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カテゴリー: 大事なことの決め方・伝え方

  • 157 問題の当事者も気づかない「もう一つの物語」

    【相談者だって自分の問題をよく理解しているわけではない】

    問題を抱えた人の相談に乗るのは、奥が深い行為です。

    「こうすればいいんだよ」という解決策(だけ)を示すのは、相談者(相談する側)の依存心を高めかねません。依存されるのは、相談に乗る側にとっては嬉しいことかもしれませんが、相談者にとっては善いとは限りません。

    医者に依存しきった患者は、調子が悪くなるたびに先生に診てもらいたくなります。同じように、答えをもらった相談者は、それが素晴らしい答えであるほど、問題が生じるたびに答えをもらいたくなる誘惑にかられます。相談者に考えさせないことを目的にしているのでないかぎり、相談者のためになっているとは言いがたくなってしまいます。

    そもそも、他者が当事者の問題をすべて酌み取れるわけではありません。「問題共有(Problem sharing)」では、複雑な問題を抱えた相手をどう支援するかというテーマについて書きました。

    さらに、相談者だって自分の問題をよく理解しているわけではない。そのことに気づかせてくれたのが、『ナラティヴ・ソーシャルワーク―“〈支援〉しない支援”の方法』という本でした。

    本書に、「“〈支援〉しない支援”の方法」の代表格であるナラティブ・セラピーを中心にしたアプローチが解説されている部分があります。以下、読書メモを兼ねてそのプロセスを紹介します。本書は総説ですし、わたしもソーシャルワーカーではないので、あくまでもわたしの理解を書き連ねたメモに過ぎないことを、おことわりしておきます。

    【ナラティブ・アプローチで相手の相談に乗る】

    0. 【無知の姿勢】相手の問題の原因に対して無関心を保つ (not-knowing)

    ナラティブ・アプローチによる支援では、困難の「原因」を突き止め、その「原因」を取り除くことでクライエントが良くなる、とは考えないのです。

    コンサルティングマインドの高い人は、手足を縛られたような気分になってしまうと思います。ナラティブ・アプローチは、社会構成主義という考え方に依って立っています。注意を向けるべきは、相手が問題をどう認識しているかという点であり、事象の因果関係を解き明かすことではないのです。

    相談を通じて、相談に乗る側が持つべき姿勢という意味でゼロ番としました。1番以降は、厳密ではないにせよ、ステップと考えてよいでしょう。

    以下のステップを学びながら、ある会社の社長さんから雑談がてら相談を受けたシーンを思い出しました。わたしの側には支援しよう(提案しよう)という気がなくハイハイと話を聞いていただけだったのに、お礼を言われたという思い出です。

    1.【問題の外在化】問題を評価せず、「こだわっている物語」を整理する

    善悪を評価せずに聞き、問題の整理に徹します。「こだわっている物語」(dominant stories)とは、相手がその問題をどのような物語として捉えているかを指す言葉です。dominantとは優勢な・支配的なという意味ですが、こだわっているとはなかなかよい訳語を考えたものだと思います。

    その社長からは「うちの営業のできが悪くて困っている」という相談をいただきました。商品の中に、1年更新のサービスがあります。契約の終了時には報告会があり、社長はサービス提供チームだけでなく営業チームも出席させています。営業チームには、報告会の場でお客様の問題を聞き出したり、それをもとに追加提案をしたり、契約の維持・拡大に努めてほしい。それができないので、契約の更新率が上がらない。そういった相談でした。

    わたしは(何しろ売る気がないので)「営業マンがうまくフォローできていないんですね」などと相づちを打つのみでした。社長も「そうそう、フォローなんだよ」などと応じます。

    つまり「フォローができない営業チーム」が社長の「こだわっている物語」でした。

    2.【例外の発見】「こだわっている物語」に現れる例外を発見し、「もう一つの物語」の存在を明らかにする

    例外(ユニークアウトカム)とは、「こだわっている物語」にそぐわないエピソードなどのこと。そこに潜む「もう一つの物語」を明らかにすべく、(言葉によって)介入します。

    営業チームへの悪口はしばらく続きましたが、ふと「言われたことはやるんだけどね」という言葉がありました。

    悪口ばかりだったのでホッとして「言われたことはやると。たとえば……」と水を向けると、「提案書のひな形を作って送り出せば、手足を動かして新規開拓なんかはできる」との答え。

    ここで社長の「もう一つの物語」、つまり「言われたことはやる営業チーム」が明らかになりました。

    3.【物語の調整】「もう一つの物語」を整理し、相手が問題を「複雑な物語」として理解することを支援する

    「複雑な物語」とは、問題は「こだわっている物語」でもあり「もう一つの物語」でもあるということです。

    社長はすぐに「ただ、手足は動いても頭がね……」と、悪口に逆戻りしてしまいました。

    せっかく営業チームの良い面が出てきたので、もうすこし引っ張ろうと考えて 「具体的な指示があれば、実行できる営業チーム。それだけでもうらやましがる社長さん、多いと思いますよ」と蒸し返してみると、 「んー、まあね。贅沢は言っていられないんだけど、ウチの場合はそれだけじゃね……」 と、考え込んでおられました。

    わたしが相変わらず「そうですよねー、難しいサービスですからねー」などと相づちを打つうちに会話は収束しました。社長は「ありがとう、スッキリしたよ」と会話を締めくくってくれました。

    その後営業チームの話をしたことはありませんが、事業は順調に伸びているようですので、自己解決されたようです。

    【で、何が起きたのか?】

    あらためて振り返ってみると、不思議です。社長の問題は当初より「複雑な物語」になったのに、なぜ「スッキリしたよ」と言ったのか。実際の会話は以上でおしまいでしたので、ここからはわたしの想像です。

    物語が複雑化したというよりは、問題を多面的に捉えるきっかけを得たのだと思います。「フォローができない」けれど、本来「言われたことはやる」チームだという物語は、社長に「何をやるべきなのか、営業チームに十分伝えていないかも」と気づいた。それが「スッキリ」の正体だったのではないでしょうか。

