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カテゴリー: 大事なことの決め方・伝え方

  • 097 「近道」的思考を磨く

    ● なぜ、ケーススタディでの学びが活かせないのか

    『医者は現場でどう考えるか』という本を読みました。現場で即断を求められるプロフェッショナルの意思決定過程を研究した名著『決断の法則』以来、直感的な意思決定の分野ではひさびさに出会ったヒット作でした。著者はハーバード大学医学部のジェローム・グループマン教授。教授は医学部を卒業してインターンになったとき、思考法の転換を迫られていると実感したそうです。

    医学部では、診断のやり方をまず書面症例(ペーパー・ケース)で学ぶそうです。半ページほど記述されている学習の様子はビジネススクールでのケーススタディと酷似しています。回診に同行するようになっても同様に、時間をかけて分析と治療を行う方法を学びます。

    一方、そのような教え方に矛盾を感じる専門家もいます。即座の判断を要求される臨床医は、そのような論理的思考などまったく使っていないというのです。医師の認識の研究者によれば、医師が現場で数秒でくだす意思決定はパターン認識であり、意識的な分析をほとんど伴わないそうです。これは、やはりエキスパートの瞬間的な決断を扱った『決断の法則』の分析と一致します。

    ●近道的思考を活用する

    熟練の臨床医が頼っているのは、いわゆるヒューリスティクスです。

    研究によると、ほとんどの医師は、患者と会った時点で即座に二、三の診断の可能性を思いつき、中には四つや五つの診断を頭の中で巧みに操る器用な者もいる。それらすべての極めて不完全な情報に基づいて仮説を展開させるのだ。そのためには近道をせざるを得ない。ヒューリスティクス(発見的問題解決法)と呼ばれる手法だ。

    ヒューリスティクスは理想的な思考法だとは見なされていません。仮説を展開するための前提に偏り(バイアス)があるからです。しかし現場では、クラスルームで学んだような論理的な思考を展開する時間が圧倒的に足りません。時間があっても、根拠にできる事例や理論がないケースもあります。そんな状況では、ヒューリスティクスに頼らざるを得ないのです。

    著者は「近道」を是としつつ、その採用にともなう判断の誤りを最小化するために、感情に耳を傾けるべきだと述べています。

    重要なことは、最善の感情バランスを保ちながら、正しい近道を使うことである。医師は、どのヒューリスティクスを使っているかを認識すると同時に、自分の内面の感情がそれにどう影響するかを認識する必要がある。

    感情が自動的に生起するものである以上、われわれにできるのは、感情をできるだけ明敏に捉えて、判断を補正することです。逆説的な表現ですが「感情を無視すれば、結局は感情に囚われた判断になってしまう」のです。

    ●それでも有益なケーススタディ

    現場で使えないならば、ケーススタディによる学習は無益なのか。わたしはそうではないと思います。というのは、われわれの直感は経験によって育まれ、ケーススタディは擬似経験だからです。いわば「ヒューリスティクスの素」を育てるのがケーススタディと言えるのではないでしょうか。著者は直感について見事な定義を披露しています。

    臨床現場における直感は、長年の実践を積み、何千もの患者の物語を聞くこと、そして何よりも、自分の間違いを忘れないことによって研ぎ澄まされる高度な感覚である。

    ケーススタディという擬似経験や現場での本物の経験は、感情を通じて経験データベースに蓄積されていく。経験データベースはパターン認識の基盤となり、ヒットしたパターンはわれわれの意識が感知できるよう、情動シグナルとして送られてくる。これが現時点でわたしの理解している直感のメカニズムです。

  • 096 「一瞬」で組織を変える話(3)

    前回は、一瞬(一拍)をつくり出すために、実際に有効性が感じられた工夫をいくつかご紹介しました。

    ● 「一瞬」が組織をどのように変えるのか

    ここでタイトルに立ち戻り、そのように一瞬をつくり出すことのメリットを、感情面と思考面から整理してみます。

    まず、一瞬をつくり出すだけで、感情的な議論が減ります。ダニエル・ゴールマンは、EQの概念を世界に広めることになった『EQ こころの知能指数』で

    「衝動に耐えることほど根本的な心理的技能はないだろう」

    と述べています。衝動に耐えられず、飲み込まれてしまう状態を、ゴールマンは「情動のハイジャック」という印象的な言葉で表現しました。たとえば「怒りが怒りを呼ぶ」「怒りに我を忘れる」とき、われわれは情動にハイジャックされています。

    情動の多くが「ドキッ」「ムカッ」「ギクッ」といった擬音語で表されることからも分かるとおり、情動はパルスとしてやってきて、われわれに何らかの注意を促し、そして去って行きます。したがって一瞬をつくり出し、そのパルスのピークをやり過ごすことこそが、衝動に耐えるたしかな方法といえます。

    次に、一瞬の間をとることで、他者の考えを深め、意見を引き出すことができます。リーダー層の方々と一緒に、他者(多くは部下)の問題解決を促す練習をするとき、この重要性を実感します。

    この練習の難所は何よりも「話したい!」という衝動に耐えるところにあります。特に、相手がウーンと考え込んでしまったりするのを見ると、その衝動は激しくリーダーの胸を突きます。相手が思考を言葉にまとめるその数秒に耐えかねて「じゃあこういう風に考えてみたらどうかな……」と、口をはさんでしまう。いつ追加の問いかけをすべきかは難しい問題ですが、おしなべて言えば?啄同時というよりは、親鳥が先に殻をつついてしまい、相手の思考を孵化させ損ねてしまうケースが(かなり)多いように見受けています。

    こういった小さな改善の積み重ねが「組織を変える」ものかどうか、もとより測定は難しいのですが、前々回でご紹介した「一瞬が会社を変える」と言った人によれば、ある事業部の全員が感情のマネジメントに取り組んだ結果、行動特性検査の結果に明らかな違いとなって現れたとのことでした。

