 p116

    ●教育者は「教育」しない

     伝道者が布教をしなくなっただけでなく、教育者も「教育」をしなくなりました。同じ本から、『日本におけるコーチングの第一人者であり、学校教育の改革にも取り組んでいる』(p131)加藤雅則氏の言葉を引用します。

    「同じ憧れに憧れられるのが、先生と生徒の良い関係です」

    同上 p131

     社会人向けのビジネススクールで講師を務めさせていただいている経験から、これはよく理解できます。一度社会に出れば、互いが先生であり生徒です。あるトピックについて多少なりとも経験を積み、研究を重ねた人間が先生「役」を演じるに過ぎません。

     (もちろん、教育イコール一方的な知識の詰め込みというわけではありません。これまでの教育の一方通行的なイメージを象徴するために、カッコを付けて「教育」という言葉を使いました)

    ●セールスは「販売」しない

     1990年代の後半に既に、インターネットの普及によって商取引は「バイヤー・セントリック」「カスタマー・セントリック」にシフトしていくという観測がありました。商取引のパワーバランスが買い手・顧客に移るということです。

     そして実際、そのような世の中になりつつあります。いま我々がものを買う前に、いかに多くの情報を仕入れ、いかに徹底的に販売者を比べているか。10年前を考えてみると隔世の感があります。

     情報もモノも溢れた時代にあっては、押し売りは終わりました。顧客は、自ら興味を持ったものを選び抜いて買う。それを支援する「購買支援」がセールスの現在の定義です。

    ●理念は「浸透」させられない

     『感じるマネジメント』では、「浸透」という言葉が既におこがましさを帯びていることに気づき、「共有」という言葉に切り替えました。

     では「共有」とはどうすることなのか。プロジェクトにおける具体的な行動と成果は本書に譲りますが、この言葉に象徴されると思います。

    「相手の心の中にある宝物」とデンソー・スピリットをつなぐことだ。

    同上 p131

     伝えたいことを「相手の心の中にある宝物」につなぐ。組織の意志決定に責任を負うマネジャーは心しておきたい言葉です。

  • 005 正念場は迎えるもの、修羅場はくぐるもの、土壇場は避けるもの

    ●正念場と修羅場は避けようがないが、土壇場だけは避けたい

     インタビュー記事を読んでいて、こんな発言に出会いました。お写真を拝見する限り、ニコニコと温厚な印象の社長です。大変な苦労をされて会社を育ててこられた、その歴史が語られた後の、最後の言葉でした。

    会社がよくなり、社員の生活もよくなり、みんなが自分の人生を描けるような会社にしていきたいというのが経営者としての私の思いです。事業ですから、正念場と修羅場は避けようがないが、土壇場だけは避けたい。土壇場というのは本来、首切りの処刑場という意味です。社員に土壇場だけは味わわせたくない。そういう会社にしたいと思っています。

    株式会社 芝技研 福島洋一社長、『BestPartner』2005年4月号、太字は引用者

     特に「正念場と修羅場は避けようがない」という覚悟に、凄みがあります。正念場とは、その人の性根(しょうね)が問われるような大事な局面。修羅場とは、激しい勝負の場。倒産や借金のご経験を経られてなお、
    「正念場と修羅場は避けようがない」
    とおっしゃることができる。なんと肝の据わった方なのか。

     さらに「なるほど」と感じたのが、「土壇場は避けたい」というくだり。土壇場とは、せっぱつまった・進退きわまった場面。語源を調べてみると、社長のおっしゃるとおり、処刑場。いままで修羅場と土壇場との違いなどは気にしていませんでした。

     そこで、記事からの学びを憶えやすい形にまとめておきます。

     正念場は、性根を据えて迎えるもの。
     修羅場は、覚悟を決めてくぐるもの。
     土壇場は、注意を払って避けるもの。

    ●この心得は、時間管理の原則につながる

     『7つの習慣』で紹介されている「時間管理のマトリックス」という考え方に従えば、「緊急」な活動への対応に追い込まれないためのポイントは、「重要だが緊急でない活動」(第二領域)にフォーカスすることでした。