    社長は創業者で、今の営業チームを自ら採用し、育成してきました。そして新規開拓を一緒にがんばってきました。しかし今、新規開拓より既存顧客への深耕が重要なテーマとして浮上しています。社長にはそれが見えており、やるべきことは明らかです。それなのに営業チームはやるべきことをやっていない……。

    「そうか、すこし高望みをしていたようだ」 社長は手帳を開き、タスクを書き出したことでしょう。

    1. 事業環境の変化に伴って必要な営業スキルも変化したことを共有する
    2. 新しい営業プロセスを定義する
    3. 営業チームが実行できるようなマニュアル化を図る
    4. 実行にあたり能力が足りないところはトレーニングで補う

    ……この読みにしたがって4.についてタイムリーに提案をしてトレーニングの仕事をもらった、というオチがつくと収まりがいいのですが、事実はただ雑談の相手をしただけでした。

  • 156 問題共有(Problem sharing)

    【ミニコンサルセッション】

    先日、東北地方で震災復興に取り組むNPOのお手伝いをするツアーに参加してきました。屋外での草むしりの次は、カフェをお借りしての「ミニコンサルセッション」です。20名を超えるツアー参加者の大半がコンサルティングの経験者だったので、頭脳労働のお手伝いも、ということでツアーの主催者がセットしてくれた機会でした。

    ミニという言葉通り、1.5時間しか使えません。そこで時間内に一定の成果を出すために課題を限定し、いま検討中のAという事業アイディアをNPOのリーダーから説明してもらいます。それをグループに分かれてブラッシュアップして発表、という進行でした。

    しかし、なかなかワークに入れませんでした。ある手段を検討する以上は目的をよく理解したいと誰でも思うでしょう。ましてや参加者は問題解決のエキスパートです。「そもそもの背景はどうなっているのか」「そもそもの目的は何か」「Bというやり方もあると思うが、なぜAなのか」など、大きな文脈の中にその事業Aを位置づけ、それが最善のやり方なのかを確認するための質問が相次ぎました。

    そのうち残り時間も少なくなってきてしまったので、質疑応答には区切りをつけ、各グループは30分ほどのワークを経てアイディアを発表しました。中には、リーダーがぜひ続きを聞きたいと言うような優れたアイディアもありました。

    震災を機に東北に移住してきた若きリーダーは、課題を限定すべきではなかった(もっと遠慮なく多くのデータを用意して、大きな問題をぶつければよかった)、やっぱりそこが大事だよなという気づきがたくさんあったと、謙虚にも感謝の言葉を述べてくださいました。

    そして、何しろ知恵が足りない、ぜひ今後とも協力をお願いしたい、というスピーチをされ、セッションは終了しました。

    【解の断片ではなく、ともに解を考える人がほしい】

    セッション直後から、違和感というかベストを尽くせなかった感が残りました。その場では「まあ時間も限られているし、できることはやった」と自分を納得させましたが、一晩経ってみて、違和感が形になってきました。全員が、ある「枠」にはまっていたように思うのです。

    セッションは「コンサルタントの専門性を活かしたソリューションの提案を」という前置きで始まりました。リーダーも「皆さんはコンサルタントと聞いています。僕はダラダラ喋りますのでよろしく……」と言って話を始めました。

    この、問題の当事者(NPO)対解決者(参加者)という構図が「枠」でした。その枠にはまり、われわれはNPOリーダーを「お客様」に見立ててヒアリングを行い、「ご提案」よろしくアイディアを披露したわけです。

    リーダーがほんとうに欲しかったのは、アイディアなのか。もちろんアイディアをもらえるに越したことはありません。ただ、自分が3年越しでやってきたことを1時間足らずで説明し、30分で考えてもらったアイディアです。よくて玉石混淆、下手をすれば石一色というところでしょう。玉のアイディアも、現在の状況における最適解の候補にすぎません。試して駄目だったらそれでおしまいですし、状況が変わればやはり石と化すかもしれません。

    アイディアのはかなさは、リーダーもよく理解されていたように思います。その証拠に、よいアイディアを出したチームに継続的な議論を依頼していました。リーダーが求めていたのは、アイディアの断片でなく、活動に関心を寄せてくれる人とのつながりだったと思うのです。

    【ほんとうの手伝いとは何だったのか】

    もし、お手伝い=問題解決のアイディアを出す、という枠を外すことができていたら何ができ得たでしょうか。

    どうせ1.5時間しかないのです。部分的な話を聞いて部分的な解のアイディア出しに時間をかけるなら、いっそアイディア出しから離れ、一人でも多くの参加者が 「NPOが取り組んでいる問題を深く理解(し、できれば共感)する」 ように努めてみたらどうだろう、と思えてきました。

    いうなれば、問題解決(Problem solving)でなく問題共有(Problem sharing)です。

    真剣に問題を聞き、質問をしながら理解しようと努めることは、それだけで支援になります。なぜなら多くの人を巻き込んでいかなければならNPOのリーダーは、問題を理解してもらう練習相手を欲しているに違いないからです。しかもこれは、草むしりのように全員が貢献できる支援です。

    わたしがNPOのリーダーだったとして、何も知らない一団に対して話をすると仮定します。問題を理解してくれたうえで、何をしてもらうと嬉しいだろうかと考えてみると、次のようなことが浮かんできました。

    まずは「これは取り組む意義のある問題だ」と認めてくれること。リーダーは、自分の地元でもない土地に単身移住して、24時間をそこで過ごしています。わたしであれば、ここに大きな問題があるということをまずは訴えたいし、認めてほしいと思います。この人たちは都会に帰ってしまうけれど、私がこの田舎で意義ある問題に取り組んでいることを知っている。そう思えれば、やっていることの意味を見失いそうになるようなつらいときの支えになると思いました。

    次に「これは困難な問題だ」と認めてくれること。わたしであれば、「そんなのこうすればいいじゃないか」という(どうせ実効性の薄い)思いつきをもらうよりは、問題の困難さをよく理解して欲しいと思います。なぜか。問題を浅く理解し、浅く解決するアイディアを出せば、参加者はスッキリして帰ります。しかし問題を深く知れば知るほど、それは解決すべき問題として参加者の心の中に残ってくれると思うからです。