    このケースは一瞬をつくり出すことだけに着目していたわけではないので安直な敷衍は避けますが、日常生活は一瞬の判断の積み重ねであるがゆえに、まとまった人数で一定期間真剣に取り組むことができれば、効果があるかないかは感覚値として検証できるでしょう。

    ● 「一瞬」を有効に使うには

    一瞬をつくり出すだけでも大きなチャレンジで、それに見合った効果が期待できると述べてきました。もしその一瞬を積極的に活かすとしたら、何ができるでしょうか。ここでは前回の「リストを思い浮かべる」という方法を掘り下げ、やはり個人的な挑戦の結果を共有したいと思います。

    わたしの場合、リストは3項目以内、詳しい分野でも4項目以内でなければ実用に耐えません。たとえば感情のマネジメント力を高めたいと思うときに使っている(し、人にも勧めている)のはこのリストです。

    • 【気持ちを感じる】 自分や他者の気持ちを感じ取る。言葉以外でも気持ちを表現する
    • 【気持ちをつくる】 目的にふさわしい気持ちをつくる
    • 【気持ちを考える】 自分や他者の、気持ちの過去(なぜそういう気持ちになったか)と未来(これからどうなるか)を考える。気持ちを的確な言葉で表現する
    • 【気持ちを活かす】 上の3つの能力を常に働かせ、考えに組み入れたうえで行動を選ぶ

    EQ4つの感情能力*ListFreak

     見かけ上4項目あるのですが、4項目めはメタな内容なので、最初の3つを「気持ちを感じる・作る・考える」というかたちで取り出せるように工夫しています。

     話の論理性をチェックしたいと思うときには、このリストを使っています。

    1. 解釈や主張を促す「それで?」
    2. 主張の根拠を掘り下げる「なぜ?」
    3. 根拠の確からしさを確かめる「本当?」
    4. 論理の完成度を高める「他には?」

    考えに筋を通すための、4つの問いかけ*ListFreak

    また4ヵ条で恐縮ですが、これも最初の3ヵ条で通常は用が足ります。

    わたしはたまたま「その場」で何とかする仕事が多いので、キャリアの選択や問題解決などのテーマ毎に、10を超える3ヵ条リストをメンテナンスしています。そうなってくると今度は一瞬のうちに適切なリストを取り出すことができなくなってくるので、論理的思考の研修の仕事の時はこれとこれ、インタビューの時はこれとこれといった組み合わせを考えておき、仕事にかかる前に読んで記憶をリフレッシュさせておく必要が生じます。こう書くと面倒な作業のようですが、それに見合った効果はあります。

     こういった3ヵ条は瞬間的に取り出して使うものなので、まず何よりも自分で定義した言葉づかいであるべきでしょう。そして図形やシンボルといったイメージがあれば、ますます思い出しやすくなります。

  • 095 「一瞬」で組織を変える話(2)

    ●まずは実際に一拍置けるようになる

    ある状況におかれて、次の行動を選択するまでの「一瞬」をどう改善するか。これはほんとうに深いテーマで、結論めいたことは書けません。ただこれまでの研究や実践から、すくなくともその一瞬で何をするかを考える前に、

    「実際に一拍置ける」

    ようになるのが最初に学ぶべきスキルである。これは間違いないように思います。

    こう書くと、反射的に

    「なんだ、もったいぶった挙げ句にそんな簡単なことか」

    と感じられることでしょう。

    しかし、ここで読むのを止めてしまったり、残りの文章を批判的な気持ちでしか読めないとしたら、それは反射的に沸き上がった感情に支配されたことにほかなりません。「一拍置く」スキルを開発する余地が多分にあるということです。

    ※ こう書くと、反射的に「なんだ、自分の文章の弁護かよ!」と感じられるかもしれません  が、どうぞ一拍置いて読み進めていただけると嬉しいです。なお、反射的に感情が沸き上がること自体は、良いことでも悪いことでもありません。人間はそのような情動システムを持っているのです。感情を感じないようにしようという話ではなく、感じた感情に振り回されないようにするという話です。

    最近こんな経験がありました。TV番組である若いベンチャー社長のインタビューを観ていたときのことです。社長の言葉づかいがどうにも粗い。丁寧語がきちんと使えないのです。一度気になり出すと、もう話の内容そっちのけで、言葉づかいのチェックをしたくなってしまいます。本であれば読むのをいったん止めて一拍置けばよいのですが、ライブの会話を聞いているとそういうわけにもいきません。話の内容に集中するのに苦労しました。

    それに比べると、今回対象にしている「何を、どう話すか」は、自分の努力で一拍置けるわけですから、まだ改善しやすいといえるかもしれません。一拍置くことの効果は、以前の「6秒間で思慮深さを取り戻す」をご参照いただくとして、今回はわたしが実践してきた工夫をいくつか紹介したいと思います。

     ●呼吸、リスト、沈黙

    1つめは、呼吸です。ファシリテーターをしているとしばしば緊迫した状況になったり厳しい質問が飛んでくることがあります。鼓動が速くなるのを感じたら、口を閉じ、鼻を通る空気を感じながら大きめに呼吸をします(さすがに、いきなり深呼吸はできないので)。ゆっくりした呼吸は、それ自体副交感神経を働かせる、つまり自分をリラックスさせる効果があるそうですが、1回の呼吸でその効果があるかどうかは検証できていません。そういった生理学的な効果よりも、意識的な動作を加えることで「気持ちを落ち着けながら話を聞いている自分」が意識できるようになり、感情に巻き込まれるのを防ぐ効果が大きいと感じています。