     正念場、修羅場、土壇場はどれも、その場に臨んでしまえば「重要かつ緊急な活動」(第一領域)です。

     しかし「重要」の意味は違います。正念場と修羅場は、事業の成長がかかる機会であるがゆえに「重要」です。土壇場は、事業の死につながる問題であるがゆえに「重要」です。

     同じ「重要かつ緊急な活動」で忙しいなら、前者の意味での「重要」な活動を増やしたいもの。そのためにできる第二領域の活動とは何か。それは「自ら正念場と修羅場に備えること」です。自らそう覚悟を定めることが、土壇場に追い込まれるリスクをも軽減させるということです。

     このメカニズムは、『7つの習慣』では下記のように書かれています。

     ピーター・ドラッカーの言葉でまとめれば、「大きな成果を出す人は、問題に集中しているのではなく、機会に集中している」ということである。彼らは機会に時間という餌を与え、問題を餓死させようとするのだ。つまり、彼らは予防的に物事を考えるのである。

    ●自分の正念場・修羅場はどこにあるのか

     事業においては、正念場・修羅場は比較的分かりやすい。しかし自分のキャリアにおける正念場(性根を据えて掛かるとき)や修羅場(ここが勝負と定める状況)は、自分で決めなければならない。これは難しいことです。

     決め打ちをする必要はなく、最初は小さく試してみるべきでしょう。しかし味見ばかりをしてはいられない。大きな成長を目指すならば、いつかどこかでコミットする必要が出てきます。勇気が必要とされるのはそのあたりだと思います。

  • 004 ゴールは出発点にある

    ゴールは出発点にある

     リチャード・ワーマンの『情報選択の時代』から、「ゴールは出発点にある」という項の一部を引用します。

     問題解決には二つの側面がある。「何を」実現したいかと、それを「どのように」実現したいか、である。すぐれて創造的な人たちのなかにも、何をしたいかをとばして、いきなりどのようにするかを考えて、問題にあたろうとする人がいる。しかし、やり方 (How to?) は数多くあるが、目的 (What is?) は一つしかない。「どのように」の原動力は「何を」である。「どのように」という問いを発するまえに、かならず「何を」という問いかけがなくてはならない。

    (略)

    私たちの多くは、何をしたいのかを十分理解する前に、あまりに早く、手段の選択に進んでしまう。どんな努力であっても、その究極の目標をはっきりさせるためには、その努力の目的は何かを問いかけ、それが自分のしたいこと、あるいはする必要があることとどう関係しているかをはっきりさせなくてはならない。

    リチャード・ワーマン 『情報選択の時代』 日本実業出版社 1990年

     「他にもっといい打ち手はないかな?」

     これは会議における合い言葉のようになっています。そして打ち手の出ない原因を発想力の貧困さに求めたりします。しかし適切な対策を発想する最善の方法は、当てずっぽうに思いつくことではなく、常に「問題は何か」に立ち戻ることです。ワーマンはこのような事例を挙げています。

     たとえば、あなたの住む地域社会(コミュニティ)が病院の建設を計画中だとしよう。表面上、新しい病院の目的は、よりよい医療サービスの提供にある。しかし、この医療サービス提供という目的は、本当のところは、ヘルスケアの改善、ひいては健康の改善である。とすれば、より本質的な目標は、地域社会の生活の質の改善といえる。この目的を達成する最善の方法は、もしかしたら、病院を建設することではないかもしれない。その地域社会が求めているのは、緊急医療サービスと、予防医学に重点を置いた多くのプログラムだけなのかもしれないのだ。

    同上

    我々は驚くほど簡単に目的を見失う

     我々は驚くほど簡単に目的を見失うため、目的意識を常に忘れないマネジャーの存在は貴重です。

     「良い」マネジャーはプロジェクトが始まると直ちに精密な実行計画を立てますが、ほんとうに「優れた」マネジャーは目的の確認に時間をかけます。

     良いマネジャーはプロジェクトが厳しくなってくると予算や時間や人員といった制約条件を再検討しますが、優れたマネジャーは、まず当初の目的が変わっていないかを再検討します。時間が経てば目的もまた変化することがあり、目的が変われば手段も大きく変わり得ることを知っているからです。