    そのうちの何割かは、問題の意義と困難さを認めてくれるでしょう。その人たちの言葉であれば、「本質的な原因はこれではないか」という分析、あるいは「これを試してみたらどうか」という解決策のアイディアも、心情的に受け入れやすいですし、おそらくは内容も深いものになっているのではないでしょうか。

    欲しいものはまだまだあります。わたしは図々しいので、「あなたがこの問題に取り組んでいる理由がわかる」という共感、「あなたがこの問題に取り組んでくれて嬉しい」という感謝、あるいは「これはより大きな、社会的な問題の象徴だ」という一般化の言葉なども歓迎したいです。

    もし問題が深く共有されれば、きっと何人かは手を動かしたくなってくれると思います。自分の好きなことや得意なことに照らして「○○についてはお手伝いできるかも」と、声を挙げてくれたとしたら、どんなに心強いことでしょうか。

  • 155. 熟慮、しかるのち決断(V字型意思決定)

    【熟慮、しかるのち決断】

    多くの人は宙ぶらりんの心地悪さから解放されたくて、即断の誘惑にさらされるが、決断に時間をかければかけるほど、結果は賢明で理にかなったものになるはずだ。

    ルドルフ・ジュリアーニ『リーダーシップ』 p149

    ルドルフ・ジュリアーニ氏は1994年から2001年までニューヨーク市の市長を務めた人物。「熟慮、しかるのち決断」は、彼の著書『リーダーシップ』のある章のタイトルです。

    時間をかけるのはよいとして、いつ決めるのか。氏は決断のタイミングについてこう述べています。

    決断において、一番慎重を要するのは、その内容ではなく、タイミングだろう。決定がなされるまでの時間的余裕がどれくらいであっても、わたしは、しなくてはならない時機が来てはじめて決断する。

    (同上、p149)

    ということはおそらく、氏は以下の順序で考えているということです。

    1. いつまでに決断しなければならないかを知る
    2. 決断の内容について熟慮する

    決められることは先にサクサク決めておきたいのが人情ですが、そうしない。それは、決断に責任を持つことの重みを知り抜いているからでしょう。

    いったん決断を下したら、それを固守しなくてはならないが、最終段階の直前までは、確定的に思える事柄まで含めて、考えを変えることをためらうべきではない。

    (同上、p149)

    とはいえ、なかなか腰を据えて考える時間は無いと思われる方も多いと思います。元ニューヨーク市長もそうでした。では、どのような態度で臨めばよいか。

    リーダーは即断と熟慮のバランスを保たなくてはならない。決断を下すためには、じっくり考える余裕がないときの対処法も知っておく必要がある。

    (同上、p168)

    リーダーは、決断を下すまでに可能なかぎり時間をかけなくてはならないが、意思決定のプロセスはただちに始動させるべきだ。期限が五日後だとしたら、問題点の調査と検討に取りかかるのは今であって、四日後ではいけない。

    (同上、p170)

    わたしがこの本を読んだのはもう7年以上前になります。そのとき「ジュリアーニ流決断プロセス」を以下のようにまとめました。

    1. いつまでに決断しなければならないかを知る
    2. すぐに検討を始める
    3. 可能なかぎり時間をかけて熟慮する
    4. 考えを変えることをためらわない
    5. ぎりぎりまで決断せず、自らを中立に保つ
    6. 決断を下したら、それを固守する

    ルドルフ・ジュリアーニの決断プロセス*ListFreak

    【決断はVの字で】

    それ以来、常にこのリストに沿って決めてきたわけではないものの、「熟慮、しかるのち決断」は指針の一つとして有効に機能しています。6項目は多いので自分の中で自然に淘汰・進化して、ここ3年ほどは”V”の一文字にまで集約されました。名づけてV字型意思決定です。

    V字の意味はシンプルで「考える期間の最初と最後によく考える」ということです。横軸に時間、縦軸に思考の密度あるいはエネルギーを取ったグラフがあるとします。あることについて決めなければならないとわかったときには、まず考え、期限ぎりぎりまで寝かせておいて、最後にまた考える。するとグラフは両端が盛り上がった「\_/」型になります。これをV字と呼んでいます。

    たとえば、仕事の依頼を受け、ちょっと引っかかりを感じたとします。そんなときがV字を使うチャンスです。

    • 回答期限を確認したうえで、気になることを書き出します。その作業がしっかりできれば「これが決められれば決められる」という論点の候補が絞れます。
    • それらの「気になること」をリストにし、回答期限の前日まで決断を保留します。調べ物であっても、特に期限や優先順位は決めずにおきます。気になって仕方ないものは自然と空き時間に調べたくなるもので、これが意識下の興味を確認する方法にもなります。
    • 期限間近になって、もう一度検討します。悩むポイントは変わらないことが多いものの、意識下での検討を経ていることもあり、お引き受けすべきかそうでないか、自信を持って決められることが多いと感じています。

    上記は数日レベルでのV字ですが、数分レベルでも、いったん意識下に追いやることで決断の満足度が上がるという研究があります(「無意識の力を借りて決断の満足度を高める」)。

    この知見を考慮して、引っかかりを感じない仕事でも即答せず、小さなV字を作るようにしています。たとえば午前中にいただいたご依頼はランチを挟んで回答するとか、その程度です。それでも早まらずによかったと思えることがしばしばあります。

  • 154 ただ今日のために

    【Just For Today】

    2015年の初回ですので、1年間の目標設定について書くのがふさわしいかもしれませんが、1月もすでに半月が過ぎてしまいました。そこで視線を1年間から1日間に落とし、「ただ今日のために (Just For Today)」というリストをご紹介します。