    2つめは、リストです。望ましい態度を1〜3項目にまとめたリストを用意して、口を開く前にそれを思い浮かべるようにします。項目は、役割やそのときの開発テーマに応じて入れ替えますが、常に使えるのは「3つの門」です。すなわち「その言葉は真実か、必要か、思いやりはあるか」という3つの門をくぐり抜けた言葉だけを口にするという教えです。ちなみに、これはわが家でもよく使われるリストで、皮肉屋のわたしはよく3つめの門を通過していない言葉を発したといって怒られています。

    3つめは、すこし長めの間をとって一瞬を一拍から二拍に引き延ばすことです。これは簡単なことではありません。そもそもわれわれは沈黙に対する恐怖を持っています。こちらが間をとったとしても、相手はそれを居心地悪く感じ、新しい話題で埋めてしまうかもしれません。会話のスタイルが噛み合うまで、工夫が必要です。しかしやがては相手もこちらのスタイルに慣れてくれます。望むらくは「この人は言葉を選ぶ人だ」、そうでなければ「ちょっともっさり話す人だ」という感じで。わたしは上述の2つを実践したことで自然と間が空くようになり、間をつくる感覚がつかめるようになってきていると感じています。

    そのほか、「6秒間で思慮深さを取り戻す」では、シックス・セカンズ(6秒数える)と感情のラベリング(沸き上がってきた感情を言語化する)という方法を紹介しました。

    シックス・セカンズは、広義には「数秒の間を置く」というテクニックですので、上の実践である程度できていると言えるかもしれません。一方、それが数字であれ花の名前であれ、状況から離れてまったく違うものの数を6つも数えることは、会話や思考の流れを断ち切ってしまうように感じます。ですので意識的にその断絶が必要な局面、たとえば何を言い出すか自分でも分からないというくらい感情が激したときに、特に有効な方法のように思えます。ただ幸か不幸か、まだライブで試す機会には恵まれていません。

    感情のラベリングは、1つめに挙げた呼吸の際に、自分を客観視するという感覚の中である程度は実践できているように思います。しかし現場で、たとえば不意を突かれて答えに窮している瞬間に「焦っている」といった言葉を思い浮かべているかというと、それはできていません。したがって、残念ながら効果は未検証といわざるをえません。

    次回は、そうやってつくり出した一拍の中で何をするかという点についてまとめたいと思います。

  • 094 「一瞬」で組織を変える話(1)

    ● 一瞬の選択に注目する

    残念ながらというべきか当然というべきか、「一瞬のうちに組織を変える」話ではありません。正確に言うならば『「一瞬」に注目し、活かすことによって組織を望ましい方向に変えられる』という話です。

     日常の仕事の中で、われわれは膨大な「一瞬の選択」を積み重ねています。たとえばAさんがBさんと5分間だけ話をするとします。平均15秒で話し手が交代すると仮定すれば、Aさんは10回話すことになります。さらに、聞くときは相手の話を理解することに集中し、話すときは自分の考えを効果的に伝えることに集中する、と仮定しましょう。とすると、相手が口を閉じてから自分が口を開くまでの一瞬、長くても5秒間のうちには、何をどう話すかを選択しなければなりません。たった5分間のうちに「一瞬の選択」を10回もこなしているのです。

    当然ながら、それらの選択の一つひとつにおいて、何を話すか(つまり内容)、どう話すか(つまり感情)は自由に選べます。破壊的な流れの会話を建て直すために建設的な内容を選ぶこともできれば、場に満ちた怒りの感情を緩和するために共感を示すこともできます。通常は、そういった発言の積み重ねによって合意が図られますが、たった一つの発言が場に染みこんで合意が整うこともあれば、たった一つの失言が決裂を決定づけることもあります。

    内容と感情を選ぶこと自体は、特別難しいスキルではありません。実際、うまく進行していない会話を読んでもらい、1つか2つの発言について、内容やトーンを望ましいものに置き換えるグループワークをしてもらうことがあります。するとどのグループも、不適切な発言を選び、適切な内容に置き換え、適切な感情でそれを述べることができます。失敗はありません。なぜかといえば、1つの発言を組み立てるのに10分間かけて話し合ってもらうからです。 

    ● わかるとできるは違う

    難しいのは、その選択を「一瞬で」行うことです。何を話すかについては、たとえば論理的思考の研修を受ければ分かります。どう話すかについては、たとえばEQ研修を受ければ分かります。しかし、実務でそういった力が試されるのは、例の「一瞬」。だから難しい。「分かっちゃいるけど、なかなかできない」ということになります。

    それだけに、この一瞬にしっかり焦点を当てて取り組むことで、大きな成果が期待できます。そもそも今回このタイトルで書こうと思ったきっかけは、感情のマネジメントに特化している講師仲間が「一瞬が会社を変える。変わらない会社はないと実感している」と口にするのを聞いたからです。わたしはいつも当コラムのことが頭にあるので、それこそ一瞬のうちに「次回のタイトルはこれでいこう!」と決めました。

    (つづく)

  • 093 毎朝、鏡を見るように

    ●心を映す鏡としての「鏡」

    出勤時の朝、誰もが鏡で身だしなみを整えますが、
    心の身だしなみは整えているでしょうか。

    EI理論(EQ理論)の提唱者であるピーター・サロベイ教授の言葉とお聞きしました(1)

    心の状態(以下、気持ち)は思考に影響を与えます。もし気持ちを映す鏡があり、われわれが気持ちを動かす術を会得したら、意志決定は大きく改善されることでしょう。

    気持ちを映す鏡としてまず使えるのは、本物の「鏡」です。顔の表情には気分(持続的な感情の状態)や情動(短い時間に生じる強い感情の動き)が反映されます。われわれは自分の気持ちを常にモニターしているわけではないので、しばしば、表情を経由して初めて自分の気持ちに気づき、驚くことがあります。