     では、どうすれば目的を見失わずにすむのか。手段から自由になり、目的からまっすぐに考えおろせるようになるのか。

     決定的な方法はなく、それがゆえに様々な方法が考案されています。目的を紙に書き出す、日記をつける、瞑想する、メンターやコーチをつける、等々。共通点を見出すとすれば、没入している現場から一時的に「離れる」ことが必要です(もちろん、物理的に「離れる」ことだけを意味しているのではありません。現場のあれこれを一度脇に置いて考えてみるということです)。

     現場から「離れて」いる間、マネジャーは(見かけ上は)まったく成果に寄与しません。現場型のマネジャーにとっては苦しい時間になるかもしれませんが、それほど長い時間が必要なわけでもありません。目的から離れずメンバーを導くことがマネジャーの役割だとしたら、現場から「離れる」ことは、マネジャーが磨くべきスキルの一つです。

  • 003 情報がないときは「決め打ち」で創り出す

    ケース「情報サイトA社」

     A社は、複数の情報サイトを運営しているベンチャー企業。マネジャーのBさんは、ある健康情報サイトの買収を検討するよう指示された。さっそく部下のCさんに調査を命じたが、なかなか決め手となるような情報が上がってこない。そうこうしているうちに、当のサイトは運営者の都合でクローズしてしまう。Bさんは「拙速に事を進めないでよかった…」と安心し、日々の業務に戻った。

    情報がないときは「決め打ち」で創り出す

     意志決定の良し悪しは、結果では測ることができません。今回は、何もしないことが良い結果につながったように見えます。しかし早めに買収・テコ入れしていれば、大きく成長させることができたかもしれません。あるいは、競合他社がそれを先んじて行ったかもしれません。

     決めないうちに時が流れ、大きな変化・不可逆な変化が起きるなどして、決断せずに済んでしまうことはよくあります。待つことで選択肢を絞るのも有効ですが、いつも流れに任せていると、機を逃す事もあります。

     Bさんは「決め手となるような情報」を待っていました。しかし、そもそも「決め手となるような情報」とは何でしょうか。それについてのイメージを持たないまま、部下のCさんに「検討するための調査」を依頼しても、Cさんも途方に暮れるばかりです。

     「情報がなくて決められない」という場合、実は「決めるためにどんな情報があるべきかが分からない」ことが少なくありません。もとより「それがあれば誰もが決断できる、決定的な情報」など無いものと考えるべきでしょう。情報を集め、解釈を重ね、少しでも自分が納得できる道のりを作らなければなりません。

     「決めるための情報」を探すために、まず結論を決め打ちしてみる。これはとても強力な方法です。例えばCさんに「例のサイトを買収して、君に運営を任せたい。半年で黒字化し、それを維持するための計画を立ててくれ」と依頼してみるということです。

     目的地がはっきりしたことで、Cさんも具体的に考えることができます。具体的に計画を立てようとすると、様々な仮定を置かなければなりません。その仮定こそが、知るべき情報になります。

    ただの「仮説」ではない

     こう言うと、よく「要するに仮説思考ということですね」と言われます。その通りなのですが、仮説思考という言葉にはいくばくかの弱さがあります。

     肝心なのは、できるだけ本気で決め打ちすること。批評家モードで買収する/しないの評価表を作るのではなく、どうしても買収するという強い気持ちを持つことです。そうすることで「必ず成功する!」と言い切るためにどうしても知りたいポイントが見えてきます。

     疑似的に「本気で考える」ために、ディベートを試してみるのもよいと思います。勝ち負けのあるゲームは熱中を誘い本気を引き出すことができます。選択肢の分だけ支持者を割り当てて、お互いの主張の弱みを突くようにすれば、結論がどうであれ、決断のシナリオはより強固なものになるはずです。

  • 002 一瞬の決断が一生を作る

    要約:直感は、その人の人格そのもの。意識して決断していくことで直感を鍛えることができる。

    直感を鍛えるとは、人格を鍛えること

    消防士、軍の司令官、医療の救命チームなど、一分一秒を争う状況下において、熟練した専門家たちは「意思決定などしない。いくつかの候補を比較検討することもない」と異口同音に断言する。ところが、彼らは、素人にとって難しい状況でも、プロとして的確な判断を下している。この矛盾をどのように説明すればよいのだろうか?