    マネジャーの意志決定とは関わりの薄い項目もありますが、共感できそうなものがあれば、つまんでお使いいただければと思います。

    1. ただ今日のために、幸せでいます。エイブラハム・リンカーンの「人は、本人がそうあろうと決めた程度に応じて幸せである」という言葉が正しいとすれば、幸せは自分の内側にあり、外側のものには関係がありません。
    2. ただ今日のために、すべてのものを自分の欲求に合わせようとせず、自分を起こっていることに合わせます。家族・ビジネス・幸運をあるがままに受け止め、自分をそれらに合わせます。
    3. ただ今日のために、自分の身体をいたわります。身体を酷使したり無視したりせず、動かし・手入れをし・栄養を与え、自分の依頼に完璧に応える乗り物にします。
    4. ただ今日のために、心を強くするよう努めます。有益なことを学びます。無為に過ごしません。努力・思考・集中を要する本を読みます。
    5. ただ今日のために、三つの方法で魂を鍛えます。 (a)誰かによい行いをし、気づかれないようにします。 (b)ウィリアム・ジェームズが提案しているように、自分がしたくないことを少なくとも二つ、ただ訓練のために行います。 (c)気持ちが傷ついた様子を誰にも見せません。傷つくかもしれませんが、それを見せません。
    6. ただ今日のために、感じのよい人間でいます。できるだけよく観察し、適切な服装をし、大声を出さず、礼儀正しくし、賞賛を惜しまず、批判もあら探しもせず、誰かを統制したり改善したりしようとしません。
    7. ただ今日のために、人生全体の問題にいっぺんに取り組むのではなく、この一日だけを生き切ります。一生取り組まなければならないとしたらぞっとするような事柄でも、12時間ならできるでしょう。
    8. ただ今日のために、計画を立てます。毎時間にやるべきことを書きだします。正確に従わないとしても、計画を立てます。それは二つのやっかいもの、慌てることと優柔不断を退治するでしょう。
    9. ただ今日のために、三〇分間一人っきりになり、くつろぎます。ときにはその三〇分間に、もう少し広い人生の展望を得るために、神について考えます。
    10. ただ今日のために、恐れません。とりわけ、幸せでいることを、美しいものを楽しむことを、愛することを、愛する人たちが私を愛しているのを信じることを、恐れません。

    ただ今日のために (Just For Today)*ListFreak

    これは、『人を動かす』の著作で知られるデール・カーネギーのもう一つの著名な作品『道は開ける』で引用されています。ただ、残念ながら引用にやや不明瞭なところがあるうえに、彼が引用元とした人物にも間違いがあったようです。

    できるだけ正確な引用元を探った記事によれば、1921年のボストン・グローブ紙にフランク・クレインが寄せた文章が原典ではないかとのこと。(1) お目にかけたリストは、その原典をベースに訳し直したものです。(2)

    【今日が人生で最後の日であってもなくても】

    わたしのお気に入りは、7の「一生取り組まなければならないとしたらぞっとするような事柄でも、12時間ならできる」です。自分をだます方策に過ぎないと頭では知りつつも、こうして目にしてみると効果的に自分をだましてくれる、わたしにとってはよい言葉です。

    今・ここを大切にしようという意味合いでは、「今日が人生で最後の日だとしたら……」という表現もときどき見かけます。「今日が人生で最後の日だとしても、今日やろうとしていることをやりたいか?」というスティーブ・ジョブズのスピーチも有名になりました。(3)

    切迫感を与えてくれる言葉ですが、やや悲壮感もあり、もしかしたら刹那的になってしまいそうな気もします。毎日これを真剣に自問しているという人にはまだお目にかかっていません。それほどに、難しい問いかけなのだと思います。

    一方「ただ今日のために」は淡々とした語感で、考えやすいように思えます。しかしこちらも、ある種の覚悟が必要です。何しろ「最後の日と思って」がんばろうとか、「最後の日だから」やりたいことをやろうとか、そういう刺激がないのです。

    今日が人生で最後の日であってもなくても、「ただ今日のために」。そんな静かで決然とした態度で日々を過ごせたら、と思います。無理とは思いますが、毎日12時間だけ取り組んでみようかなと。

    (1) “Just for Today, I Will Try to Live Through This Day Only (Quote Investigator)

    (2) 訳文の検討にあたり、スティーブン・ワッツ 『デール・カーネギー 下』(2014年、河出書房新社)も参考にしました。

    (3) “Text of Steve Jobs’ Commencement address (2005)

  • 153 弱いけれど善意に満ちた罪人

    【弱いけれど善意に満ちた罪人】

    神経学者のアントニオ・ダマシオは、近著『自己が心にやってくる』で無意識を「遺伝的無意識」と「認知的無意識」に大別しています。

    遺伝的無意識とは『深く生物学的に根ざした古代からの偏り、欲求、欲望により深く設定された』無意識。大まかに言えば、本能や衝動という言葉が示す部分です。

    認知的無意識とは『意識的に得た発想、欲望、計画などに従うよう、意識的な思索の監督下で訓練を受けた』無意識。典型的な例は、スポーツ選手の体の動きの大部分です。わたしは海外赴任の最初の数ヶ月間、外国人に握手をしながら頭を下げる習慣がなかなか抜けませんでした。これも、日本文化がわたしの認知的無意識に施した訓練の成果といえるでしょう。

    ダマシオは、人はどちらの無意識にどれくらいの頻度で導かれているのだろうと自問し、次のように述べています。

    おそらくほとんどの人は、弱いながら善意の罪人たちとして、どちらの無意識にも支配されていて、どちらが強いかは状況と一日の時間にもよるのだろう。

    この「弱いながら善意の罪人」(原著では “weak but well-meaning sinners”)という言葉が目に飛び込んできました。

    人は「善い」意図に満ちているが「弱い」ので、ときとして「悪い」行動をしてしまう存在。組織にルールを敷く場合に、性善説に立つか性悪説に立つか。いや性弱説にたつべきだという主張を思い出しました。ダマシオの言葉も短い句に「善・悪・弱」が詰まっていてインパクトがあります。

    ではわれわれは、遺伝的ないし認知的無意識に支配される、弱いだけの存在なのか。ここでは、マネジャーとして即断を迫られるとき、つまり「その場力」が要求される局面に絞って考えてみます。