    たとえば携帯電話で話をしながら、ふと窓ガラスや鏡に映った自分の顔を見た経験はないでしょうか。その鏡像を第三者に見立てて意識的に観察するならば、自分が気づいていない気持ちを読み取ることができるかもしれません。

    わたしはトレーニングのつもりでときどきデスクの上に鏡を置きます。そうすると、たまに発見がおとずれます。たとえば、やや込み入った案件の相談を受けつつ、ふと鏡に目をやる機会がありました。自分なりには真摯に答えているつもりでしたが、鏡の中の顔はどこか受けに回っているというか、面倒に思う気持ちが表情に現れているなあと気づいた経験があります。

    そのような気持ちで話を聞いている限りは「どうやって断ろうか」という方向にばかり思考が向きます。しかし一度自分の気持ちに気づき、ポジティブとまではいかないまでもニュートラルなところにまで気持ちを動かすことができれば、この案件がもたらす可能性にも思考を広げることが容易になります。その結果、後から振り返ったときに後悔の少ない判断をくだせる可能性が高まります。

    ●心を映す鏡としての”Affect Grid”

    心を映す鏡として、本物の「鏡」以外に何が使えるでしょうか。そのときの気持ちを言葉で表すこともできます。しかしこれはなかなか難しく、鏡を見るように簡単にできることではありません。また、気持ちの動きを過去と視覚的に比較することも困難です。

    気持ちを二つの軸の組み合わせで表現できれば、グラフに点を打つようにしてチェックできます。気持ちのような複雑なものをたった二つの因子の組み合わせで表現するのは難問ですが、これまでの研究から快適度×覚醒度が妥当な因子として認められ、使われています。例えばラッセルらの”Affect Grid”は次のようなフォーマットになっています(2)。このくらいシンプルであれば、心を映す鏡として使えそうですね。

    ストレス      高覚醒       興奮  
      ┏━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┯━┓   
      ┃ │ │ │ │ │ │ │ │ ┃   
      ┠─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┨   
      ┃ │ │ │ │ │ │ │ │ ┃   
      ┠─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┨   
      ┃ │ │ │ │ │ │ │ │ ┃   
      ┠─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┨   
      ┃ │ │ │ │ │ │ │ │ ┃   
      ┠─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┨   
    不快┃ │ │ │ │ │ │ │ │ ┃快  
      ┠─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┨   
      ┃ │ │ │ │ │ │ │ │ ┃   
      ┠─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┨   
      ┃ │ │ │ │ │ │ │ │ ┃   
      ┠─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┨   
      ┃ │ │ │ │ │ │ │ │ ┃   
      ┠─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┼─┨   
      ┃ │ │ │ │ │ │ │ │ ┃   
      ┗━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┷━┛   
    抑うつ       眠 気      リラックス

    ●気持ちに振り回されないために

    感情知能を学ぶ研修では、実際にこのようなフォーマットを使って、一日の中で大きく気持ちが動いたときのことを振り返り、どこからどのように動いたかを語ったり文章に落とすワークをやってもらっています。

    意志決定力を改善する観点からは、ただ気持ちの動きを追うだけでなく、そのときに考えたこと・決めたことを併せてメモしておくことが重要です。その結果、後追いではあっても、気持ちが自分の決定に影響を及ぼしていることが見えてきます。

    気持ちの動きをモニタリングするこのエクササイズの目的は、一見すると、気持ちに動かされないようになることのように見えます。しかし実際には逆に、気持ちを動かすスキルを高めることが目的です。

    気持ちが遮断できないものであるとすると、気持ちに動かされないようにするのは、もとより難しい挑戦です。上述したように、気持ちが特定の思考を促す効果を考えれば、「気持ちを適切に動かすことで、気持ちに振り回されないようにしよう」と考える方が効果的な戦略といえましょう。


    (1) 『「心の身だしなみ」を整える』 – 高山直の「左の振り子」

    (2) Russell, J. A., Weiss, A., & Mendelsohn, G. A. (1989). Affect grid: A single-item scale of pleasure and arousal. Journal of Personality and Social Psychology, 57, 493-502. 

  • 092 建て直しの三確

    ●建て直しの三確

    Aさんの今月からの肩書きは、新規事業部の長。しかし実際の仕事は、買収した事業の建て直しです。別に事業再生の専門家というわけではなく、他の職務での活躍が認められ、新しいチャレンジとして1つの事業の建て直しを任されたという状況です。

    専門家でないとはいえ、Aさんの計画をうかがっているうちに「この人は何とかしてしまいそうだな」と思えてしまいました。なぜそう思えたのか、過去にお付き合いのあった「建て直しの上手な人」を思い出し、共通する要素を抽出してみたくなりました。

    いろいろ挙げたうえでまとめていくと、3つの「確かめる」に絞り込めそうなので、「建て直しの三確」と名づけましょう。Aさんのケースを引きながら説明していきます。

    1. とるべき手段を目的から確かめる

    建て「直す」必要があるということは、いま建っている何かがあるわけです。いま売れている商品があり、買ってくださる顧客がいて、そのビジネスを支える社員がいます。ただ、その何かがおかしくなっているということです。

    建て直すためには、まず「現在やっていることが現在の目的に照らして」妥当かどうかをチェックする必要があります。儲かっている/いないというシンプルな軸だけでは評価できません。

    たとえばAさんが問題視したサービス事業のひとつXは、赤字を出しているわけではありません。ただ、買収された企業がX事業を始めたときは、その事業単体で、しかも早期に利益を確保する必要があったので、いわゆるイノベーター(マニア)層にしっかりアピールできる深さを持ったサービスとして設計されました。したがって、やや「知る人ぞ知る」的なサービスです。従来からの担当者は、資金を得てますますサービスの質に磨きをかける計画を提出していました。それが彼らが顧客から信頼を勝ち得てきた道だからです。