    ゲーリー・クライン 『決断の法則―人はどのようにして意思決定するのか?』 トッパン 1998年

    『決断の法則』という本は、素早く決断しなければならない専門家達の直感的な判断をモデル化したうえで、直感力はトレーニングによって向上させることが可能であるとしています。それはそうでしょうね。そうでなければ超能力者しか消防士になれないことになってしまいます。

    直感とは何か。組織における意思決定過程の研究でノーベル経済学賞を受賞したハーバート・サイモン教授によれば「直感と判断力は、習慣化された分析にすぎない」そうです。

    本当にそうなのか?直感的な判断のメカニズムについては研究が十分に進んでいるとは言えません。ただ少なくとも、しっかり考え抜いて決断する習慣が直感力を高めることにつながるとは言えるでしょう。

    決断は行動を伴います。よく思考して、自覚的に決めて、行動する。これを習慣づけていくということは、単に直感力を鍛えるだけではありません。この格言を読んだことがおありでしょうか。

    思考が行動を作り、
    行動が習慣を作る。
    習慣が人格を作り、
    人格が人生を作る。

    直感を鍛えるために決断を習慣づけることは人格を、ひいては人生を、作ることに等しいということになります。直感で決断して、しかも自分がこうありたいと思う人格から外れないということになれば、これは「心の欲する所に従いて、その矩をこえず」です。孔子が七十歳にして達した境地です。そう考えると、むやみに直感に頼らず、ひとつひとつの決断をしっかり考えていったほうがよさそうです。

    直感力を伸ばす5つのルール

    話が大きくなってしまいましたので、具体的なコツをご紹介して終わります。以下は、Career Journal(米国の経済誌”The Wall Street Journal”が運営するサイト)で見つけた記事からの引用です。

    • 先入観を捨てる(Watch for bias)

      「直感」と「個人的な主観」とを混同してはならない。偏見や恐れ、ただの感情的な反応などから直感を選り分けるには、自らの思考を分析し続ける必要がある。

    • 記録をつける(Keep a record)

      浮かんだ閃きをメモしておいて、後で結果と突き合わせる。そうすればそれが「〜ればいいなあ」というような「希望的観測」だったのか「直感」だったのかを選り分けることができる。個人的な興味や望み、恐れなどが往々にして直感を曇らせていることが分かるだろう。

    • 特別視しない(It’s a normal function)

      ここでいう「直感」は脳の正常な機能の一つであり、超能力ではない。直感思考のためには問題に対する徹底的な準備作業が必要であり、事実と情報の収集が欠かせない。その問題の専門家であればあるほど直感が働きやすいゆえんである。

    • バランスよく(A combined approach)

      「直感モード」と「分析モード」を上手に組み合わせよう。典型的には直感 → 分析・論理 → 直感というように。「直感」は必ず論理的なフォローアップをしよう。直感思考は最終的には論理的に裏付けられなければならない。

    • 分析したら、待つ。(Analyze and wait)

      直感がいつ訪れるかを知ることは出来ない。集められるだけの情報を集めて、可能な限り論理的に分析し続けよう。その最中に閃くかもしれないし、休んでいるときに閃くかもしれない。「(資料を)枕にする」というよくある言い回しは、直感を育てるプロセスを指しているのである。

    「直感」を、個人的な主観や感情に流された判断とは分けて考えているので明快ですね。論理的に分析しぬいたその先に「直感」があるという考え方も、これまで学んできた知見と呼応していると思いました。

    1. オールデン M. ハヤシ、『意思決定の技術』第2章『「直感」の意思決定モデル』、ダイヤモンド社 2006年
    2. Eugene Raudsepp, “Wise Job Hunters Trust Their Intuition”, Career Journal 2003
  • 001 「これだっ!」という、あてにならない確信