    即断を迫られるときには、意識的な熟慮の能力はあまり役に立ちません。思考し、返答を差し出してくるのは認知的無意識です。その意味では「弱い」と言わざるを得ません。

    しかし、意識はその返答を保留し、口をつぐむことができます。さらに意識は、認知的無意識そのものを教育することが可能です。この2つの意味合いでは、意識にも「強い」面があります。先述のあいさつの例でいえば、海外に赴任している間に握手しながら頭を下げる行動はなくなりました。認知的無意識が再教育されたわけです。

    ダマシオは、次のように述べています。

    意識的な熟慮というのは、その場の行動をコントロールできる能力とはあまり関係なく、どんな行動を自分が取りたいか/取りたくないかを事前に計画して決めておく能力がほぼすべてだ。

    【態度の準備】

    わたしは自分の経験から、この文章に強く共感しました。講師やファシリテーターというのは「その場の行動」が仕事の主なパートです。よい仕事をするということは、その場の行動を改善していくことにほかなりません。

    では、そのために何ができるか。事実上、その場に臨んでしまうとできることはほとんどなく、準備がすべてです。

    準備には内容の準備と態度の準備があります。内容の準備は今回は割愛します。ダマシオがいう「どんな行動を自分が取りたいか/取りたくないかを事前に計画して決めておく」のがまさに態度の準備です。

    具体的には、「その場」で保つべき態度についての3?5か条程度のリストを作っておき、場に入る前に眺めています。リストといっても、キーワード集程度のごく短いもので、平時であれば眺めるまでもなく思い出せます。しかし「その場」では、やはり話の内容に浸り込んでしまってなかなか思い出すことができません。したがって直前に唱えたり目で見直したりする作業は欠かせません。

    おかげで、握手しながら頭を下げることがなくなったように、後で悔やむような態度を取ってしまうことは減りました。まだまだなくなりませんが……。

    マネジャーにも、会議の場で合意を形成する、目の前の部下に対して、今ここで叱るかどうかを決めるなど、「その場・そのとき」の行動が重要な仕事が数多くあります。ときどきは時間を取り、これまでの経験を振り返り、自分のポリシーを「持論」として自分の言葉でまとめておく。これが結果的には「その場・そのとき」の行動を改善することにつながります。

  • 152 やる気のコンチクショー理論

    【やる気のコンチクショー理論】

    数年前のある社長との会話を、今でもときどき思い出します。うまく言い返したかったのにできなかったという、悔しい感情と結びついているからです。

    社長は感情のマネジメントに興味があるとのことで、人間の感情に関わる自説を展開されておられました。問題の(?)発言は、部下のやる気をかき立てる方法についてでした。

    社長は、ご自分は部下を罵倒したり会議で恥をかかせることで「コンチクショー!」というやる気をかき立てていると言うのです。

    なるほど、と思いました。事前に、何人かの社員からは「社長がキレると手が付けられない」と聞かされており、(おそらくはそのせいで)離職率も高いのですが、一方では優秀な腹心が残っていて、業績自体は良いのです。

    つまり、その時点では社長のやり方は機能していました。しかしこれからさらに成長をめざそうという会社にとって持続的に有効な方法とは、わたしには思えませんでした。

    「ある状況においては、そして一部の社員にとっては、それが効果的にはたらくこともあるでしょう。しかし一般的には、多くの社員に対して有効な方法とはいえないのではないでしょうか。たとえば……」

    そんな風に反論したかったのですが、うまく考えがまとめられず「そう……かもしれないですけどね」と返すのがせいぜいでした。

    先日、速水 敏彦『感情的動機づけ理論の展開―やる気の素顔』を読んでいろいろと示唆を受けたので、これをきっかけに考えをまとめておきたく思います。

    【ネガティブ感情から始まるやる気もある】

    実際、社長が言うとおりのシナリオでやる気が出る場合もあります。そこで「やる気の源」について簡単な整理を試みます。やる気・動機付けに関わる理論をまとめていくのは大変なので、このコラムでは独自の整理をします。

    やる気の定義からして簡単ではないのですが、「行動をともなう意志」くらいに捉えておきます。つまり、蛇を見て後ずさる・朝起きて伸びをするといった反射的・自動的な行動は含めません。「先生に叱られたくないから宿題をやる」という他律的・消極的な行動は含めます。

    「意」志には、つねに「知」と「情」の両方が関わりますので、まずは大きく「知」的なやる気(認知・思考がかき立てるやる気)と、「情」的なやる気(感情がかき立てるやる気)に分けます。

    前者は、目的・目標を定めることでかき立てられるようなやる気。今回挑戦したいのは「情」的なやる気、特にネガティブな感情が源になるやる気です。ネガティブな感情を「怒り」「恐怖・嫌悪・恥」「悲しみ」に大別して、それらが「行動をともなう意志」にどうつながるかを整理してみます。

    「知」的(今回は省略)  
    「情」的                                                
      ├ポジティブ(今回は省略)                            
      └ネガティブ                                          
          ├怒り                                            
          │  ├反発─建設的に「見返したい」                
          │  │      破壊的に「復讐したい」                
          │  └支配─建設的に「導きたい」                  
          │          破壊的に「服従させたい」              
          │                                                
          ├恐怖・嫌悪・恥                                  
          │  ├逃避(対処的)─建設的に「現状を変えたい」  
          │  │                破壊的に「逃げ出したい」    
          │  └回避(予防的)─建設的に「備えたい」        
          │                    破壊的に「遠ざかっていたい」
          │                                                
          └悲しみ                                          
              ├癒やし─「癒やされたい」                    
              └忘却  ─「忘れたい」                        
    

    ざっと解説します。

    1. 怒りは、環境が自分の思い通りにならない場合に起きます。環境が自分より強ければ「反発」、弱ければ「支配」というかたちで、相応の行動へのやる気につながります。
    コンチクショー理論はこの「怒りー反発」ラインを期待した感情操作をねらったものですが、相手が建設的なやる気を持ってくれることを期待しています。社長の部下の一部にはそれが機能していましたが、他の部下はネット掲示板に社長や会社の悪口を書き込むなど、破壊的な方向にやる気を向けていました。