    しかしAさんは、(一時的に収益を悪化させてでも)対象顧客をアーリーアダプター(新しもの好き)層にまで広げるためのサービス改変に資金を投じるべきと判断しました。これは事業の大目的から考えおろせば妥当な選択ですが、たとえ一時的であっても赤字が許容されなかった従来の担当者には思いつけないものでした。

    このステップでは、現状をつぶさに調べる必要はありません。むしろ現場の事情に影響される前のほうが目的からまっすぐ考え下ろせるので、建て直し担当がまっさきに着手すべき作業です。

    2. 起きている問題を結果から確かめる

    手段が目的にかなっているとすれば、それがどのように目的に結びついていないのかを、事実に基づいて調べていく必要があります。ここは一般的な問題分析の手順に則って、最終的な結果から、ビジネスの場合には利益から、分析を深めていきます。

    建て直しが必要な状況では、中にいる誰もが問題について一家言を持っています。しかしそれらは本人の仕事に影響する問題に限られていたり、属人的な問題が過剰に取りざたされていたりすることが少なくありません。もし問題がそのように顕在化されていて、たしかに問題の真因ならば、既に解決できていてもおかしくありません。しかし実際には、妄想を捨てて結果から原因へ、全体から部分へと分析を進めることで、「中の人」の誰もが見ていない(見れども見えずになっている)ところに問題が見つかるのです。

    Aさんが売上を商品種別ごとに分析していくと、一部のオプションサービスで実際の売上に必要な量よりもかなり多く提供していることが分かりました。代理店との契約が曖昧だったため、こちらの期待どおりに売上が上がっておらず、いわば「取りっぱぐれ」状態が続いていたのです。現場でも、オプションサービスの料金をきちんと回収できていないという自覚はありましたが、それがどれほど収益に影響しているのかを測ってみた人はいませんでした。

    3. 個のつながりを全体から確かめる

    1「手段を目的から確かめる」とは、今からすることを未来から確かめるということです。2「問題を結果から確かめる」とは、今まで起きたことを過去から確かめるということです。建て直す対象のビジネスはすでに動いていますから、これらをつなげて考えなければなりません。

    何のために(目的)、何に手を入れて(手段)、何がどうなるか(結果)というつながりが俯瞰できなければ、改善のための打ち手が価値の循環を断ち切ってしまうかもしれません。こういった手段と結果の関係をモニターすることで価値の循環を評価することが「個を全体から確かめる」という言葉の意味です。

    捨てずに建て直すと決めた事業であれば、たとえば2年以内に黒字化といった厳しい目標が課せられます。Aさんにも、売上をこれだけ引き上げたうえで本業との相乗効果をこれだけ発揮してほしいといった目標が与えられています。単純に考えれば、売上を顧客別・商品種別などで分解したうえで売上に貢献しない層は捨て、伸張が期待できる層に資源を集中するべきでしょう。しかしそうしてよいかどうかは、状況によって違います。

    Aさんのケースでは、1で述べたサービス事業Xの扱いが難しいところです。既存の顧客たちは、すでにX事業に投資を重ねてきてもいますし、ある種のコミュニティを形成してもいます。彼らが、新任のAさんが打ち出す「大衆化」路線への展開をどう受け止めるか、結果としてどのような副作用が生じるかは、予測しづらいものがあります。Aさんは、ここでもやはり「確かめる」戦術を採用しています。顧客やサービスを限定したテストプログラムを実施して、個が全体に与える影響をすこしでも見極めようとしています。

    ●視点をシンプルに定義し、繰り返しチェックする

    ここまで読んで、ずいぶんずさんな事業だと思われるかもしれません。しかしこれは上場企業で起きていることです。またわたしの見聞の範囲内ではありますが、決して珍しいケースではありません。

    Aさんは自分の計画を説明しながら、再三「あたりまえのことなんですけど……」と言って、華々しい戦略のないことを恥じておられました。「ターン・アラウンド・○○」といったフレームワークに則った戦略を立てたかったのかもしれません。しかしわたしから見れば、よくこれだけの短い時間で「あたりまえのことができているかどうか」のチェックを済ませたものです。

    もちろん「建て直しの三確」はわたしの勝手な解釈ですが、Aさんは(言語化されていないにせよ)そういったシンプルな視点を根っこに持たれているのではないかと思います。その視点は、これからAさんがぶつかるであろう様々な難事においてますます真価を発揮し、またその難事がAさんの視座を、つまり視点の見晴らしを、高めていくことでしょう。 

  • 091 驚く感性、疑う精神、信じる意志

    ●懐疑する精神と、驚嘆する感性との結婚

    天文学者で作家のカール・セーガンは、科学的に考える姿勢について次のように述べています。

    科学の核心は、一見すると矛盾するかにみえる二つの姿勢のバランスを取るところにある。一つは、どれほど直観に反する奇妙なアイディアであっても、新しいアイディアに対しては心を開くという姿勢。もう一つは、古いアイディアであれ新しいアイディアであれ、懐疑的に、かつ徹底的に吟味するという姿勢である。

    カール・セーガン 『人はなぜエセ科学に騙されるのか〈下〉』

     この文章は「懐疑する精神と、驚嘆する感性との結婚」という章からの引用です。ひらたく言えば、驚きと疑いを共に持って考えるということです。

    この「驚きと疑い」というコンビネーションは、セーガンより半世紀以上前に生まれたカール・ヤスパースという哲学者が挙げた「哲学の、3つの根源的動機」の中にも見出すことができます。