    要約:確信があっても、それが正しい決断である確率が意外に低いケースがある。前提条件をよく確かめよう。

    99%の確信

     「成功する事業は千に三つというけど、この事業ネタは間違いない。99%自信があるよ!」
     「もしいい事業ネタに出合ったら、99%の確率で『これだっ!』と分かると思うんだけど、何しろ千に三つだからね……」

     仮に、確実に成功する事業ネタが「千に三つ」であるとします。あなたは、その成功ネタを99%の確率で言い当てる、すご腕の事業ネタ鑑定人です。失敗ネタを成功ネタと鑑定してしまうこともありますが、その確率は1割(10%)しかありません。

     ある日あなたは「これだっ!」という事業ネタに出合いました。99%間違いないという確信があります。このとき、それが実際に成功ネタである確率はどれくらいあるのでしょうか。先に進む前に、適当に予想してみてください。


     目の前に具体的なネタがあって、それが99%「当たり」だと確信できるのだから、99%と考えたくなります。しかしベイズ推定という手法を使って計算してみると、わずか2.9%にすぎません(注1)。

    事前確率という罠

     「わずか」2.9%と書きました。もしあなたがわたしと同じように平均的な数学的センスの持ち主であれば「99%の確率で当てられるはずなのに、どうしてそれだけしか当たらないのか?」と感じられたことと思います。失敗ネタを成功ネタと鑑定してしまう確率を1割でなく1分(1%)とすれば、数字は23%にまで上昇しますが、依然として低い数字です。

     これは、我々が、前提となっている出来事の確率の低さ(「当たり」は千に三つしかないという確率。事前確率という)を無視してしまう傾向があるからだと説明されています(注2)。

     我々は、仕事でも生活でも、冒頭の例のように「ある条件さえ整えば、成功を確信できるのに…」と考えます。例えばこんな感じで。

    「○○で△△な企業があったら今すぐでも転職したい。そうしたら絶対にいい仕事して会社を儲けさせてやれるんだけどなあ…」

    「『この人と結婚すれば絶対に幸せになれる』という相手は、1万人の中からでも、会った瞬間に分かるはずだと思うんだよね。でもなかなか…」

     我々が未来のことについて確信を持てるのは、往々にして厳しい前提条件が満たされたときに限ります。冒頭の事業ネタの例で言えば「市場参入の余地が大きく、競合優位が確保でき、その優位を確保できる体制が整っている……」といった場合でしょう。

     我々はその前提条件の厳しさ(事前確率の低さ)を忘れがちであるがゆえに、結果的に過信に陥ってしまう傾向があるようです。

     この「事前確率の罠」から学べることをまとめてみます。

    • 確信はすなわち過信である」と心得る。
    • 確信を持てたときは、前提条件を確認する」。厳しい前提条件を課したうえでの確信は、裏切られがちである。そもそも自分が何らかの前提に依存していることにすら気がつかないケースも、案外多いのではないか。
    • 慎重な人の確信こそ要注意」である。慎重な人は前提条件をたくさん置くが、そうすればするほど「確信の精度」は下がってしまう。「千に三つ」のことがらについて99%の確信があっても、残り997の1割を誤判定してしまうなら、3%しか正しくない。

    (注1)(注2)
     『行動ファイナンス―金融市場と投資家心理のパズル』を参考にしました。以下に計算式を示しておきます。

    P(成功) = 成功ネタである確率 = 0.3%
    P(失敗) = 成功ネタでない確率 = 99.7%
    P(成功判定|成功) = 成功ネタを成功と判定する確率 = 99%
    P(成功判定|失敗) = 失敗ネタを成功と判定する確率 = 10%
    
    P(成功|成功判定) = 成功と判定されたネタが実際に成功ネタである確率
    
        P(成功判定|成功) × P(成功)
    = ―――――――――――――――――――――――――――――
        P(成功判定|成功) × P(成功) + P(失敗) × P(成功判定|失敗) 
    
    = 2.9% 

     なお、実際に新規事業を検討する際には、有限個の(しかもそれほど多くない)事業機会を吟味し、相互に比較をしながら絞り込んでいくと思います。今回は「事前確率無視のバイアス」を説明するための架空の状況設定と考えてください。

    (参考)