    2. 恐怖・嫌悪・恥は、いずれも環境から遠ざかりたいという感情です。いま好ましくない環境にいるならば「逃避」、このままでは好ましくない環境に陥りそうだと感じれば「回避」というかたちで、相応の行動へのやる気につながります。
    社長がコンチクショー理論で動かしていると思っている部下の中には、「恐怖?回避」ラインで動いている人もいそうです。組織にとって建設的に機能しているうちはいいですが、度を超すと破壊的な方向、たとえば転職活動へのやる気につながります。

    3. 悲しみは、重要な何かが失われた場合に起きます。その悲しみを緩和したいならば「癒やし」、忘れたいならば「忘却」というかたちで、相応の行動へのやる気につながります。たとえば、ある種の散歩や旅行は、楽しみを求めてというより傷心を癒やす・忘れるために行われます。

    【スパイスとしてのコンチクショー】

    感情は認知・思考よりも人間の行動を支配しやすく、感情の中ではネガティブな感情の方がポジティブな感情よりも人間の行動を支配しやすいと言われます。ですから、リーダーが部下のネガティブ感情に働きかけようと考えるのも無理はありません。

    ただし怒りや恐怖のような感情は、建設的な行動だけでなく破壊的な行動へのやる気も育てるリスクがあります。無思慮なコンチクショー理論の実践は、破壊的な行動へのやる気をかき立て、結果的に当初のねらいとは反対の効果を生むリスクがあります。

    では、ネガティブな感情を感じながらも建設的な方向へとやる気をかき立てるものは何か。ここから先は「意」の成分(目的への共感や相手への信頼)「知」の成分(言動の合理性)を考慮に入れなければなりません。そういった成分が十分にある状態で、スパイスのように使うならば、コンチクショー理論も効くかもしれません。たとえば相手のチャレンジ精神に訴える(小さな怒りを誘う)、失敗のリスクを想定させる(小さな恐怖を誘う)といったかたちで。

    また、ポジティブな感情が高まりすぎると弛緩してしまいますので、そういった時にも「コンチクショー理論をスパイスとして使う」ことはありえるでしょう。いっそコ(ンチク)ショー理論と呼ぶべきかもしれません。

  • 151 小さな記録の大きな効果

    【記録はダイエット効果を倍にする】

    2008年、アメリカで1685人の被験者を対象にしたダイエットの実験が行われました。平均年齢は54.8歳、体重は96.5kg、平均BMIは34.3。全体の78.8%が肥満(BMI≧30)です。

    被験者が参加したのは、食餌制限、運動、食餌記録、グループセッションなど様々な方法が組み合わされた20週間に及ぶプログラムです。その結果から、ダイエット手法の効果が被験者の属性(性別・人種)別に分析されました(その論文は全文[PDF]を参照することができます)。

    なかでも注目を浴びたのが、記録の効果でした。USA TODAYは「フード・ダイアリー(食事日記)はダイエット効果を倍増させる」として紹介しています。

    論文を読んでみると、シンプルに食べた・飲んだものを記録しただけのようです(もちろん実験の目的である体重も記録されています)。

    記録のツールはここ数年で飛躍的に進歩しています。ブログなどの自由日記から、ダイエット・読書・運動など特定のテーマに特化したものへと広がっています。記録をSNSに投稿したり、仲間と競わせてくれたりします。記録という小さな行動の大きな力を実感している人も多いのではないでしょうか。

    かくいうわたしも、趣味の水泳の記録をスマートフォンに取っています。話の種にするとき以外は人に見せることのないこの小さなグラフが、泳ぎ続ける励みになっています。

    【記録はどのように機能するのか】

    記録によるダイエットといえば、この実験に先立つ2007年にベストセラーとなった岡田 斗司夫『いつまでもデブと思うなよ』を引かないわけにはいきません。著者自身は自身の経験を次のような段階にまとめています。

    1. 【助走】 食事と体重を記録する
    2. 【離陸】 記録にカロリーを加える
    3. 【上昇】 摂取カロリーを管理する
    4. 【巡航】 工夫をこらし、停滞期とたたかう
    5. 【再加速】 頭の欲望でなく体の欲求に応え、停滞期を突破する
    6. 【軌道到達】 ダイエットをやめてもやせている
    7. 【月面着陸】 ダイエットの効果を実感する