    • 【驚異】 驚きから問いと認識が生まれる
    • 【懐疑】 認識されたものに対する疑いから批判的吟味と明晰な確実性が生まれる
    • 【喪失】 人間が受けた衝撃的な動揺と自己喪失の意識から自己自身に対する問いが生まれる

    哲学の、3つの根源的動機(ヤスパース)*ListFreak

    セーガンはヤスパースの言葉を引いたのか、ヤスパース以前に「驚きと疑い」のコンビネーションの重要性について言及した人がいたのかなどは、調べが及んでいません。ともあれ両者の言葉を比べると

     科学的に考える姿勢 + 自己 = 哲学的に考える姿勢

    といった図式が見えるようで、面白いですね。

    ●驚く感性、疑う精神、信じる意志

    この「驚きと疑い」は本当によく選び抜かれたコンビだと思います。「へぇ!」と驚けなければ、考えようという意欲がわきません。「あれ、本当かな…」と疑えなければ、考える材料を吟味できず、自分なりの考えを引き出せません。

    たとえば、つまらなかったセミナーを振り返ってみると、そこには「驚き」などなかったことでしょう。

    逆に感心したまま聞き終えてしまった話は、後から後から「待てよ、こういう場合はどうなんだろう……」といった疑念が湧いてきて、実はよく理解していなかったことが分かったりします。

    同じセミナーに参加しながら、深く学ぶ人とそうでない人がいます。学び上手な人は、驚きと疑いの弾み車を上手に回しながら自分に考えさせ続けることができているのではないでしょうか。

    ではなぜ、そのようにできるのか。「懐疑する精神」が知を、「驚嘆する感性」が情を、代表していると考えると、知情意の意、言ってみれば「信じる意志」の存在が浮かび上がってきます。

    ※ 知と情の「結婚」が重要というセーガンの表現からすると、ここに第三者を持ち込むのは具合が悪いので、三者の「友情」が重要と考えてください。

    驚きは、どこから生じるのか。「こうなっているべきなのに/こうありたいのに、そうなっていない」という、自分の世界観に生じた不均衡のようなものを検知したときに生じると考えると、「こうなっているべき/こうありたい」という主観が最初に必要です。それがなければ、何に出合っても「ま、そんなもんでしょ」と受け流して終わりになってしまいます。

    この主観が「信じる意志」です。そして、そもそも「懐疑する精神と驚嘆する感性との結婚」を重要視し、両者をうまくはたらかせようとする姿勢もまた、「信じる意志」のあらわれです。

    ここまでを振り返って、考え上手な人・学び上手な人の思考様式をモデリングしてみます。

    考え上手・学び上手な人は:

    • 自分なりの世界観(こうなっているべき/こうありたい)を持っている。
    • 同時に、それは絶対的に正しいものではないというオープンさを備えている。だから、新しい情報がもたらすズレを検知できる。つまり驚ける。
    • そして疑い、探究し、納得できれば世界観を修正・拡張していける。
  • 090 どんなに不連続に思えても、未来と現在はつながっている

    ●最悪の未来は描きやすい

    「この会社が5年後も存続していると言い切れる人?」

    と、リーダー研修などで聞いてみます。誰も手を挙げません。東日本大震災の後はなおさらです。そこで

    「天災などで経営資源が直接かつ一気に損なわれるケースは除きます(1)。たとえばメディアが『あそこは倒産するべくして倒産した』と評する状況が想定できない人?」

    と聞いても、やはり、誰も手を挙げません。

    当然ですよね。日本有数の証券会社であっても、世界最大級の会計事務所であっても、廃業はあり得ます。天災がなくても、5年間もあれば何だって起こり得ます(2)

    次に、

    「5年後の倒産の原因として、もっともあり得そうなもの」

    を考えてもらいます。

    これも、いろいろ出てきます。主力事業が衰えてしまい、それを代替する新事業も育たなかったというのが定番です。「経営者の不祥事」とか「経営者の失言」とか、最近目立った事例が脳裏をよぎったのかな、と思われるような原因も出てきます。

    本題はここからです。

    「どんなに不連続に思えても、未来と現在はつながっている。この会社がいま挙げてもらったような原因で5年後につぶれる可能性があるなら、その予兆は、今・ここ(この会社)にあるのではないか?それは何か?」

    と考えてもらいます。それが見えれば、今何を考えるべきかは自ずと明らかになるはずです。

    これまで予兆を見つけられなかった人はいません。これも実は当然の話で、「こういう原因で倒産するかも」と思うからには、当人の意識のどこかで、その周辺に対してアラームが鳴っているのです。

    ●最善の未来は描きにくい

    これとまったく同じことを、今度は倒産のような最悪のケースでなく、最善のケースでやってみます。

    ところが面白いことに(と言うのは不謹慎かもしれませんが)、こちらは難しいのです。はるかに難しい。

    「5年間あればどんなことでも起き得る」はずなのに、5年間で事業規模が10倍になるとか、世界中から賞賛される企業になるとか、そもそも起き得るとは思えないのです。

    それでもワークを先に進めます。描けるだけの5年後の最善の状態を描き、それができた主原因を考え、そのタネをいまの組織の中に探します。そして最善の5年後を実現するために、今できることを考えます。

    どこかの時点であるチームが突き抜けてくれると、どんどんアイディアが膨らみます。そうでないと、いかにも現有の経営資源でできそうなビジョンしか出てこないこともあります。

    この一連のワークは、もとは別の目的で考案したのですが、さまざまな学びを生み出しました。なかでも大きな発見は「われわれが今日することに制約を課しているのは、保有している資源というより想像力である」ということです。


    (1) もちろん天災やテロなどあらゆる災害を想定すべきではあります。ここで言っている「経営資源が直接かつ一気に損なわれるケース」とは、社屋が一気に倒壊して全社員が死亡するといった、おそらくは事業の継続をあきらめなければならないケースです(部署を地域や大陸をまたいで分散できる大企業を除いては、取れる対策にも限界があります)。

    (2) わたしの経験は企業に限られています。地方自治体あるいは国家の運営を担っているリーダー層であれば、答えのバリエーションは増えるかもしれません。

  • 089 合理的な選択の袋小路(とその突破)

    ●ケーススタディ「A社からの脱出」

     あなたは新卒で大企業A社に入社し、X年が経ちました。さまざまな理由から、A社は地獄だと感じるようになり、起業を検討しています。とはいえ、起業の失敗もまた地獄です。A社のような大企業への再就職は二度とできないでしょう。

     あなたはこう考えます。
    「成功したときの嬉しさと失敗したときの悲しさは比較しようがないが、まあ同じくらいと考えよう。今年アクションを起こしても、成否はせいぜい半々。しかし一年間事業計画を練ったり人脈を確保して、失敗の確率を半分に減らせたとしたら?」

     簡単に計算をしてみると、結果は下の表の通り。

    起業する年失敗成功期待値
    今年1/2 x (-1)1/2 x (+1)0
    1年後1/4 x (-1)3/4 x (+1)1/2

     明らかに、今年よりは一年後の期待値のほうが高いことが分かります。今年一年をA社で過ごすのは苦痛ですが、再挑戦が難しい日本社会の現状を考えれば、一年間待つことのデメリットは小さいでしょう。

     さて一年後。順調に起業準備は進みました。念のため、昨年と同じ計算をしてみたところ……

    起業する年失敗成功期待値
    今年1/4 x (-1)3/4 x (+1)1/2
    1年後1/8 x (-1)8/7 x (+1)3/4

     合理的に考えれば、あなたは起業を翌年に延ばすべきです。

    何年経っても同じ結論になることは、予測がつくと思います。差は小さくなるものの、先送りが常に合理的な選択です。ですからあなたが合理的であれば、毎年準備をしつつも決断を先送りするでしょう。もっと合理的であれば、このような帰結を見越して、何もせず地獄(A社)に留まると決めるでしょう……しかし、何かがおかしいですね。

    ●唯一の合理的選択は非合理的にふるまうことらしい

     これは『論理学』という本からの翻案です。オリジナルを(やはり多少翻案のうえで)要約すると、こんな感じです:
    「地獄に落ちたあなたに、魔法のコインが与えられました。コインを投げて表であれば、天国に行けます。裏であれば、そのまま永遠に地獄に留まります。このコインは、1日ごとに裏の出る確率が半分になっていくことが分かっています。あなたはどうしますか?」

     合理的なアプローチでは、手に脱出のチャンスを握っているにもかかわらず、そのチャンスを行使する機会は永遠に訪れない(なぜなら、つねに1日先のほうが期待値が大きいから)という、奇妙な状況に陥ってしまいます。

     本書ではこのパラドックスを解き明かす方法は語られず、ただこのように結ばれています。
    『毎日を合理的に行動し、次の日まで待つならば、けっしてコイン投げをする日は来ず、永遠に地獄にとどまることになってしまう。どの日であっても、とにかくコイン投げをしたほうがましに違いない。つまり、唯一の合理的選択は非合理的にふるまうことらしいのだ!』

     この事例は、パラドックスが生じるように、慎重に逃げ道がふさがれています。 しかし冒頭の「A社からの脱出」では、現実的な文脈に翻案したがゆえに、読みながら「いや、自分ならこういう変数を取り込んでどこかで決断できる!」と感じた方も多かったのではありませんか。わたしも元の事例と比較することで、陥りがちな「思考の枠」をいくつか見つけられたように思いました。

     大きなところでは、「一年間待つことのデメリットは小さい」という判断です。これは、われわれの持ち時間が一年間を短いと思わせるほど十分に長く残っているという前提にもとづいています。

     本の事例では、主人公は無限の地獄にいるので、決断を先送りすることのデメリットは相対的に無視できます。一方「A社からの脱出」では、職業人として過ごせるのは、うまくいっても50年程度であることに思いをいたせば、一年間待つことのデメリットは、小さいものではなくなります。「枠」の外に出て考えるきっかけをつかめます。 「自分への弔辞を書く」といったエクササイズは、この「残り時間はまだまだあるはずだ」という枠を外すのに有効なのでしょうね。

     もう一つ、根本的なところで「(事前に予測される)期待値の大きいほうを選ぶ」という合理的な考え方そのものを疑うべき状況が、あるのかもしれません。たとえば「つねに先送りが合理的な状況に陥ったら、何かの枠にはまっている可能性を考えてみる」とか、いっそ「期待値の大小で判断せず『変える』ことを無条件で選ぶ」といったルールを自分に課すことで、袋小路に陥ってしまうことを防げるかもしれません。ここはもう少し掘り下げて考えていきたいと思います。

  • 088 「罪を憎んで人を憎まず」はどこまで正しいのか

    ●「罪を憎んで人を憎まず」は問題解決の心得

     ある問題が起き、その職務の当事者を不適格として交代させた。ところが、新任者もまた同じ問題を起こしてしまう。交代させられた人は当然やる気を失っていく。いつしかその職務は「モチベーション低下工場」と呼ばれるようになった……。

     これはおそらく、ある行動の原因を個人の属性だけに求めて(帰属して)しまい、行動を起こした状況に目を向けていないために起きることです。

     「罪を憎んで人を憎まず」ということわざは、こういうミスが起こりがちであることを示しています。社会心理学者はこれを「【根本的な】帰属の誤り」と命名しました(1)。人類共通の傾向なのでしょう。