    レコーディング・ダイエットのステップ*ListFreak

    このレコーディングダイエットのステップを肴に、記録が目的を果たすメカニズムを追ってみたいと思います。

    1. 【助走】 楽に測れる項目を選び、記録を始める
      • 最初はあえて手段を目的化する、つまり記録自体が楽しい状態をつくります。どう測るかという観点からは、楽に測れるものがもちろん望ましいですよね。何を測るかという観点からは、インプット(自分でコントロール可能な要素)とアウトプット(直接はコントロールできない成果)の両方を取っておく必要があります。著者は日付・飲食物(インプット)と体重(アウトプット)のメモから始めました。
    2. 【離陸】 記録に、目的を果たす条件を加える
      • 記録という「手段」がどのようにダイエットという「目的」につながるのかを考えるには、あいだに「条件」をはさみます。
        目的:やせている
        条件:摂取カロリーがコントロールできている
        手段:食事の記録を取る
        食事の記録を取るだけでも、何を食べているのかに自覚的になるのでカロリーコントロールには有効でしょう。でも上記の関係を考えると、摂取カロリーを直接測ったほうがよさそうです。著者はこの段階でカロリーをメモに加えています。
    3. 【上昇】 記録を見ながら条件を満たしていく
      • <{include file=”db:`$mydirname`_inc_amazon.html” asin=’4062184451′}>記録 → カロリー制御 → 体重減のループが回りだし、成果を享受する段階です。ここは『習慣の力 The Power of Habit』が参考になります。
    4. 【巡航】 目的に近づけない停滞期とたたかう
      • 中だるみ、スランプ……「停滞期」との戦いです。著者はさまざまなダイエット法を試したり、測るものを変えてみたりしていましたが、あくまでも食事記録(手段) → 摂取カロリー制御(条件)という道筋にこだわっています。ある手段が効かなくなってきたならば、目的に立ち戻り、目的を果たす違う条件(消費カロリー制御)を満たす手段を模索するのもよいと思います。
    5. 【再加速】 目的の本質がわかる
      • ここが興味深いところでした。著者は「頭が食べたいと欲するのが欲望、体が食べたいと欲するのが欲求」と定義した上で、体の声を聞いて欲求に応えられるようになったと述べています。ここまで、「ダイエットとは摂取カロリー<消費カロリーの状態をつくること」が暗黙の定義であったように思いますが、この段階に至って「ダイエットとは頭の欲望でなく体の欲求に応えること」と再定義されているかのようです。
    6. 【軌道到達】 目的の状態になる
      • 体の声を聞いて欲求だけに応えられるようになったら、もはや記録は必要ではない……と著者は述べています。が、ここはどうなんでしょうね。一流の野球選手になったら素振りは、あるいは素振りの記録は必要ないといえるでしょうか。最低限、軌道を逸れていないかどうかをモニターする仕組みは必要なように思えます。
    7. 【月面着陸】 意味を振り返り、言葉にまとめる
      • 著者が定義したステップは前段までで、この【月面着陸】は終章として書かれています。しかし著者も事前に全ステップを見通していたわけではなく、成果を振り返ってこのステップをつくりました。同じように、記録がなぜ効いたのか(あるいは効かなかったのか)を自分の言葉にまとめておけば、記録を続ける動機になるでしょう。

    【「ついでに目的が達成される」ような手段を探す】

    ……ここまで書いてネットを検索していたら、著者がリバウンドしてしまい、再挑戦中であることを知りました。記録を続けていたのにリバウンドしたということではないので、上記のステップの妥当性は維持されているとみなしたいと思います。

    上記のようにステップを追いながら考えてみると、やはりどこか息苦しいというか、辛い感じは否めません。記録が、あくまで目的のための手段だからかもしれません。

    最初の段階で「最初はあえて手段を目的化する、つまり記録自体が楽しい状態をつくります」と書きましたが、ここがほんとうに重要だと思います。食事の写真を淡々と、でもどこか愉しげに記録しているブログをたまに見かけます。写真を撮ることが趣味で、被写体がたまたま食事なのかもしれません。あのような感じでそれ自体が楽しみであるような記録の習慣をつくり、その副産物としてダイエット効果を期待する、ような設計ができるといいですね。

    記録自体を楽しめるかどうか、どのように判断すればよいか。やはり上記のステップを読み直してみて、ひとつのアイディアが浮かびました。それは「アウトプットを記録しなくても楽しめそうか」と考えてみることです。上記の例でいえば、体重を量らずに食事記録だけを楽しめるかということです。体重減という報酬はもちろん記録を続ける動機になりますが、体重減だけが動機になってしまうと、停滞期を乗り切れなかったり、一定の達成を果たした後は止めてしまいたくなります。

    実際には「楽しめそうか」と考えるだけでなく、やってみることでしょうね。やり散らかしてみて、実際に続いたものが好きなものです。そういった、自己目的化できる手段が見つかりさえすれば、その手段に目的を従属させることができます。たとえば、メモは苦手でも撮影は好きだという自分が発見できたならば、撮影という手段によってダイエットという副産物を得る道筋を考えるということです。

    わたしにとってそういう手段があるかと振り返ってみると、箇条書きの記録はまさにそれ自体が楽しみです。今回引用した「レコーディングダイエットのステップ」も、ストーリーがあって、思わず収集してしまいます。そんなコンテンツの収集サイトである*ListFreakは趣味で作ったにもかかわらず、いまでは講義のスパイスとして本業になくてはならない情報源でもあります。逆に、それ自体が楽しみといえる試み以外は、たいがい企画倒れになっているなあと、あらためて感じます。

  • 150 (欠)

    (欠番です)

  • 149 決めっ放しを防ぐために、3つの観点で振り返る

    【「決めっ放し」を防ぐには】

    経営戦略の研究者である清水勝彦博士は、「決めっ放し(決めたことの評価・見直しの欠如)」を「組織の経営意思決定に見られる5つの病状」の1つに挙げています。 われわれは決めるまでには悩む一方で、決めた後の振り返りには正当な労力を費やしていないようです。 たとえば、フレームワークなどを収集しているサイト “*ListFreak“には「意思決定」でタグ付けされたリストが30ありますが、決めたことの評価に使えるリストは1つだけでした。大部分は、決めるために集めるべき情報、決める手順、決める際の判断基準など、「決めるまで」に使うリストです。

    主な収集者であるわたしが無意識のうちに選り好みをしている可能性を考慮に入れても大きな差です。

    なぜ決定を振り返らないのか。意欲・知識・能力の枠組みで考えてみます。 振り返りが意欲をかき立てる仕事でないのは明らかそうです。何かを決めて実行するよりも、後から振り返って反省する方が好きだという人に会ったことがありません。 知識が足りないという理由もありそうです。決定の振り返り方を知らない・考えられるけれど面倒ということです。 能力は、あまり問題にはならないでしょう。決定を振り返るということは、まがりなりにも決定し実行してきたわけで、その遂行力を振り返りにも使えるはずです。

    そこで、さまざまな局面で使える、決定を振り返るための枠組みを一つ持っておけば、面倒な振り返りへのハードルが下がるでしょう。もしかしたらそのうち振り返りが楽しくなるかもしれません。

    【決定を振り返るフレームワーク】

    決定には、決定までのプロセスがあり、実行したあとの結果があります。結果からプロセスを改善することが振り返りの目的なら、両方を評価すべきでしょう。

    結果から決定を振り返るとき、客観的な正しさと主観的な満足度の両方を評価すべきです。たとえば利益というものさしは客観的ですが、理念というものさしは主観的です。個人的な決定においては主観的な満足度のほうが重要な場合も多いでしょう。どちらをどれくらい重視すべきかは、決定の目的(何のために決めたか)と対象(何を決めたか)に依存します。