     『判断力―判断と意思決定のメカニズム』は「根本的な帰属の誤り」を含む、人間ならではの判断の偏り(バイアス)をこれでもかと紹介しています。そのうえで(実に500ページを過ぎた最終章で)、「バイアスは非合理なものとは限らない」と重要な指摘をしています。以下、その例を要約しつつ引用します(2)

    ●根本的な帰属の誤りには、根本的な理由がある(はず)

      問題の要因が状況にあるならば、状況が変われば問題も無くなります。しかし要因が相手の属性にあった場合には、人間関係を変えない限り問題からは逃れられません。そして人間関係を変えるのは、プライベートでも仕事でも、往々にして困難です。
    ※「罪を憎んで人を憎まず」から話を始めたので、望ましくない状況を想定していますが、逆についても同様です。状況によってたまたま「いい人」である人よりも、属性が自分にとって「いい人」を身近におく方が重要です。

     そこで、ある人が自分から見て善人であるか悪人であるかを見抜くことは、人が人間社会を生きるうえで重要なポイントだったはずで、それは今でも変わっていない。そう仮定してみましょう。

     さて、いま(自分にとっての)問題行動を起こした人がいるとします。上記の仮定を踏まえて、原因帰属の当たりはずれに次のような重み付けをします。

    • 原因が状況によるものだった場合、それをきちんと見抜けたときのメリットを+1、間違って相手の属性のせいだと思ってしまった場合のデメリットを-1とします。
    • それと比較して、原因が個人の属性から来るものだった場合を考えます。正しく見抜ければ、将来にわたる問題の発生を防ぐことにもなり、メリットは大きいはずですので、+3とします。逆に状況のせいに過ぎないと考えてしまった場合には、繰り返し起きる問題の種を抱えたことになりますので、-3とします。

     このような状況では、行動の原因を常に個人の属性に帰属するという「偏った」判断が、理にかなっている状況が生まれます。たとえば、行動の要因が個人の属性であるケースは全体のわずか30%で、残りの70%は状況がもたらすものだとしましょう。

     常に原因を状況に帰属させる、いわば「罪(だけ)を憎んで人を憎まず」アプローチでは、70%の確率で+1のメリットを受け取る一方で、30%の確率で-3ものダメージを受けるので、差し引きでは0.2のマイナスになってしまいます。

     ところが、常に個人の属性に帰属させる、いわば「人だけを憎む」アプローチは、70%の確率で-1のデメリットを被る一方で、30%の確率で+3のメリットが得られ、差し引きでは0.2のプラスです。この状況をディシジョンチャート風に図解してみます。

     もちろん今までの数字を少しいじれば、結論は違ってきます。ただ、メッセージは明らかです。人間が統計的に間違っている選択をしがちだからといって、非合理的だとは必ずしも言えないということです。

     まったくランダムに間違うのではなく、つねにある一定の方向に判断が偏るならば、そこには何らかの理由があると考えるべきでしょう。われわれが人の行動の原因をその人の属性に求めてしまうという「根本的な」傾向は、その人の属性を正しく見抜くことが社会生活を営む上で「根本的に」重要だった(いまでも重要である)ことを示しているのかもしれません。

    ●つねに複数の視点から考え、どこまでも疑う

     結局、「罪を憎んで人を憎まず」は常に正しいとはいえず、かといって人だけを憎むべきともいえないという、居心地の悪い結論になってしまいました。しかし頼るべきシンプルなポリシーは無いものと覚悟して、常に別の(できれば反対の)視点から考えてみることが、判断力を高めるためには有益そうです。

     『判断力』の著者スコット・プラウスは、やはり最終章でこのように述べています。

    あらゆる場面に通用する万能のバイアス除去テクニックこそないが、別の観点を考慮に入れることが、しばしば判断と意思決定の質を高めることは確かだ。

     「確かだ」という言葉を見ると、ホッとします。先述したように500ページも人間の判断の不確かさの証拠を見せつけられてきた後ですから、ようやく頼れる指針が与えられたと思いたくなります。

     しかし同時に、500ページも疑わされ続けたがゆえに、「確か」という言葉を見ると警戒感も抱いてしまいます。著者の「確か」は本当に確かなのか?と。

     実際、著者は慎重にもこのように付け加えていました。

     判断と意思決定の研究には、もう一つの問題がある。めったに触れられないことだが、その意味は重大だ。つまり、

    「判断と意思決定の研究は、参加者と同じようにバイアスや誤りを起こしがちな人間が行うものである」

    こうした逃れようのない事実があるため、研究の結論――それもまた一連の判断と意思決定にほかならない――にも、さまざまなバイアスや誤りがつきものなのだ。

     やはり残念ながら、研究者のおすすめも(完全には)あてにできません。それでもわれわれは、日々無数の意思決定をしていく必要があります。限られた時間のなかで効率よく「疑う」方法を、自分のクセに合わせて開発していかなければなりません。

     たとえば、こんなリストはどうでしょうか。

    • 【感情の存在に気づく】完全な合理主義者であれば、どのような意思決定をするか。自分がそうしないのは、なぜか。
    • 【論理の存在に気づく】完全な温情主義者であれば、どのような意思決定をするか。自分がそうしないのは、なぜか。
    • 【相手の立場に立つ】相手の立場でこの意思決定を受け止めてみる。相手にとっても最善といえる意思決定にするために、なにかを変える余地はないか。
    • 【組織の外から見る】後日この意思決定を分析する評論家は、何と言うか。内部の事情を酌まない外野ならではのシンプルさで考えたら、どのような意思決定になるか。

    (1) 「根本的な帰属の誤り」(Wikipedia)

    (2) スコット・プラウス 『判断力―判断と意思決定のメカニズム』(マグロウヒルエデュケーション、2009年)