    とすると、決定を振り返る観点は三つあります。

    • 規範的な観点(決定に至ったプロセスが合理的に説明可能か)
    • 客観的な観点(結果と照らし合わせて正しかったか)
    • 主観的な観点(結果に満足しているか、後悔が少ないか)

    決定を振り返る3つの観点*ListFreak

    規範的な観点とは、決定に至ったプロセスが合理的に説明可能かという観点です。人には後知恵のバイアスがあって、結果が出てからではつじつまを合わせてしまいがちなので、決めるときにはメモを残しておくのがよさそうです。

    もし直感で決めるのが合理的ならば、直感で決めるべきです。面白いことに、この三か条を引用した元の論文のテーマは、無意識下での意思決定でした。複雑な決定においては、意識の仕事は情報収集に限定し、決定は無意識にまかせたほうがよいというのです。これを規範とする人ならば、十分に情報収集を行い、睡眠を取るなどして無意識を働かせ、得られた結論に従って決定できたのであれば、合理的に説明できたことになるでしょう。

    客観的な観点とは、結果と照らし合わせて正しい決定と言えるかという観点です。ここでは後知恵をフル活用して、到達できた最高の結果とそれを導く最高の決定は何だったかを考え、実際の決定と比較します。

    主観的な観点とは、結果に満足できているか、後悔が少ないかという観点です。反省はするが後悔はしないようにしているという人は、主観的な反省点はないかと問えばよいでしょう。

    この観点から考えたとき、何が出てくるかはわかりません。規範的観点からも客観的観点からもよい決定だと振り返れてもなお、主観的には満足できないということはあります。

    自分なりに考えて仕事をお引き受けして、結果も良かったものの、何か心にモヤモヤしたものが残る案件がありました。規範的・客観的にはOKなのですが、主観的には会心の決定とは言えません。

    よく振り返ってみると、実施条件にすこし不安があったことを思い出しました。結果がよかったので忘れていたのです。もしもう一度同じ案件を手がけるならば、条件をきちんと詰めておいたほうが安心できます。

    モヤモヤは、決め方を改善すべきというシグナルだったということです。

  • 148 思考の盲点

    【思考についての6つの思い込み】

    “Mastering the Art of Quitting”(「やめる」というアートを身につける、未訳)という魅力的なタイトルの本を書いたペグ・ストリープ氏のコラムを読みました。”Think You’re Thinking? 6 Reasons to Think Again“(自分は考えている、と考えている?さらに考え直すべき6つの理由)というコラムで、氏はよくある思い込みを挙げています。

    1. 私は事実に基づいて決断している。
    2. 私は良い点と悪い点を注意深く比べている。
    3. 私は他の人よりも論理的に考えている。
    4. 私は客観的に考えている。
    5. 私は自分の行動を予測するのがうまい。
    6. 私は細部にまで注意を払っている。

    自分の思考についての6つの思い込み*ListFreak

    【思考の「盲点」は自分にあり】

    6つの項目は、それぞれがバイアスに対応しています。たとえば1の思い込みは、利用可能性バイアス(あるいは利用可能性ヒューリスティック)から生じます。われわれは思い出しやすい事柄を一般的な事実と見なしてしまいがちなので、決断の根拠としている事実がほんとうに事実かどうかチェックすべきというわけです。

    なかでも興味を引かれたのは、4の解説文の中にある「バイアスの盲点(“bias blind spot”)」という言葉でした。われわれは他人のバイアスは客観的に評価できるのに、自分にどのようなバイアスが働いているかをうまく評価できないというのです。

    この造語はもちろん視覚の盲点から来ています。盲点は眼球の構造に由来するもので、誰にでもありますが、脳がうまく補完してくれます。したがってどんなに目をこらしても、普通のやり方では自分の盲点に気づくことはありません。人の自己認識にも「盲点」がある。すぐれたアナロジーだと思いました。

    なぜ、このような盲点が発生するのか。Wikipediaに、”bias blind spot”という言葉を作ったEmily Proninらの解釈が紹介されていました。
    それによれば、われわれが他人のバイアスを評価するときには、表にあらわれた言動のみに着目をします。それに対し、自分のバイアスを評価するときには、言動に加えて思考や感情をも対象に組み入れてしまいます。しかも、バイアスで歪められた動機によって。これらの操作は無意識に行われるので、意識的な内省によって取りのぞくことはできません。

    うーむ、おそろしいですね。われわれは総じて「他人に厳しく自分に甘い」傾向がありますが、上記の理論によれば、特別自分に甘くしようと思っていなくても甘くなってしまう、ということです。そもそも、自分が客観的に考えているかどうかを正しく評価できていないのです。

    【「バイアスの盲点」を前提として考える】

    視覚の盲点が努力では消せないように、バイアスの盲点を努力で消すことはできないのでしょうか。盲点を埋める方法をいつくか考えてみました。

    考えやすいように例を挙げます。たとえばわたしは、ファシリテーターとして客観性を保って場に立ちたいと願っているとします。

    • 自分の客観性があてにならないことを前提とするならば、他人の頭を借りて補正を図るのが最善ということになります。さまざまな人に見学してもらい、フィードバックをしてもらうことで、客観的に考えられているかどうかをチェックできます。
    • 「バイアスの盲点」が生じる原理から考えると、できるだけ言葉と行動にのみ着目することで、多少は盲点を弱められそうです。たとえばビデオや録音、ログなどを取ることで、「思っていたほどにはできていない」点に気づけます。
    • さらにそれを時間を置いてから見直せば、より他人の目に近づけるでしょう。
    • 再度上述の原理から考えると、最終的に現場での思考を変えるには、無意識のレベルで是正を図るしかありません。望ましい行動を習慣づけることで、もちろん完全にではないにせよ、望ましい応答ができるようになるはずです。